エウラリアとルーカス
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エウラリア・ルカーノの人生は、一言で言えば『勝ち組』だった。歴史ある伯爵家で生まれ育ち、父は騎士団長。幼い頃から蝶よ花よと育てられ、周囲の者は大体自分よりも下だと見下してきた。もちろん、王族や公爵家の面々など勝てない人間も一定数いる。それでも、その数は決して多くないはずだ。ましてや、エウラリアは自分の容姿に絶対的な自信があり、いずれは必ず自分だけの『王子様』が迎えに来てくれ、贅沢な生活をさせてくれるものだと信じていた。
そして、エウラリアにとってその『王子様』とはニコラスのことだった。
ニコラスと出逢った時のことは、エウラリアの記憶に鮮明に残っている。父に連れられ、騎士団の見学に行ったとき。偶然見かけたニコラスに一目惚れした。年齢よりも逞しい身体つきも、表情があまり動かないところも。すべてが好みだった。そのため、エウラリアはニコラスに近づきたくて父のコネを使い騎士団に入団した。少しでも、ニコラスに近づくことができれば。その一心だったが、ニコラスは決して女性を寄り付けない。さらには、人間という存在自体を煩わしいと思っているようであり、エウラリアのことなど気にも留めなかった。
それでも、エウラリアはまだ我慢できた。ニコラスには親しい女性がいない。ならば、いずれは父にお願いして婚約を取り付けてもらうまでだ。そう思い続けていた。ニコラスが突然婚約し、流れるように婚姻するまでは。
(ニコラス様は、私のことなど眼中になかった。だから、だから……あのリーザという女が、憎たらしかった)
端的に自分の十六年という短い人生を振り返りながら、エウラリアは家具の陰で息をひそめた。陰から顔を覗かせれば、エウラリアの悲鳴を聞きつけたのであろう兵士や侍従たちが一人の男に倒されていく光景が見える。それを見ていると、あの男は本気でエウラリアを殺そうとしているのだということが、分かる。
(どうして、私はあの男の誘いに……乗ってしまったの?)
ぎゅっと目を閉じてそう考えるが、答えなど出てこない。先代の騎士団長である父がいれば、また話は別なのだろうが……生憎、今日は領主としての仕事で領地に出向いている。もしかしたらだが、あの男はそれを見越して今日を狙ったのかもしれない。そう思えるほど、タイミングが最悪だった。
「ったく、俺の手を煩わせないでくださいよ、オジョウサマ」
その男の目に映った狂気を見てしまうと、息がこぼれてしまいそうになる。「オジョウサマ」という言葉に込められた最大限の侮辱に気が付きながらも、エウラリアには怒りが湧かなかった。いや、湧かなかったというわけではない。ただ、恐怖の所為で怒りの感情が抑え込まれてしまっているのだ。例の男はふらふらとしたおぼつかない足取りで、エウラリアの隠れる場所に近づいてくる。……見つかったら、確実に殺されてしまうだろう。
「あの女、本当に腹が立つ。……俺のリーザお嬢様とは大違いだな」
エウラリアを追い詰める男は、そんなことをぶつぶつとつぶやいていた。そして、何を思ったのか突然部屋の窓に手をかけ――窓を開いた。その瞬間、冷たい夜風がエウラリアの身体を襲い、身震いしてしまう。そして、エウラリアの身体の震えが止まらず、家具とぶつかって音を出してしまった。
「みーつけた。……ったく、俺の手を煩わせるなんて、馬鹿なオジョウサマですね」
「…そ、そもそも、あんたが、あんたがっ! 呪いの代償とかも、教えてくれなかったから……!」
「だって、訊かれませんでしたし。俺、訊かれないことには答えない主義ですし」
その男――ルーカスはエウラリアの前にしゃがみ込むと、まぶしいばかりの笑みを浮かべる。だが、その目は合わっていない。まるで、心底つまらないとでも言いたげな目で。エウラリアはその恐怖からただガタガタと震え、歯がぶつかりガタガタと音を鳴らすのを聞くことしかできない。誰か、誰か助けて――! そう思うが、侍従も兵士たちも駆けつけてこない。大方、みなルーカスに気絶させられてしまったのだろう。
「そもそも、俺、あんたのことなんてどうでもいいですし。俺の手駒になればいいかなぁ、みたいな感じでしたしねぇ。役目の終わった手駒は、焼却処分が必須でしょう?」
「し、知らないわよっ!」
「あっ!」
ルーカスの一瞬の隙をついて、エウラリアはルーカスの横をすり抜けた。その後、玄関に向かって全力でダッシュする。外に出れば、誰かが助けてくれるかもしれない。そんな淡い期待を抱くものの、身体中がミシミシという嫌な悲鳴を上げている。……エウラリアの身体は、呪いの代償により蝕まれ始めていた。
「かくれんぼの次は鬼ごっことか、どれだけ幼稚ですか? ……まぁ、いいでしょう。付き合ってあげますよ」
後ろから、そんな笑い声とつぶやきが聞こえてくる。ルーカスの言うかくれんぼも、鬼ごっこも、えげつないものだ。エウラリアは捕まれば確実に殺されてしまう。いわば、命を懸けたものなのだから。どうせ呪いの代償で長くない命だが、それでもルーカスに殺されるのだけは絶対に嫌だった。
(っつ! はぁ! 走らなくちゃ、走らなくちゃ……!)
今まで、こんなにも全力で走ったことはあっただろうか? 訓練の時も、それとなく手を抜いていた。だが、生き物は命がかかってしまえば底力のすべてが出せる。エウラリアはそれを実感しながら走っていた。
「……あのクソ女。どこまでも俺の手を煩わせますね。……さっさと、始末しましょうか」
走れ、走れ。脳内が鳴らす警告に合わせて、足を前へ前へと動かす。それでも、ルーカスとの距離は縮まっていくばかり。ルーカスの一歩一歩は、男性というだけはありエウラリアよりも大きい。それに合わせ、エウラリアよりもずっと体力があって、エウラリアが追いつかれるのも時間の問題で。
「――だれ、かっ!」
――助けてっ!
誰も、助けになど来ないのに。そんなことを思いながら、エウラリアがその場に崩れ落ちたとき。
「――エウラリア様っ!」
誰かが、エウラリアとルーカスの間に割り込んできた。それに驚き、エウラリアが視線を上げれば――そこには、エウラリアが憎み、呪いまでしたリーザが仁王立ちをしてエウラリアのことを庇っていた。
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