リーザの目覚め
「んんっ、だん、な、さま……?」
「そうだ、リーザ。……よかった、目が覚めた……!」
リーザの視界にはニコラスの他、デジデリアとオリンド。それから見知らぬ女性がいた。その女性の服装からして、魔女の類だろうな。そんなことを考えながらリーザが起き上がろうとすれば、その魔女――ダリアはリーザのことを手で制した。
「いや、まだゆっくりとした方がいい。呪いの類は精神力を削るからな」
そう言ってダリアがリーザの身体をもう一度寝台に寝かせれば、リーザはただ目をぱちぱちと瞬かせていた。その後、寝台から見える窓に視線を移せば、もうすっかり外は暗い。……今は、何時ぐらいだろうか?
「今、何時かしら?」
「今は夜の七時でございます。……リーザ様は、一日以上眠っていらっしゃいましたので……」
「……そう」
デジデリアの何処か疲れたような声に、リーザはそれだけ言葉を返した。……倒れて眠っていたと言われても、眠っていたような感覚はそんなにもない。ただ、夢のようなものを見ていた。悪夢のような、ものを――。
「――っつ! そうだわ、デジデリア!」
「どうかなさいましたか、リーザ様?」
「ルーカス。ルーカスのこと、覚えているわよね!?」
リーザの口から紡がれた名前を聞いた時、デジデリアは露骨に眉をひそめた。それからしばしの沈黙の後「……思い出されて、しまったのですね」とあきらめたような表情で言い、こっそりとため息をついた。その言葉を聞き、表情を見たとき。リーザは確信した。……やはり、あの空間は夢ではなく現実だったのだと。
「リーザ。ルーカスとは、誰だ?」
デジデリアとリーザのただならぬ様子を見たからか、ニコラスはゆっくりとリーザにそんなことを問いかけてくる。その表情は心底リーザのことを心配しているようであり、だからこそリーザは答え方に迷ってしまう。……ルーカスは、昔のリーザが仄かな好意を抱いていた相手。そして、それ以上に今リーザを傷つけようとした相手。それを言ってしまえば、ニコラスのことだ。暴走してしまうのではないだろうか。そんな心配から、素直に答えることが出来なかった。
「……その、彼、は――」
「呪いの術者、だろう?」
躊躇い口をパクパクとさせるリーザの言葉を引き継ぐように、ダリアはそう言ってリーザの顔を覗きこんできた。しかし、すぐに「あぁ、違うか」とだけぼやくと窓の外に視線を移す。窓から見える夜空には星々が煌めいており、この重苦しい空間とは似ても似つかない。それを憎たらしく思いながら、リーザはただ黙り込むことしか出来なかった。
「……魔女。呪いの術者は、そのルーカスという男なのか?」
「まぁ、根本はな。……ただ、ちょーっと違う」
ダリアに詰め寄るニコラスはとても不機嫌な表情をしていた。しかし、そんなものお構いなしとばかりにダリアは「術者はエウラリアとかいう女」と手のひらをひらひらと振りながら言う。その言葉に、ニコラスの表情が明らかに苦しそうなものに変わった。エウラリアはリーザを憎んでいる。だが、その根本の原因は自らが選択を間違えたからなのだ。それはつまり……この出来事が、ニコラスがもっと気を回していたら防げた悲劇だったかもしれないということ。そう思うと、黙り込むことしか出来なかった。
「ただ、その『ルーカス』という男が裏にいるというだけ。……エウラリアとかいう女は、そいつに利用されただけだ。……師匠が、そう言っていた」
そうつぶやいたダリアは、ゆっくりと歩を進める。その足が向かう方向は部屋の扉の方であり、そのまま止まることなく扉に手をかけ、出て行こうとする。
「ちょ、ちょっと待て! 対価が必要だと――!」
そうだ。確か、魔女が願いを叶えるためには対価が必要だと言っていた。だが、ニコラスはその対価を払った記憶がない。もしかすれば、後日請求が来るのだろうか。ニコラスがそう思っていれば、ダリアはその口元を楽しそうに歪め「もう、貰った」と端的に答える。
「師匠はね、人の強い気持ちを見るのが好きなんだ。あの時森に霧が出ていただろう? あれ、師匠があんたたちの気持ちを試すためにやったこと。強い気持ちがあれば、自分が助ける相手に値する。そう言う試練だったの」
「……魔女さん」
「あぁ、勘違いしないで。私はそう言うことじゃ動かない。今回は師匠が絡んでいるから、これで済ませてやっただけ。……次からは、しっかりといただくからね」
オリンドの呟きを鬱陶しいとばかりに手で払い、ダリアはその後「帰るわ」と言い残し、部屋を出て行こうとした。だが、最後に振り返ると「例の薬、効力はもうほとんど切れているよ」とだけ付け足す。その「例の薬」が何なのか。それがわかるのは……この場でニコラスとオリンド、それからリーザぐらいだろうか。
しかし、それよりも。一番に現実に戻ってきたオリンドは、ニコラスに「触れるチャンスですよ」と耳打ちし、デジデリアの腕を引いて部屋を出て行った。デジデリアは抵抗していたものの、結局最後には折れてしまったようだ。
「……リーザ」
そんな二人の様子を見届けた後、ニコラスはリーザに向き合ってみた。そうすれば、少し疲れたようなリーザがニコラスに微笑みかけてくれる。その微笑みを美しいと思いながらニコラスは口を開いたのだが――自らが無意識に言っていた褒め言葉は、出なかった。
「旦那様、ありがとうございました」
「……リーザ、俺は」
だが、そんなニコラスのことも気にした風もなく。リーザはただにっこりと笑って「私、旦那様のことを信じておりました」と続けてくる。その目は本当にそう思っているようであり、ニコラスはただ「……そうか」と素っ気なく言うことしか出来ない。
「それに、私夢を見ましたの」
「……夢?」
「いえ、夢と現実の狭間という方が、正しいのかもしれませんが……」
少し考えこみながら、リーザは天井を見上げる。すっかり見慣れてしまった天井は、見ていて安心する。だからこそ、リーザはあの空間のこともルーカスのことも、ニコラスに話す決意が出来た。
「……私、とある男性に好意ゆえに殺されかけたことが、あるのです」
嚙みしめるようにリーザがそう告げれば、ニコラスの目は明らかに揺らいだ。
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