悪夢と元専属従者(2)
『リーザお嬢様! お待ちください!』
『リーザお嬢様は、誰よりもお優しくてお綺麗な、素敵な方ですよ』
『この世の中なんて、理不尽なことばっかりなくせに……!』
リーザの脳内になだれ込んできたのは、ルーカスが『過去に』リーザに告げた言葉の数々。ルーカスはいつだってリーザのことを最優先した。リーザのことを褒めてくれた。それは、従者だからこそ主であるリーザのことを優先していた……と、リーザは信じていた。あの日、二人の関係が壊れるまでは。
「お嬢様。何故、俺のことを怯えたような目で見るのですか? 俺とお嬢様は想い合っていた……違いますか?」
「ち、が……」
――違う。
そう言えれば良かったのに。リーザの口からは、ルーカスを拒絶する言葉は出てこなかった。確かに、リーザはあの頃仄かな気持ちをルーカスに抱いていた。恋にもならない、淡い気持ちを。それを忘れていたのは、ルーカスに関わる記憶だからだろう。
「……けど、俺とお嬢様では結ばれない。だから、俺はお嬢様と心中しようとしました。なのに、あのクソ女に見つかって、俺は解雇。お嬢様の記憶から俺は消えてしまった」
やれやれとでも言いたそうな表情を浮かべながら、ルーカスはリーザのことを強く抱きしめてくる。ルーカスの言う「クソ女」は、デジデリアのこと。それは、リーザにも分かる。あの日、ルーカスに襲われそうになり助けてくれたのはデジデリアだった。
「わた、し……」
すべてを、思い出してしまった。信頼していた専属従者に襲われそうになり、リーザはパニックになってしまった。それ以来、何もかもに怯えるようになってしまい、普通の生活をすることさえできなくなって。だから、両親は魔法使いに高いお金を払い、リーザの記憶の中から『ルーカス』に関わることだけを削除したのだ。その結果、リーザはこの日まで何もかもを忘れていた。
「……いや、さらない、で……!」
あの日のことは、今ならば鮮明に思い出せる。深夜にリーザの私室に忍び込んだ、月に照らされたルーカスの表情も。煌めいたナイフの色も。ルーカスの狂気に満ちた目も。今ならば全て思い出せる。その記憶の所為で脳内がパニックを起こしそうになり、リーザはぎゅっと唇をかみしめた。大丈夫、大丈夫。だいじょ、うぶ? 自分に言い聞かせようとしていた言葉に、疑問符がつく。もしも、自分が一生目覚めることが出来なかったら。自分は、ずっとルーカスとこの箱庭の中で生活しなくてはならないのだろうか。
「お嬢様が婚姻したと、噂で聞きましてね。しかも、その相手はグリーングラス公爵家の人間だと。……ふざけるなって、思いましたよ。身分があれば、お嬢様のことを手にできるのか。本当にこの世はクソで理不尽だ。……だったら、あの男を消せばいい。そう、思った」
リーザの背を撫でながら、ルーカスはそんなことを言いだす。背中を撫でる手つきは優しいものの、リーザの身体から震えは消えない。ポロポロと涙がこぼれはじめ、唇がわなわなと震える。怖い、怖い、こわい。そんなことばかりが脳内を支配し、何も言えなくなる。
「そのためにあの女――エウラリアとか言う奴を利用したのに、あの女選択を間違えるのだから笑えませんよね。……まぁ、結果オーライ。俺とお嬢様の箱庭が完成したので、構いませんよ」
そんな言葉の後に、けらけらと笑い出すルーカスがリーザには何よりも怖かった。ルーカスの手が、好きだった。ルーカスの声が、好きだった。それでも、今はそれらすべてが恐怖を煽る対象でしかない。放してほしい。そう言いたいのに、口からは声が出ない。
「お嬢様。好きです。もう、二度と――」
「――いやっ!」
ルーカスの手が、リーザの頬に触れそうになった時。リーザは声を絞り出し、手に力を込めてルーカスの手をはたき落とした。そうだ。自らに触れていいのは、ニコラスだけ。それ以外の男になど、触れられたくもない。
「わ、私に触れてもいいのは、ルーカスじゃないの。だから……放しなさい!」
そう思ったら、恐怖心は徐々に消えていく。ニコラス以外に触れられるぐらいならば、自害を試す覚悟だった。特に、このルーカスには触れられたくない。そんな意思からリーザはルーカスを睨み、そしてその腕の中から抜け出した。
「……逃げられると、お思いで?」
「逃げられるとか、そう言うことじゃないのよ。私、旦那様のことを信じているの。……あの人だったら、きっと――」
――何とかしてくれるって。
そう叫び、リーザがルーカスのことを突き飛ばしたときだった。空間が露骨に歪み始め、家具や壁が崩れていく。ガタガタと崩れる壁や家具は、砂になって消えていく。
「ちっ、あと少しだったのに……。まぁ、お嬢様が俺のことを思い出してくれただけでも上々か。……けど、後悔すると良いですよ。俺のことを拒絶したこと」
「どういう意味、なのよ」
「いえいえ、そのままの意味ですよ。……俺はあの男を許さない。お嬢様を俺から奪った、あの男を」
それだけを残し、ルーカスの姿がゆらゆらと揺らめき消えていく。それを見ていると、リーザに抗いがたい眠気が襲ってきて。その場で倒れこむように眠ってしまう。眠る前のリーザが最後に聞いた言葉は、ルーカスのもの。ただ一言「好き」という言葉。それを振り払うように眠りに落ちたリーザが、次に目覚めると――。
「リーザ!」
そこは、ドローレンス伯爵家にある私室の寝台の上だった。
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