本当の夫婦に


「本当……夫婦?」

「あぁ、そうだ。契約ではなく、本当の夫婦」


 ニコラスはそう言って、リーザの目をまっすぐに見つめてきた。その曇りのない瞳に、リーザの心がざわめいていく。リーザだって、最近ニコラスとの関係を変えたい、このままではダメだと分かっていた。このまま契約結婚という関係を続けても、辛いことにしかならないだろう。別れるのならば、別れる。本当の夫婦になるのならば、なる。そう、決めたかった。


「……その、本当に、旦那様は私でよろしいのでしょうか……?」


 しかし、リーザはイマイチニコラスの妻に自分が相応しいとは思えなかった。理想の結婚相手と恋の相手は違う。ニコラスの妻として、自分よりも相応しい女性がいるのではないだろうか。そう、思ってしまうのだ。何故ならば、リーザは所詮子爵令嬢。ニコラスとの身分差が……どうしても、気になってしまう。


「あぁ、リーザが良い。リーザじゃないと、ダメだ」


 なのに、ニコラスはまっすぐにリーザを見つめたまま、真剣な表情でそう言ってくる。薬のせいで、ニコラスはリーザに本音しか言えないはずだ。それが分かっていたからこそ……リーザは顔を真っ赤にして俯いてしまった。何故、ニコラスはこんなにも自分のことを好くのだろうか。何故、ニコラスはここまで不器用にも愛してくれるのだろうか。そんなことを脳内によぎるが……そんなことを素直に問いかけられるわけもない。なんだかんだ言っても、リーザも素直ではないのだ。


「……そ、その、分かりまし、た。私も……旦那様と、本当の夫婦になりたいと……思い、ます」


 そのため、リーザは俯いたままそう言うことしか出来なかった。ぎゅっと手のひらを握って、意を決したようにニコラスを見つめ返す。二人の視線がばっちりと合うものの、どちらともなく視線を逸らしてしまう。なんだか、照れ臭かったのだ。


「では、そのためにはまずエウラリア嬢のことを解決しないと……いけないな。そして、シルヴェリオにも感謝しないといけない。……俺に、リーザを託してくれた」

「……そんな、大袈裟、ですよ」

「いいや、俺はシルヴェリオのことを今まで好意的には思っていなかった。だが……感謝したいと、今ならば心の底から思える」


 そう言いながら、ニコラスは庭に咲き誇る花々に視線を向けた。リーザが来て以来、この邸の庭に咲く花のラインナップは大きく変わった。前まではあまり派手な色合いのものはなかったが、今ではとても華やかなものになっている。庭師が、リーザの意見を尊重して作り上げたためだ。


「リーザは、この家に元気を取り戻してくれた。使用人たちも、リーザのことを気に入っている。……だから、この家の女主人はリーザじゃないと務まらない。この家にはリーザが必要だ。……リーザを、失うわけにはいかない。なので、シルヴェリオに感謝する」


 ニコラスはリーザの手を握り締め、そんなことを告げた。その真剣なまなざしに、リーザはまたしても真っ赤になってしまう。元より、ニコラスはとても顔が良いのだ。見慣れていても、こんなに真剣に見つめられると……いろいろと、考えることはあるのだ。


「珍しいですね。旦那様が、そんなにも素直に感謝の言葉を口にされるなんて。それも、シルヴェリオ様に対してなんて」

「……たまには、いいだろう」


 照れ隠しの意味があったリーザの指摘に、ニコラスは顔を背けながらボソッとそう返す。そんな自分の声を聞いた時、ニコラスはふと不思議な気分に陥ってしまった。


(……今、俺の口は勝手に動いていなかったよな?)


 そう思い、ニコラスはもうあの薬を飲んでから二ヶ月以上経っていることを思い出した。もしかしたらだが……薬の効力はすでに弱り始めているのではないだろうか。そう思い、ニコラスが目をぱちぱちと瞬かせているとリーザが不思議なまなざしで顔を覗きこんでくる。そして「どうかしましたか?」などと問いかけてくるので、「い、いや、なんでも、ない」と誤魔化しておいた。


(そもそも、薬の効力が切れて、俺はこのままでいられるのか……?)


 その後、そんな不安もよぎってくる。自分は素直じゃない。それは、自分が一番わかっていることだ。だからこそ、このままリーザに素直な気持ちを伝えられるかは分からない。一瞬そう思ったが……このまま素直になれることを、願おう。それに、リーザにはすでに自分の気持ちは伝わっているのだ。今更照れ隠しする必要などない。


「旦那様?」

「いや、何でもない、リーザ。……これから、警戒しないといけないなと思っただけだ」


 口元を緩めながら、ニコラスはそう言う。いいや、そう言うことしか出来なかった。薬の効力が切れかかっていても、素直でいられるために。いずれは自分の意思で気持ちを伝えたい。そう思う気持ちが、確かにあったから。


(さて、エウラリア嬢はどう出てくるか……)


 それから、ニコラスは俯きながら心の中でそうぼやいた。エウラリアの性格を考えるに――正面からぶつかってくることが多いだろう。しかし、シルヴェリオに協力を仰いだこともあり、何かが違う気もする。その「何か」はよくわからない。それはまるで――何かが、喉に引っかかったような気分だった。

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