リーザの不安


「旦那様……」


 シルヴェリオが帰ってから約五分後。リーザはふとニコラスに声をかけた。ニコラスは何かを考え込むような強張った表情でただ俯いている。そんな表情を見たからこそ、リーザはニコラスに声をかけていた。


 ――この人は、真面目過ぎるが故に無茶をする。


 最近、リーザはニコラスの本質に気が付き始めていた。ニコラスは、リーザのことになると周りが見えなくなるほど取り乱す。そして、とんでもなく無茶をする。そのため、自分がストッパーにならなくては。それが、リーザの不安だった。


「リーザ、どうした?」

「……い、いえ、旦那様が怖いお顔をされているので……」


 リーザは、ようやく自身に視線を向けてくれたニコラスに、笑みを向ける。すると、ニコラスはようやく表情をふっと緩めてくれた。そんなニコラスに、リーザは安心すると同時にやはり不安を覚えてしまう。自分の身に何かがあるのは、別に構わない。問題は――ニコラスの身に何かがあることだ。ニコラスはグリーングラス公爵家の令息で、このドローレンス伯爵家の当主。そう簡単に失っていい存在ではない。


「……私、心配なのです」


 そんなニコラスに、リーザはゆっくりと声をかけた。ぎゅっと手のひらを握り締めて、ニコラスとしっかりと視線を合わせる。そんなリーザを見てか、ニコラスは「……何が、心配なんだ?」と優しく声をかけてくる。その際に手を伸ばし、リーザの手に自身の手を重ねた。前までならば、ニコラスはきっとこんな行動を出来なかった。それは、ニコラスにもリーザにもわかっていた。


「リーザは、何も心配しなくていい。俺が絶対に何とかして――」

「――それですよ」


 ニコラスがリーザを安心させようとした時、リーザはニコラスから視線を逸らし「……旦那様が無茶しないか、心配なのです」と震える声で告げていた。


「旦那様、私のことになると周りが見えなくなるじゃないですか。あと、暴走します」

「……そんなことはないだろう」

「いいえ、絶対にそうです。グリーングラス公爵家でも、暴走されていたではありませんか」


 リーザのその言葉を聞いて、ニコラスは気まずくなって視線を黙って逸らすことしか出来なかった。あの時の行動は、ニコラスにとって完全に「恥」にカウントされていた。何よりも、兄に見られたことが「恥」だった。


「なので、私心配なのです。また、旦那様が無茶をされないかって……」

「……リーザは、自分の身よりも俺の身を心配してくれるのか?」

「あたりまえじゃないですか。私なんて、この際どうなっても構いませんから」


 自分の胸に手を当てながら、リーザはニコラスに微笑んでそう告げた。それは、リーザの紛れもない本音だった。自分の身よりも、ニコラスの身の方が大切。そう、思い込んでいた。だが、それは――ニコラスからすれば問題のある言動だった。


「いや、リーザのことも大切だ。……そんな風に、自分のことを雑に扱うな」

「……ですが」

「俺に無茶をするなというのならば、リーザも無茶をするな。……自分一人が犠牲になれば、なんて思うな。……それだけは、約束してくれ」


 まっすぐにリーザの目を見つめて、リーザの髪に手を伸ばしながらニコラスはそう告げた。その最中に、庭に咲き誇る花々は風に揺れている。気まずくなり、リーザはその花々に視線を移してしまう。リーザ好みの花ばかりが植えられた庭は、リーザの心を落ち着けてくれた。


「……分かりました、お約束します。でも、旦那様もお約束を守ってくださいね?」

「……あぁ、一応な」

「その一応って、不穏ですね」


 クスクスと声を上げながら、リーザはそう笑う。そんなリーザの笑みに見惚れながら、ニコラスはゆっくりと深呼吸をして自分の手の甲を思いっきりつねった。今ならば、リーザに触れてもいいのではないだろうか。だが、そんなことをしてしまえばリーザに逃げられてしまうかもしれない。そう、思ってしまう。ニコラスは変なところで臆病なのだ。……まぁ、そうでなければこの『契約結婚』などはお願いしないだろうが。


「なぁ、リーザ。……頼みが、あるんだ」


 だから、自分の気持ちを誤魔化すかのようにゴホンと一度だけ咳ばらいをして、ニコラスはリーザにそう告げた。すると、リーザは「何でしょうか?」とニコラスに視線を向けながら言ってくれる。その綺麗な瞳に吸い込まれてしまいそうな錯覚を起こしながらも、ニコラスはこの間からずっと思っていた言葉を口にする。


「リーザ。今回のことが解決したら何だが……。どうか、俺と本当の夫婦になってくれないか?」


 それは、ニコラスがずっと前から願い続けていたことだった。

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