第二章
ニコラスの溺愛とリーザの戸惑い
ニコラスがリーザに素直な言葉しかぶつけられなくなって、早十日が経った。初めは屋敷中を騒がせていたニコラスの変化だが、現在ではほとんど落ち着いている。むしろ、ニコラスを応援するような声が使用人の中では上がっていた。ちなみに、ここまではオリンドの想定内だ。使用人たちから好かれているリーザを逃がすまいと、きっと使用人たちも必死になると思っていたのだ。
「おかえりなさいませ、旦那様」
そう言って、いつものようにリーザが笑みを浮かべながらニコラスを出迎える。この日、ニコラスは騎士の仕事があった。伯爵と騎士の仕事を掛け持ちしているニコラスは、週に三、四日程度騎士の仕事をしている。毎日ではないのは、伯爵の仕事を蔑ろにしないため。まさに、真面目なニコラスらしい決め事だ。
「……ただいま、リーザ」
自らを出迎えてくれるリーザを見つめながら、ニコラスは優しい声音でそう言う。その瞬間、リーザの視線が露骨に彷徨う。大方、照れているのだろう。それは、ここにいる誰もが容易に想像が出来ることだった。その予想通り、リーザの心臓はバクバクとやたらと大きな音を立てている。リーザだってうら若き乙女。美形には弱いのだ。
「だ、旦那様……」
「あぁ、そうだリーザ。これ、プレゼントだ」
「……え?」
何の前触れもなく、ニコラスはそう言ってリーザに紙袋を手渡してきた。それを受け取りながら、リーザは戸惑ってしまう。今日は、何かあっただろうか? そう思いながら、紙袋の中を見つめる。そこには透明な箱に入った髪飾りが入っていた。真っ青な薔薇をモチーフにした少々小ぶりな髪飾り。それを見たとき、リーザの直感が働いた。――これは、かなり高価なものだと。
「あ、あの、旦那様? 本日は、何かあったでしょうか……?」
こんな高価なもの、何でもない日に渡すわけがない。そう思いながら、リーザはその髪飾りが入った紙袋を、とりあえずとばかりにデジデリアに手渡し、「鏡台の前に飾っておいて」と指示を出す。この髪飾り一つで、いったいどれだけの値段がしたのかは考えたくもなかった。
「いいや、特に何でもない日だ。……ただ、見回りの休憩時間に偶然見つけてな。リーザに似合いそうだなって思ったから、買ってきた」
リーザの問いかけに、今度はニコラスが視線を逸らしながらそう答える。……似合いそうだからと言って、こんなにも高価なものをポンポンと買うの……? 一瞬リーザはそう思ったものの、ニコラスは天下のグリーングラス公爵家で生まれ育った。今でこそ身分は伯爵だが、元は公爵家の令息。金銭感覚はリーザとはかなり違うだろう。互いに尊重し合わないと、夫婦という関係は続かない。そう思い直し、リーザは「ありがとうございます」と素直にお礼を言うだけにとどめておいた。正直に言えば、あの髪飾りをつけて出歩くのは(落とすのが)怖くて無理だが。
「……リーザは、今日も綺麗だな。そのワンピース、とても似合っている」
「あ、ありがとう、ございます……」
いつだってニコラスは突然だ。リーザはそう思いながら、ニコラスの褒め言葉を素直に受け取っていた。ここ数日で、リーザもニコラスの変化に適応できたと思う。褒め言葉に、一々照れることは無くなった。まぁ、その美しすぎる顔には未だになれないのだが。
「そのワンピースは新しいものか? 今まで見たことがないものだが……」
「えぇ、新しいものです。……ですが、旦那様よく分かりましたね。私の装いが新しいものかなど……」
「リーザの装いは大体覚えている。何を着ても似合うからな。……いつも、脳裏に焼き付けていた」
何でもない風にそう言うニコラスに、リーザは唖然としてしまった。なんだ、脳裏に焼き付けるとは。まさかだが、このニコラスという男は自分の装いを全て覚えているのか……? そんなことを思うリーザは、ふと周りにいる使用人たちが少なくなっていることに気が付いた。大方、リーザとニコラスに気を遣ったのだろう。……いらぬお世話だ。そう、リーザは思ってしまった。
「リーザは、とても美しいな。まるで女神か何かと見間違えてしまいそうだ」
「……旦那様、やはり頭がおかしくなったのではありませんか?」
「いいや、おかしくなんてなっていない。……リーザが、それほどまでに魅力的だということだ」
ここ数日何度交わしたか分からない言い合いをしながら、ニコラスは幸せをかみしめていた。元々、脳内ではずっと前からこんな言葉が癒えていたのだ。それが現実になったという嬉しさやら感動やら。その感情をかみしめていると、もうこの際羞恥心など些細なものだと思えるようになった。リーザの照れたような表情や、戸惑ったような表情。ここしばらくで新しい表情をリーザはたくさん見せてくれた。それが……幸せを加速させる。
「だ、旦那様、とりあえず……ここは玄関ですし、この後ちょっとだけお茶でもしません……か?」
さらに、リーザにそう言われれば騎士の仕事の疲れなど吹っ飛んでしまう。ここ数日、リーザはこうやって度々お茶に誘ってくれるようになった。もしかしたら、少しだけ近づけているのではないか……と思ったのだ。
(げ、玄関でこんなことをしていたら、日雇いの人たちにバレるのも時間の問題だわ……)
しかし、リーザのお茶の誘いはこういうことが理由だった。まさに、完全なるすれ違い。知らぬが仏である。このお茶のお誘いに関して、二人は互いの気持ちなど知らなかった。その結果、見事な勘違いを起こしていた。まぁ、それでもきっと――ニコラスは、幸せなのだろうが。
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