これって契約結婚……でしたよね?
☆★☆
「リーザ、おはよう」
「……おはようございます、旦那様」
リーザがあの夢を見た次の日の朝。リーザがいつものように朝食の席に向かうと、そこにはすでにニコラスがいた。ニコラスの表情はいつものようにきりりとした凛々しいものだが、その声音は甘いものだ。それに戸惑いながら、リーザは自身の席にゆっくりと腰を下ろした。ニコラスは相変わらずリーザのことを見つめてくる。それに居心地の悪さを感じながら、リーザは出された朝食に手を付け始めた。
(と、とりあえず、一番言いたいことだけはいい加減言わなくちゃ。頑張るのよ、私!)
心の中でそう唱え、リーザはパンを千切り口に入れた。リーザの言いたいこと。それは、この結婚についてのことだった。リーザは当初『契約結婚』という形でニコラスに嫁いだ。その契約は、リーザとニコラスの双方にメリットがあるもの。だからこそ、リーザはその契約を受け入れた。しかし、このままではリーザがニコラスのことを好きになってしまう。そうなってしまえば……この契約は、いったいどうなってしまうのだろうか。
「だ、旦那様。少々、言いたいことがあるのですが……よろしいでしょうか?」
サラダを口に運び、咀嚼をして飲み込む。その後、意を決してリーザは口を開いた。ニコラスの鋭い眼光がリーザを射抜き、少しだけビクッとしてしまう。元々、リーザはニコラスの鋭い眼光を怖いとは思わなかった。それでも、今は何もかもを見透かされているような気がして怖くなってしまう。
「なんだ、リーザ」
しばらくして、それだけの言葉を返されてリーザはほっと心の中で一息をついた。そして、ゆっくりとニコラスを見つめる。鋭い目。綺麗な短い髪。顔立ちは間違いなく整っている。こんな人が旦那様だなんて、きっと周りは「羨ましい」と思うのだろう。それでも……リーザはこれを『契約結婚』だと割り切ろうとしている。だから、そう。今の褒められまくりの生活の方が、おかしいのだ。
「……旦那様。これは『契約結婚』でしたよね? つまり、いずれは別れる関係なのでございます」
「っつ!」
「ですので、無理に私のことを褒めないでください。……別れるのが、辛くなってしまう」
リーザは起きてから考えていたことを、とりあえず口にした。きっと、ニコラスは無理をしてリーザを褒め続けている。そう、リーザは判断したのだ。もしかしたら、ニコラスはこの『契約結婚』を少しでもいいものにしたいと思っているのかもしれない。しかし、それではリーザが別れるときに辛くなってしまうだけだ。……それは、リーザにとって不本意なことだった。
「……リーザ」
「私はこの結婚に不満なんてないのです。なので――」
「――リーザ!」
俯いて、自らの思いを吐露していたリーザに対して、ニコラスはおもむろに椅子から立ち上がった。そして、そのままリーザの側に歩み寄ってくる。それにはリーザも、控えていた使用人たちも驚くしかなかった。ニコラスはマナーにはうるさい方だ。食事の最中に意味もなく立ち上がることなどありえない。
「……リーザ、すまない」
「……へ?」
だが、その後のニコラスの行動が意外過ぎて。そんなことは些細なことに思えてしまった。ニコラスは、リーザの前に跪くとただ静かに頭を下げて謝罪の言葉を述べたのだ。その謝罪の言葉に驚き、リーザが目をぱちぱちと瞬かせていると、ニコラスは視線を逸らしながら、少々恥ずかしそうにリーザに話し始める。
「……その、リーザ。『契約結婚』というのは……建前だったんだ」
「……建前、とは?」
「俺はずっとリーザが好きだった。だが、素直になれなかった。それでも、リーザのことは手に入れたかったし、諦めたくもなかった。だから……『契約結婚』なんて言ってしまったんだ」
その後のニコラスの説明は、リーザが初めて聞くことばかりだった。ニコラスは実はずっとリーザに片想いをしていたということ。本当は心の底から夫婦になりたいと思っているということ。『契約結婚』を持ち出したのは、一時期でも一緒に居られればいいという考えからだったこと。しかし、欲が出てしまったということ。様々な情報を脳に詰め込まれて……リーザの脳内は軽くパニックを起こしてしまった。
(……だ、旦那様が、私を、好き……?)
リーザの目の前に跪いている男性は、とても見た目麗しい人だ。リーザは自分を平々凡々だと思い込んでいる。だからこそ、自分がこんな素晴らしい人に好かれる要素などないと、思っていた。
「わ、私、平々凡々で……」
「いいや、リーザは世界で一番美しい」
「旦那様のお隣には、並べない……」
「リーザ以外を隣に並ばせるつもりは一切ない」
「そんな嘘偽りのお言葉――」
「――これは、すべて俺の本心だ」
あぁ言えばこういうとは、きっとこういうことなのだろう。リーザとニコラスは朝食のことなどすっかりと忘れてしまい、そんな風に言い合いをしていた。ニコラスは馬鹿みたいに真面目だ。それはリーザにだって分かっている。嘘偽りで人の心を弄ぶような言葉を言わないということは、分かっている。それでも……未だに、信じることが出来なかった。
「リーザ。今までの態度からすれば信じてくれないのは当然だと思う。だが、これだけは言わせてくれ」
――リーザのことが、ずっと好きだったんだ。いや、今では愛しているといっても過言ではない。
使用人の目も気にせずに、ニコラスはそう言うとぎこちない動きでリーザの手の甲に口づけを一つ、落としてきたのだった。
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