心臓がもたないですってば……!


 ☆★☆


『リーザは美しいな。まるで女神みたいだ』

『リーザの髪は綺麗だな。俺が見た中で、一番だ』

『リーザ、大好きだ』


 そんな風に熱烈に愛を告げられて――リーザは、寝台から飛び起きた。


 そして、自分の頬を叩きあの言葉が夢だと理解して、少しだけ安心する。だが、完全に安心することも出来なかった。何故ならば、これは現実でも言われていた言葉だったからだ。その言葉を思い出すたびに、リーザの心臓はバクバクと忙しなく音を立てる。必死に胸を押さえても、その音が鳴りやむことはなかった。


「な、なんで……」


 どうして、夢にまでニコラスが出てくるのだろうか。そう思いながら、リーザは寝台から降りて水を飲むことにした。いつものように寝台の横にあるテーブルに置いてあるポットでコップに水を注ぎ、喉を潤す。リーザとニコラスは『契約結婚』の為、寝室は別なのだ。ここ数日、ニコラスはそれに不満を漏らすようになったものの、リーザの覚悟が決まらないためまだこのままになっている。……時間の問題に、なっている気もするのだが。


「うぅ、無理、むりぃ……!」


 水で喉を潤し寝台に戻るものの、すっかり目が覚めてしまい眠るに眠れなくなってしまう。ここは羊でも数えるかと思ったものの、それをするとリーザは余計に眠れなくなってしまうため、それは止めた。でも、何か別のことを考えていないと頭の中に浮かぶのはニコラスのことばかりだ。今日も、昨日も。ここ数日ニコラスは人が変わったかのようにリーザに甘い言葉や褒め言葉を、告げてくる。それが……リーザの心をかき乱す。リーザの心臓が落ち着かない理由だった。


「あんな風に言われたら、心臓が持たないのよ……本当に」


 そう零し、リーザは寝返りを打つ。オルコット子爵家にいた頃よりもずっと立派で大きな寝台は、これでも一応一人用らしい。初めに見たときに「これは二人用だろう」と思ったのも、今ではもう懐かしい記憶だ。


「う、うぅ、旦那様が突然あんなことをおっしゃるようになるなんて、誰が想像をしたのよ……!」


 契約結婚を頼まれたときも。挙式の時も。結婚して一ヶ月が経った時も。ぶっきらぼうで、素っ気なかったニコラス。なのに、ある日突然甘い言葉やら褒め言葉を、リーザに投げつけてくるようになった。それは、リーザから見れば豹変したようにも見えてしまい、リーザは全く落ち着けなくなってしまった。ニコラスを避けようかと考えたものの、使用人たちに不自然に思われたくなかったため、結局いつものように向き合ってしまうのだ。……ニコラスもニコラスで、バカみたいに真面目だが、リーザもリーザでバカみたいに真面目なのだ。


「……そもそも、これって『契約結婚』じゃなかったかしら……? あんな風に愛を告げられたり、褒められたりしたら、愛されて求められて結婚したって勘違いしちゃいそうになるわよ……!」


 リーザはそんなことを一人ぶつぶつと呟きながら、ぎゅっと目を瞑った。ニコラスはリーザに対して褒めたり愛を告げたりするようになったが、その表情はまだぎこちない。その表情は、リーザからすればとても可愛らしいもので。大の男を可愛らしいなどと思うリーザの感覚を疑ってしまいそうだが、それでもリーザは真面目にそう思っていた。あの少々戸惑ったような表情が、可愛らしい。照れたような表情が、可愛らしい。一度そう思ってしまえば、その感覚だけが脳内に残る。


「……このままだったら、別れる時が辛くなる……気がする、わ」


 次に天井を見上げて、リーザはそんなことを零した。これは『契約結婚』なのだ。いずれは別れる時が来る。だが、情が移ってしまえば間違いなく別れが辛くなってしまうだろう。……今までの関係ならば、別れるのは辛くなかった。しかし、今でも少し……別れるのが辛いなぁと思ってしまうのだ。それは、リーザ自身にも意外なことだった。


「もう、さっさと離縁してしまった方が良いのかしら……? 私が旦那様を好きになる前に、別れてしまった方が楽な気もするわ……」


 リーザはそうつぶやいて、また目を瞑った。この家の使用人たちは、とても優しい。だから、別れるのは正直に言えば嫌だ。でも、ニコラスを本気で好きになってしまってから別れるよりは。そう、思ってしまった。


「でも、契約は契約。その分のお金まできっちりともらっちゃったしなぁ……。本当に、どうしたらいいのかな……?」


 そうつぶやいたリーザに、凄まじい眠気が襲ってくる。特に眠気に抗う必要もなかったリーザは、その眠気に抗うことなく眠りに落ちていく。


 だが、この時に見た夢にもニコラスが出てきてしまい……リーザは、結局ぐっすりと眠ることが出来なかった。

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