リーザは戸惑う


 ☆★☆


「な、な、なっ!」


 その頃、リーザはニコラスの執務室を飛び出したのち、自室に閉じこもっていた。ただその顔を真っ赤にしながら、近くにあるソファーに腰を下ろしそこにあったクッションをたたいて気を紛らわせようとする。しかし、全く気は紛れてくれない。だからこそ、早々に気を紛らわせることを諦め、どうしてニコラスがあんなことを言ったのかを考えていた。


「……旦那様は、冗談であんなことをおっしゃるようなお方ではないのよね……」


 それは、リーザにだって理解していた。ここ数ヶ月関わってきただけでも、ニコラスの真面目さはリーザにはよく伝わっていた。いや、いささか真面目過ぎるとも言えるのだが。伯爵としての仕事も騎士としての仕事も一切手を抜かない人だ。そう、使用人たちに教えてもらった。


「何よ~。いきなりあんなことを言われたら……こっちだって、戸惑うに決まっているじゃない!」


 リーザはクッションに顔をうずめながら、そんなことを叫ぶ。幸いにもクッションが声をうまく吸収してくれているのか、大声にはならなかった。だが、リーザの心は休まらない。リーザは、この結婚に「愛」ではなく「お金」を求めた。そのため……あんなことを言われる筋合いはないと思っていたのだ。


「リーザ様!」

「……デジデリア」


 それから数分後。デジデリアがようやくリーザに追いついた。リーザはとんでもないスピードで走り去ってしまったこともあり、デジデリアは完全に置いて行かれていた。しかも、リーザを見失ってしまったためどこにいるか分からない状態である。その状態でリーザを素早く見つけ出せたのは、リーザのことをそれほど理解しているということからだろう。


「リーザ様。いきなり走られては困ります。それに……その、とんでもないスピードでしたので……」

「え、えぇ、そうよね。ごめんなさい」


 クッションに顔をうずめながら、そう言うリーザを見てデジデリアは大体のことを察した。リーザは異性に対する免疫があまりない。だから、あんなことをいきなり告げられて驚いているのだろう。それは、デジデリアにだってよくわかっていた。今まで素っ気ない態度ばかり取ってきた男が、いきなり褒めてきたのだ。驚くか不気味に思うかの二択である。


「……リーザ様。顔が真っ赤ですよ?」


 ふと顔を上げたリーザに、デジデリアがそんな指摘をする。すると、リーザはまたクッションに顔をうずめてしまった。そして、ポツリポツリと本音を零し始める。それは、デジデリアを信頼しているからこそ零した本音だった。


「……だ、だって、旦那様はとてもお顔がよろしいのよ? しかも、至近距離であんなことを言われたら……誰だってこうなっちゃうと思うのよ。その、私、柄にもなく、どきどきしちゃって……!」

「リーザ様……」


 そんなリーザの態度は、恋を覚えたばかりの戸惑う乙女のようで。その大人っぽい容姿とのギャップがまた人々を魅了させそうだ。そんなことを考えながら、デジデリアは息をのむ。なんといっても、リーザに一番魅了されているのはデジデリアなのだ。


「リーザ様。ニコラス様が何故いきなりあんなことをおっしゃったのか、理由は分かりますか?」

「いいえ、分からないわ。私はいつも通り接していたのだけれど……。離縁を早めてほしいなんて言っていないし、主張もしていないわ」

「……そうでございますか」


 デジデリアはそう返事をしながら、リーザの様子を窺う。頬を紅潮させ、クッションに顔を押し付けるその様子は……とんでもなく、可愛らしい。自分が男だったら、襲ってしまいそうだ。そんな余計なことを考えながら、デジデリアはコホンと咳ばらいをした。それは、そんな邪な感情を消すためのものだった。


「では、ニコラス様のご冗談ということは……?」

「それもないわ。旦那様、バカみたいに真面目だもの。冗談で人の気持ちを弄ぶようなこと、おっしゃるわけがないわ」

「そうですよね……」


 リーザの言葉に、デジデリアも同意することしか出来なかった。ニコラスは真面目が服を着て歩いているような男なのだ。いきなりそんな性質の悪い冗談を言うわけがない。


「……は、まさか、旦那様――」

「リーザ様?」

「旦那様、何か悪いものでも召し上がったのかしら!? それで、頭がおかしくなられたのでは!? そうよ、そうに決まっているわ。私なんかを美しいっておっしゃるのだから、頭がおかしくなったのか目がおかしくなったのよ!」


 いきなりソファーから立ち上がり、そう言いだすリーザにデジデリアは唖然とすることしか出来なかった。リーザは自分の容姿に対して執着がない。だからだろうか、自分の容姿がとびきり優れていることに気が付いていないのだ。リーザは、自称・平々凡々な容姿の持ち主だから。


「……リーザ様。それはさすがにないかと……」

「いいえ、きっとそうに決まっているわ! 旦那様、何かおかしなものでも召し上がったのよ。それか、何かお薬でも混ぜられたのではないの!?」

「いや、それは非現実的すぎて……」


 デジデリアはそう言って否定をするが、そのリーザの言葉は味正解だった。ただし……その薬が悪い薬なのか良い薬なのかは、置いておくとして。


「お医者様をお呼びしましょう! デジデリア、お願いできる?」

「いや、ですから……まずはご本人にお話を聞きましょうよ……」


 今にでも医者を呼びに飛び出しそうなリーザを宥めながら、デジデリアはただ静かにため息をついていた。


(本当に、リーザ様はまっすぐなのですから……)


 そう思いながら、デジデリアはこの混乱を生んだ張本人であるニコラスを、心の底から恨むのだった。

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