第13話 美しき銀の姫 2
「え? ルカ、ここで暮らすの……?」
「そうよ? だって、傍にいなきゃ生徒とは呼べないわ」
目を点にしながらクルツが問うと、ルカは然も当然といった態度で返した。
王都では生徒が先生の家で共に暮らしながら技術を学ぶのだろうか。そんなワケない。全部ルカが勝手に言い張っているだけの事である。
「ワウ……」
騙されるな、とばかりにジジが鳴き声を上げるが、ルカは笑顔でジジに顔を向けた。
「ジジ? 私が一緒に暮らす事に賛成してくれるわよね?」
そう言いながら、彼女はバッグの中から『密封袋』と呼ばれる魔導具を取り出した。
黒色の柔らかい袋で、材質は魔獣の素材を組み合わせて作った魔法物質製。この袋の中に物を入れると匂いが漏れず、しかも生物でも日持ちする――数日くらいだが――という優れものだ。
封を開けた瞬間、ジジの耳と尻尾がピンと伸びた。ルカが袋から取り出したのはコカトリスの肉の燻製。しかも、極上品質のチップを使った高級仕様。王室御用達の称号を持つ燻製肉である。
味の違いが分かる賢い黒狼は舌を出しながら燻製に釘付けだ。ヘッヘッヘ、と荒い息を零しながら「くれるんか!? それ、くれるんか!?」と興奮し始めた。
「私がここに住めば、高級肉が食べ放題」
ルカはそっとジジの耳に口を近づけ、そう囁いた。
「ワオオオオンッ!」
珍しくも遠吠えを発したジジは、ルカから受け取った燻製肉に喰らい付く。
買収だ。黒狼は圧倒的な財力を持つ権力者に買収されてしまった。
「クルツ、ダメ?」
最大の障害を排除したルカはクルツに対して上目遣いで迫る。ただ、クルツはそこらにいるチョロい男とは違った。
殺人級のあざと可愛い上目遣いに対し、下心のある考えを抱かず苦笑いを返すだけだ。
「ルカが良いなら構わないよ。でも、王城に比べてすごく狭いよ?」
「そんなの気にしないわ!」
彼女の目論見は半分成功した、といったところだろうか。彼を慌てさせたり、意識させるような事はできなかったが同居生活を行う権利は勝ち取れた。
いや、彼女的に言うならば「同棲生活」だろうか。クルツはそんな気は全くなさそうであるが……。何はともあれ、ルカにとって初動は成功したと言えるだろう。
「じゃあ、部屋に荷物運ぼうね。部屋は掃除してあるから大丈夫だと思うけど……。一回見てくれる?」
「ええ!」
クルツは一旦ドアの外に掛けてあった「open」の看板を裏返して「close」にしてから、肉を喰らうジジを置いてルカと一緒に2階へ上がった。
元々2階には小さな個室が4部屋とリビングダイニング、シャワー室とトイレが備わっている。個室4部屋のうち1部屋は物置部屋になっているが、客室として用意しておいた部屋をルカに宛がう事にした。
部屋の広さとしては10畳くらい。民間物件に備わる個室の広さとしては、やや狭いといった感じ。大体は20畳くらいが平均的だろうか。どちらにせよ、王城にあるルカの部屋と比べれば犬小屋サイズである事は変わりない。
「どう?」
部屋の中を見せるクルツ。中にはベッドが置かれていて、他の家具を置くスペースはほとんどない。年頃の女性が暮らすには狭すぎないかと心配するが、ルカは首を振った。
「大丈夫よ。問題無いわ」
自室を使う理由としては寝る時と着替える時くらいだろうか。
魔導師としての仕事をする際は作業場だろうし、食事はリビング、クルツとの触れ合いをするのもリビングだろう。そう予想している彼女としては、個室がどれだけ狭かろうが十分であった。
とりあえず、荷物を置いて家の中を案内するクルツ。だが、ルカにとってここからが衝撃の連続であった。
シャワー室と隣接した洗濯室に案内すると……。
「ここが洗濯するところね」
「何これ!? 服を入れたら勝手に水が注がれるの!? 洗う時はハンドルを回すんじゃないの!?」
トイレに案内すれば……。
「ここがトイレね」
「便座が温かいわ!? 火傷しないの!?」
シャワー室を覗くと……。
「ここを捻るとお湯が出るよ」
「王都みたいに大きな給湯器が無いわよ!? どうしてお湯が出るの!? 魔石はどこに補充すればいいの!?」
最後にリビングダイニングに向かえば……。
「このボタンを押すとコンロが起動するよ」
「もう何が出ても驚かないわ」
押しボタン式のコンロを見て、ルカは王都で販売されている生活用魔導具との差に驚愕を通り越して呆れに近い表情を浮かべていた。
しかし、クルツがキッチンにあった小さな鋼色の箱を開けて見せると――
「これが簡易冷蔵箱」
「もうイヤァァァッ!!」
トドメの一撃、簡易冷蔵箱とクルツが呼んだ食品保管用の冷気が充満するドア式金属箱を見るなり膝から崩れ落ちた。
彼女が驚愕するのは発想に関する事じゃない。いや、一部は発想自体も驚かされたが。
とにかく、王都で魔導具のイロハを学んだ彼女が一番驚いたのは、この家に備わる全ての魔導具が「魔石1つ」で稼働する基本スペックだ。どこをどう改良すればこれほどの性能と機能を現実にできるのか。
王都のアカデミーで同性能を実現しようとしたら魔石の必要数は2~3個になるだろう。
魔石の必要数が減るという事は販売価格を抑えられる。どれも世に出せば馬鹿売れ間違いなし、生活用魔導具業界に激震が走るに違いない。
ルカはそう思っているようだが……。
「いや、でもね? これ全部、定例会で却下された物なんだよね」
以前、オルフェウスが水晶剣の修理を依頼しにきた際にも言っていた定例会。
簡単に言えばクルツが開発した魔導具を王立魔導アカデミーのトップである学長、王宮魔導具師筆頭、二人の護衛兼監視役としてオルフェウスとクレント領主の二名、計4名が参加して議論を交わす。
議論するといっても魔導具として「使える・使えない」じゃない。世に出して「良いか否か」でだ。
前提として、大魔導師クレアや彼女の弟子であるクルツが使う技術を「大魔導師式」と呼び、王立アカデミーで学ぶ技術を「アカデミー式」と呼んでいる。
双方の技術力には大きな差があり、アカデミー式は大きく劣っている状況だ。
そんな中、大魔導師式しか知らぬクルツが開発した物は――正直、学長や王宮魔導師筆頭が顔を覆いたくなるほどぶっ飛んだ物が開発されたりするのだ。
世に二人しか実現できない技術力と王都の技術力、この差があり過ぎると国内経済や後の技術力発展に影響を及ぼす可能性がある。国内最高峰と謳っているアカデミーが本当は劣っているという事実も影響を与える要因の1つだろう。これに関してはクレアは鼻で笑うだろうが。
しかし、この差が露呈するとクルツの元に弟子希望の人間が殺到しかねない。これは師であるクレアとしても避けたい事態だ。
その実力差を世に露見させないためにも、まずは王都の専門家達が議論を交わす。議論の結果、アカデミーでも現実可能な範囲であればクルツから製品化に対する権利や設計・仕様書を国が購入して、アカデミーや他の工房で正式に製品化されるという流れだ。
話が少し逸れてしまったが、家の中にある物のほとんどが定例会で却下されたものばかり。便利であるが、却下された理由としてはどれも用いる魔導回路に「古代文字」が使われているからだろう。
「古代文字の完全理解が難しいから汎用文字が開発されたわけだし……」
1つ文字で複数の意味を持ち、複雑な組み合わせをする事で効率的な魔法式を完成させるのが古代文字。魔導具を作る為に生み出されたとされる古代文字を完全理解するのは難しい。
文字の発祥はエルフとされているが、そのエルフでさえ完全に理解している者は少ない。かつ、1文字1文字を解説する古文書等が存在しないのも難しいとされる理由の1つだ。
嘗て人間が古代文字を理解しないまま、文字の形をそっくりマネして回路を組んだ事がある。だが、結果としては魔導回路として機能しなかった。この機能しなかった理由は未だに謎のままだ。
この古代文字の一部を解読・独自化して作られたのが、現在の魔導師が使う汎用魔導回路に用いられる「汎用文字」である。
ルカも汎用文字は完全理解しているものの、古代文字に関しては未だ理解できていない。というよりも、古代文字を扱うエルフでさえ現代では理解者が少ないのに、完全理解しているクレアとクルツがおかしいだけだ。
「効率化と性能強化に古代文字を使っているから、アカデミーでは難しいって」
そりゃそうだ、とルカは呆れてしまう。だが、クレアから技術を学んだクルツにとってはこれが「スタンダード」なのだ。逆に言えば、定例会で採用される物を作ろうとしたら意図的にスペックを落とすしかない。
「でも、師匠にそれは禁止されているから」
下に合せるな。下が上に合わせろ。お前は高みを目指して進めばいい。
クルツが幼い頃、クレアに言われた言葉だ。そして、前半部分は王都にいる王家や魔導師達に告げた言葉でもある。
特別で進んだ技術を持った者がどうして未熟者に合わせねばならないのか。上を知りながら追いつけないと喚くのは努力不足と甘えにすぎない、と。
故にクルツは定例会で採用されるであろう魔導具を作る事は禁止されている。
「まぁ、言う通りよね。実際問題、完成させている人物がいるわけだし」
不可能と言われる古代文字を駆使して現実になっているからこそ、現実不可能な事じゃない。ややこしいかもしれないが、これが大魔導師とその他大勢の間にある差だ。
「でもねぇ。僕はルカが来てくれたから嬉しいよ」
「ひょえ!?」
唐突にクルツはそう言い出した。言われたルカは頬を赤く染めながら驚くが……。
「僕は禁止されているけど、ルカは禁止されていないよね? だから、ルカが僕の作った魔導具を改良すれば良いんだよ!」
クルツは確かに優秀だ。だが、ルカもクルツには持っていないモノを持っている。
それは王都の事情や世間一般的なレベルを知っているということ。何より、現在主流となっているアカデミーの技術を知っている事が重要だ。
幼い頃からクレントに住み、都市の外に出た事の無いクルツはアカデミーのレベルを知らない。どこまで現実可能なのか、どこまで再現可能なのかが分からない。
これはクルツにとって非常に「もどかしい」ことであったし、毎度ながら悩んだ末に学長達が「まだ難しいな」と肩を落としながら帰っていくのが心苦しくてしょうがなかったようだ。
そういった事もあって、大魔導師の世界じゃなく、外の世界に歩調を合わせることが可能ということ。これは外の世界を知らずに生きてきたクルツには出来ない芸当であり、彼にとって助けになる。
「ああ、なるほど。私が
ルカはクルツの言い分に納得した。クルツが作って、それを自分が今の世に合った丁度良い度合に改良する。そうする事でアカデミーに技術力や発想力を刺激させ、ちょっとずつクルツがいる高さまで導けばいい。
大魔導師の言う「上に合わせろ」という部分は、開発した物と引き換えに研究と向上を期限付きで約束させれば良いのだ。
女王という身分を持っている自分は厳命する事も可能であるし、新しい魔導具をアカデミー製としてリリースできれば彼等のメンツも保てよう。
「ルカが作れば大勢の人が便利な魔導具を使えるでしょ? それに僕は市場価格とかコストとかも疎くて……」
魔導具に関する事はピカイチであるが、世間に蔓延する役所的な数字と計算にはめっきり疎い。これもクルツの弱点だろう。
彼はそれらを補って欲しい、とルカにお願いした。
「確かに疎そうね」
ルカはクルツの言葉に苦笑いを浮かべた。だが、同時に彼が完璧でないと改めて知って、より身近に感じられる。
「よし! どこまでやれるか分からないけど……。とにかく頑張ってみるわ!」
「うん。一緒に頑張ろう!」
しかし、この後に紹介された魔導具を見てルカは口元を引き攣らせながら「私、やっていけるかしら」と小さく零した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます