第12話 美しき銀の姫 1


 エコーの杖を修理してから2週間後、クルツはいつもと同じ日常を送っていた。


 近所に住む老夫婦の薬を作ったり、ギルドや教会から依頼されたポーションを作ったり。時間がある時は独自に考えた魔導具を開発してみたり。


 一言で言えば、非常にのんびりとした生活だ。


 今も昼食を食べ終えて、ジジと一緒に食事後のまったりタイムを楽しんでいる。ソファーに座るクルツの膝に頭を乗せたジジを撫でながら、淹れたてのコーヒーを飲むという至福の時。


「午後は何をしようかな」


 クルツは撫でていたジジの顔を見ながらそう呟く。彼としてはジジに意見を貰いたかったのだろう。


 だが、想像していた反応とは違ってジジの耳がピンと伸びた。膝から顔を上げたジジはすぐ傍にあった窓に顔を向け、喉をクルルと鳴らす。


 ジジの反応を見たクルツが「どうしたの?」と問う前に1階から来客を告げるベルの音が聞こえてきた。


 お客さんかな、と立ち上がったクルツだったが――


「ん?」


 着ていたシャツを引っ張られる感覚を覚えて、クルツが視線を向けるとジジがシャツを咥えていた。ここにいろ、と言わんばかりの表情で。


「どうしたの? 行かなきゃだよ。お客さん待たせちゃうよ」


 クルツがシャツを離して、とジジにお願いすると「しょうがないな……」と渋々従うように口からシャツを離した。離した瞬間「ブフ」とふてくされたような鳴き声を上げて、下に降りて行くクルツについていく。


「お待たせしまし――あれ? オルフェウスさん?」


 1階に降りると、店内にいたのは王都騎士団騎士団長のオルフェウスだった。今回も前回と同じくフード付きのケープを身につけているものの、既にフードは外されていたのだが……。


 今回は彼一人だけの来店じゃない。彼の後ろにもう一人別の人物がいた。


 顔はオルフェウスと同じくケープのフードで隠れて見えないが、女性物の服を着ている事から女性であるとは察する事が出来た。


「やぁ、クルツ君」


「どうしたんですか?」


 オルフェウスの顔には苦笑いが浮かんでいた。この前来た際に「次は定例会の時」と言った手前、こんなにも早く来てしまった事が恥ずかしいのだろうか。


 クルツの問いに答える前に、オルフェウスの後ろにいた女性がズイと前に歩み出る。彼女は被っていたフードを下ろすと、綺麗な長い銀髪を露わにした。


「久しぶり、クルツ」


 長い銀髪に蝶の髪飾り、そして耳にはピンク色の宝石がついた小さなイヤリング。それら装飾品が霞むほどの美少女がニコリと微笑みながらクルツの前に現れた。


 目の前で微笑まれたクルツは一瞬だけ息ができなくなった。息を忘れるほど目を奪われるとはこの事だ。


 彼女はクルツの名を口にした。という事は、クルツを知っている存在だ。


 ただ、逆にクルツはこんな美少女は知り合いにいない。いたら忘れもしない、といったところだろう。


「……ど、どなた?」


 美少女に釘付けになりながらも、緊張感を含む声音でそう問うた。


「え……?」


 すると、微笑んでいた美少女の口元がヒクつく。彼女としては「忘れたの?」と叫び出したいところだろうか。


「ボフ」


 二人の様子を見ていたジジが煽るような鳴き声を上げ、それが余計に美少女の感情を揺さぶる。


「わ、私は一度も忘れたことないのに! 私のこと、忘れたの!?」


 美少女の周囲に漂っていたお淑やかな雰囲気が一気に霧散した。顔を真っ赤にしながら、瞳を潤ませて、カウンターを挟んで反対側にいるクルツへずんずんと歩み寄る。美しくも可愛さが残る顔を「よく見なさい!」と声を上げながら近づけた。


 それでもクルツは記憶にない。え? え? と戸惑う彼に対し、美少女はショルダーバッグの中からある物を取り出して見せた。


「これ! これを見ても思い出せないの!?」


 彼女がクルツに見せたのは白い石を加工した花細工。ただの石ころだった物を庭に咲いていた百合の花に一瞬で変化させた、彼女にとっての宝物。


 大好きだった祖母が死んで、国葬が行われていた日に彼女は王城の庭園で一人寂しく泣いていた。


 そんな時、一人の男の子がやって来たのだ。どうしたの? と問われ、事情を話すと男の子は地面に落ちていた綺麗な白い石を拾って「見ててね」と言った。


 男の子は白い石をすぐ傍に咲いていた百合の花に変えた。それは見た事もない魔法で、彼女はすっかり目を奪われてしまう。


 涙で濡れた顔を上げると、そこには優しく微笑む男の子の顔。


『泣いているとお婆ちゃんが悲しむよ』


 そう言って慰めてくれた男の子の笑顔を今でも忘れない。


 彼女にとって特別な人だ。


 とても悲しかった日に笑顔をくれた男の子。手を繋ぎながらずっと慰めてくれた男の子。


 その日、彼女は初めて恋をしたのだから。


「もしかして……。ルカ?」


 それを見てクルツは驚きながらもようやく女性の正体に気付いた。


 ルカ・ルクシア。ルクシア王国第二王女。幼少期、クルツは確かに彼女へこの花細工を贈ったのだ。


「もう。気付くのが遅い!」


 頬を膨らませてそう言うルカだが、名前を呼ばれたせいか顔がほんのりと赤かった。


「いや、だって……。昔とは大違いだよ」


「大違いって。どう違うの?」


 ルカがそう問うと、クルツはニコリと優しい笑みを浮かべる。


「だって、昔よりずっと綺麗だから」


 クルツが言った言葉は本心からだろう。


 まさか王都から王女様がやって来たなんて考えられなかったというのもあるが、クルツの記憶に残っていたルカとはだいぶ違う。


 当時のルカはショートカットだったし、元気になった後はやんちゃで庭を駆けずり回る幼い少女だった。今のようなお淑やかで高貴な雰囲気など無かったし、彼女の変わり様には周囲にいた大人達もクルツと同意見だろう。


 まぁ、変わる切っ掛けを与えたのがクルツなのだが。


 ただ、彼の感想はあまりにも素直すぎた。


「あ、あう……」


 言われた本人は本格的に頬を赤く染め、先ほどまでの不機嫌な様子はどこかへ吹っ飛んでしまう。


 ルカが恥ずかしさと嬉しさで何を言えずにいると、彼女の背後から「コホン」と咳払いが聞こえた。


「実は姫様がクルツ君の技術を学びたいと仰ってな」


 若い男女特有の――いや、ルカが醸し出す甘酸っぱい雰囲気に耐えられなくなったのか、それともこのままでは一生話が進まないと思ったのか、オルフェウスが事情を説明し始めた。


「僕の技術を?」


「うむ。クレアから学び、一人の魔導師として生きる君から魔導師としての術を学びたいそうだ」


 姫様はアカデミーを主席卒業し、アカデミー式の知識は十分に備えている。そう彼が言うと、クルツは驚くようにルカを見た。


「主席卒業!? すごいね!」


「そ、そうかしら」


 驚くクルツにそう返しながらも、どこか誇らしげに笑うルカ。


 ただ、クルツの技術を学ぶには大魔導師クレアの許可がいる。


「クレアには許可を取った。陛下も承諾済みなので、クルツ君の判断次第だ」


 しかし、そのクレアの許可も既に取っていると言うではないか。


「そうなんですか。でしたら、僕は構いませんよ」


 ともなれば、クルツは断る理由がない。緊張感を露わにしながら祈るように手を組んでいたルカが「よしっ」と嬉しそうな声を上げる。


「そうか。それなら良かった」


 オルフェウスが「良かったですね」とルカに言うと、彼女は嬉しそうに何度も頷く。


「これからよろしくね! クルツ!」


「うん。一緒に頑張ろうね、ルカ」


 ふん、と気合一つ。胸の前で両手に握り拳を作ったルカにクルツは優しく微笑んだ。


「では、姫様。ご武運を。クルツ君も姫様をよろしく頼むよ」


 決まったところで、オルフェウスの役割は終了したのだろう。彼は店の入り口近くに置かれていた大きなバッグをカウンターの傍に置くと、フードを被って二人に挨拶。


 では、失礼すると言って店を出て行った。


 彼の姿が見えなくなるまで見送ったクルツはルカの顔を見てニコリと微笑む。


「荷物重いでしょ? 運ぶのを手伝うよ」


「うん。ありがとう」


 クルツの提案に嬉しそうな顔で頷くルカ。クルツは荷物を肩に下げながら、ルカに問うた。


「ルカはどこで暮らすの? 宿? それとも北区?」


 クルツがそう聞くのも当然だ。王女様が暮らすとなれば、当然ながら王女様専用の屋敷を用意したと思うだろう。中央区付近にある高級宿と長期契約、領主邸のある北区に屋敷でも建てたか一軒家を借りたのかと。


 だが、問われたルカは可愛らしく首を傾げて――


「どこって、ここよ?」


 彼女は「当然でしょ?」と言わんばかりにそう告げた。


「え?」


「え?」


 クルツが事態を理解するのにたっぷり5分も要した。 

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