第3話 朝の散歩と納品 1


「マギー婆ちゃん、おはよう」


「あら、おはようねぇ」


 冒険者ギルドに向かうためメインストリートを歩いていると、朝の散歩を日課とする近所のお婆さんに出会った。クルツにマギー婆ちゃんと呼ばれた彼女はまるで孫を見るかのように優しく微笑む。


「今日もいい天気だね」


「そうだねぇ」


 彼女の腰は曲がっていて、年相応の老い方をした女性と言えるだろう。だが、彼女が未だ都市の外にある小麦畑で仕事が出来ているのは毎日欠かさず行う散歩の効果に違いない。


「マギー婆ちゃん、薬はまだ残ってる?」


「ああ、あと5日分はあるよ」


 マギーの足腰は未だ健在であるが、どうしても年齢を重ねると内蔵が弱くなる。彼女もまた内蔵の疾患を抱えており、クルツは彼女用の薬を生成する仕事を請け負っていた。


「じゃあ、また5日後に作って持っていくね。あと腰の貼り薬も一緒に持って行くよ」


「いつもすまないねぇ」


「ううん。いつも通り、昼過ぎに行くね。あ、今日も昼にパン買いに行くからね~」


 ただ、仕事といっても金銭的な取引はしていない。一か月分の粉薬や腰用の貼り薬を生成する代わりに、彼女の夫であるグレン爺さんが焼くパンと特製のジャムを無償で譲ってもらえるという契約だ。


 最初は「近所に住む同士なのだし、代金などいらない」と断っていたクルツだったが、老夫婦の方がそれでは頷かなかった。金が受け取れないならパンを受け取ってくれ、と物々交換に落ち着いたのだ。


「本当に助かるなぁ」


 家へと戻って行くマギーの背中を見送りながらクルツは小さく呟いた。


 あまり料理が得意じゃないクルツにとって、パン屋が家の近くにあるのは有難い。しかも、パンを焼くグレンの腕は一級品で昼に並ぶサンドイッチは客の間で取り合いになるほどだ。


 サンドイッチも人気だが、更に人気なのはマギー婆ちゃん特製のフルーツジャムである。こちらは数量限定で販売日も気まぐれなので常連客の間でも隠れた名品扱い。


 それを無償で譲ってもらえるのだから、味の虜になった者が知れば暴動を起こしそうなものだ。


 クルツからしてみれば薬と等価になっていないような気もして未だに気が引けてしまうようだが、断れば老夫婦が家まで押しかけて来そうで言い出せないのが現状である。

 

「ウォン」


「おっと、ギルドに行かなきゃね」


 背中を見送っていたクルツはジジの一吼えで目的を思い出す。


 しかしながら、足取りはゆっくりと。朝から店の準備を行う都市の住人達と挨拶を交わしながら計30分ほど掛けてギルドへと向かった。


 冒険者ギルドはクルツの家と同様に東区に存在する。同区画内でもやや南寄りに位置しているものの、本来であれば徒歩10分の距離を30分も掛かったのはクルツが顔見知りと挨拶を交わしながら散歩気分で歩いていたからだろう。


「ジジ、外で待ってる?」


「ワフ」


 ギルド前に到着したクルツは地面に伏せたジジにニコリと笑みを返し、ソリに乗せた木箱を1箱だけ下ろした。


 建物の造りとしては最近増えてきたコンクリート製。老朽化に伴って、昨年建て替えたばかりの新しい建物だ。建物の形としては長方形型の2階建てで、1階が冒険者達に対する窓口や購買などが存在する。


 2階が事務員達専用のフロアとなっていて、外には魔獣から採取した素材の解体・検品所となる別棟が建てられている。


 余談であるが、1階に酒場のような施設は無い。


「よっこいしょ」


 クルツは木箱を持ち上げると入り口にあるコンクリート製の段差を登った。金属製のドアを開放しつつ、建物の中へと運ぶ。


「あ! クルツ君、おはよう!」


 ギルド内にポーション入りの箱を運んでいると、真っ先にクルツを見つけて声を掛けたのは栗色の長い髪を束ねたギルド職員の女性。


「おはようございます。シンシアさん」


 クルツが口にした通り、彼女の名はシンシア。ギルド職員歴10年目、今年で25歳になるギルド窓口担当の中でも主任の地位を持つ女性であった。


「うん。おはよう」


 ニコッと笑うシンシアの顔はまるで花が咲いたように美しい。


 白いシャツに赤のネクタイを締め、下は黒のタイトスカートと茶のブーツといったギルドの制服も着こなす細身のスタイル。彼女の容姿は冒険者ギルド・クレント支部の中でも一位二位を争うほど。


 所謂、ギルドの看板美女といったところだろうか。密かに彼女へ恋心を抱える冒険者も多く、彼女目当てで窓口に並ぶ猛者までいるという。


「今日の分を納品しに来ました」


「はい。確認しますね」


 彼女の笑顔に対し、クルツも笑顔で返すとシンシアはその場でしゃがみ込んで箱の中身を確認し始めた。


「うん。大丈夫です。確かに確認しました」


 いつも通りの本数を確認すると、再びニコリと笑顔を返すシンシア。


「はい。ありがとうございます。奥に運びますね」


 クルツは木箱の蓋を閉め、窓口の奥に箱を運んだ。


「そうだ。採取依頼したい素材があるんで、また後で来ますね」


 他の職員と挨拶を交わしながらも、所定の場所に箱を運び終えたクルツは壁に掛かっていた時計に視線を向けながら問う。


 現在の時刻は8時前。ギルドの業務が始まるのは9時からだ。業務開始前から仕事させるのは申し訳ない、そう思ったのかクルツは業務開始後に戻って来ると言ったようだが……。


「今からでいいわよ。また来るのも手間でしょう?」


 建物自体は既に開放されているので、8時半頃からギルド内は冒険者達で賑わい始める。業務開始直前はギルド内に冒険者がごった返して、職員にとっては戦場のような状態だ。


 そうなる前に『お得意様』の依頼を受け付けようと、シンシアは笑顔で窓口に彼を誘う。


「はい。それでは、今日のご依頼は?」


 シンシアが依頼用の用紙をカウンター下から取り出し、カウンターに置かれていた羽ペンの先にインクをつけながら内容を問う。


「すいません。月見草とスライム核の採取をお願いします」


「という事は、いつも通り孤児院組への指名依頼かしら?」


「はい。お願いします」


 月見草とスライム核。どれも迷宮で採取できる素材だが、採取できる場所は1階だ。つまり、迷宮に入ってすぐの『安全』と評されるエリアで採取できる。


 こういった1階で採取できる素材は見習い冒険者用の依頼として取り扱われ、この都市にある孤児院に住む少年少女達の小遣い稼ぎとしても使われていた。

 

 ただ、見習い冒険者でも採取できるという事は、正直に言えば誰にでも出来る仕事である。つまるところ、冒険者登録をして迷宮に入る手続きさえすればあまり知識も力もない人物でさえ出来てしまう。


 依頼をしたクルツでも自分で行こうと思えば行ける場所だが、彼は自分では行かずに敢えて『依頼』として申請する。依頼すれば依頼料が掛かるにも拘らず。


「いつも悪いわね」


「いえ、ギルドにはポーションでお世話になってますし。それに未来の冒険者が増えれば僕も助かるので」


 クルツが口にした言葉は全て本音だろう。


 彼が冒険者ギルドに納品するポーションの代金は平均以上であるし、後半の冒険者が増える件も将来を考えると利益に繋がるのは確かだ。


 冒険者に関しては特に重要だと彼は考えているようだ。


 迷宮という場所は多くの恩恵をもたらすが、当然ながら死と隣り合わせの場所でもある。そういった場所に未熟者が足を踏み入れれば簡単に命を落とす。そうなる前に見習い中は基礎を学ぶという意味でも簡単な依頼をこなして欲しい。


 基礎知識を身に着けて、凄腕の冒険者に成長してくれれば希少な素材を採取してくれる冒険者が増える。魔導師としても万々歳だろう。


 加えて、孤児院で暮らす少年少女達が依頼をこなす事で小遣いが手に入る。手に入った小遣いは思い思いの使い方をするだろう。孤児院が特別貧しいというわけじゃないが、小遣いで好きな物を買い食いするくらいの余裕は出来るはずだ。


「いやいや……。クルツ君のポーションほど優れている物は無いからね? 孤児院の件もそうだけど、お世話になっているのはウチの方なのよ?」


 クルツの言い分に対して、シンシアは体を前のめりにしながらクルツにだけ聞こえる声量で異を唱えた。


 そもそも外部からポーション生成を依頼してギルドの購買に納品する事など、他の支部から見れば稀である。なんたってギルドにはお抱えの魔導師が素材の解体・検品者兼任で数人在籍しているのだから。


 その魔導師が束になってもクルツのポーションと同じ効果を再現できず、更には都市全体で売られている全ポーションと比較しても『特別製』と太鼓判を押すほどの出来だ。


「飲めばすぐに効果が現れて、しかも美味しいって……。うちの魔導師はいつも泣いているのよ?」


 ポーションと一口に言っても、様々な種類がある。種類を大きく分けるとしたら『外傷用』と『病気用』だが、冒険者が基本的に使うのは『外傷用』だ。


 この外傷用ポーションも傷口にぶっかけるタイプと服用するタイプの2種類に分類される。ただ、どれも共通しているのは「効果がじんわりと効いてくる」という点だろう。


 傷口にかけても、服用しても、効果はゆっくりと現れて即効性が無い。つまり、ポーションを使った数分~数時間は傷口は塞がらないし、痛みに我慢しなければならない。


 加えて、薬特有の苦さやエグ味があってクソマズイ。


 製法は魔導師によって様々だが、現在主流となっている製法に用いられる素材は数種類の薬草をブレンドしていたり、魔獣の内蔵を乾燥させた物を使ったりと……素人が見れば「おいおい」と言いたくなる素材がほとんどだ。


 口当たりが良い物を使っている魔導師はほとんどいない。というよりは皆無に等しい。


 しかしながら、クルツは違う。彼が使う素材は苦みが少ない。更には僅かな苦みを消すために果実まで加えて味付けをしている。彼は服用するタイプのみしか生成しないが、飲みやすいと一部の冒険者からはすこぶる評判だ。


 そんな飲みやすさに加えて効果は『即効』である。飲めばすぐに傷口が塞がり始め、痛み止め効果もあるのか傷の痛みが和らいで戦闘に集中しやすい。


 冒険者ギルドがクルツにポーションの納品を依頼するのも当然だ。


「週に何度も納品依頼しているのもすぐに品切れになっちゃうからなんだから」


 この都市で長く活動を続ける冒険者達――特に強い魔獣が多い下層へとアタックを続けるベテラン冒険者が購入するのはクルツ印の物だけだ。彼等は頻繁にギルド購買のポーション在庫をチェックするほどクルツ印ポーションを頼りにしている。


「あはは……。でも、それは師匠のおかげなので」


 謙遜するように言うクルツだが、彼にとってはそうとしか言いようがない。彼がこれだけ優れたポーションを生成できるのは、幼少期から魔導師としての知識を叩き込んでくれた師匠――大魔導師クレア・ベルンハルトのおかげだ。


 師匠が大変優れた人物なのだから、その人物から学んだ自分も優れた物を作らなければ師匠の看板に傷がつく。


 教えてくれた師匠に対する恩、そして生きる糧をくれた恩、何より師の技術に対するリスペクトが含まれた言葉と言えるだろう。


 ただ、この大魔導師は少々――世間から誤解されているような人物でもある。


「そのお師匠様はまだ帰って来ないの?」  


「ええ。南の国で新しく発見された迷宮の探索に行くって、寝間着姿で飛び出したきりですね」


 そう、彼の師である大魔導師クレア・ベルンハルトは大の迷宮好き……というよりも本来は迷宮の研究者であった。


 迷宮が何故存在しているのか、迷宮の存在意義とは何のか、どうして世界には迷宮が点在しているのか。それら迷宮に関する全ての事項を解き明かそうとしている人物である。


 彼女が大魔導師と呼ばれるようになったのは迷宮の研究において、内部探索を行うために様々な魔法効果が付与された武器防具、道具や魔法薬――これら魔法効果を持つ物を総じて魔導具と呼ぶ――を自作し始めた事から始まったのだ。


 彼女は他の魔導師とは違った製法を用いて数々の魔導具を作っては世界各地にある迷宮を踏破してきた。


 生み出した魔導具のほとんどは既存の技術体系をぶっ壊すような理論・製法を用いているとされており、各地の魔導師達は迷宮踏破の実績よりも彼女の技術力に目を向けると同時に絶賛した。


 そういった経緯もあって、彼女は本来の『迷宮研究者』よりも『魔導師』として有名になった……というワケだ。


「最近、水ラクダのコブが美味しかったと手紙が届きましたよ」


 弟子であるクルツを『研究資金を稼ぐため』として作った店に放置して飛び出して行ったにも拘らず、現地から「こっちは気にするな。だからお前も精一杯生きろ」といった文面が届いたそうで。


「まぁ、いつもの事ですよ」


「そう……」


 幼い頃から同じような経験を何度もしてきたのだろう。クルツは「あはは」と笑い飛ばすが、シンシアは心底「自分の親じゃなくてよかった」と思っているに違いない。


「と、とにかく依頼は受理しました。完了したら知らせるわね?」


「はい。よろしくお願いします」


 依頼を受理してもらったクルツは依頼料として財布から1万ルクシア札を一枚取り出すとカウンターに置く。


「それでは」


「うん。気を付けてね」


 シンシアや他のギルド職員達に別れを告げ、クルツは外で待っていたジジと合流して次の目的地へと歩き出した。

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