裏通りの魔導具店 ～大魔導師の弟子が送るのんびり生活～

第2話 大魔導師の弟子

　大迷宮都市クレント東区、メインストリートの裏側にある一本の道。

　通称、裏通り。

　この道沿いに建つ魔導具店の２階にある住居で暮らす青年の名はクルツという。

　数年前に師匠から「お前はもう立派な魔導師だ」とお墨付きを得た青年の朝は早い。

「うーん……」

　時刻は早朝５時。朝日が昇って都市全体を明るく照らすものの、この時間に出歩く者は少ないだろう。

　毎日夜遅くまで続く都市内の喧騒が嘘のように静まり返っていて、屋根の上に止まった鳥の鳴き声が聞こえるほど穏やかな時間だ。

　ベッドの上で上体を起こしたクルツはまだ眠い目を擦りながらも猫のように体を伸ばし、簡単なストレッチをしながら脳を覚醒させてゆく。

「ワォン！」

「おはよう、ジジ」

　主の頭が覚醒したのを見計らって、黒狼のジジが「おはよう」と吼えた。ベッドに頭を乗せたジジを朝一番に撫でまわすのも重要な日課だ。

「さて、朝食前にやっちゃおう」

「ウォン」

　完全に目を覚ましたクルツは服を着替えると１階にある作業場へ向かった。ジジが彼の後ろをついて行くのもいつも通り。

　作業場に到着すると木枠にガラスのはまった窓を開けて新鮮な朝の空気を作業場に満たす。やや寂し気な店内と違って、作業場には多くの物が取り揃えられていた。

　木製の５段棚には大迷宮内で採取できる薬草各種と魔獣から獲れる様々な素材が瓶詰めになって所狭しと置かれている。壁沿いには中樽がいくつも並んでいて、蓋の上に内容物が一目で分かるようメモが張り付けてあった。

　他にも魔獣の大きな骨や牙、毛皮の一部が無造作に置かれていたり、少々危険な素材を入れておく金属製の箱が床に積まれていたりと、この作業場は迷宮素材の宝庫と言えるような場所でもあった。

　クルツは壁のフックに掛けてあった作業エプロンと魔獣の革製手袋を装着して、作業場の奥にある木製テーブルへと向かう。

　テーブルの上には昨晩のうちに用意しておいた、乾燥済みの薬草を詰めた箱が置いてあった。クルツはテーブルの前で「よし」と気合を入れると、右手で乾燥させた薬草を束ねて掴み取る。

　空いている左手はテーブルの上にある収納棚から大きな木製ボウルを取ってテーブルの上に。ボウルの上に薬草の束を移動させると、今度は両手で薬草を挟み込んで擦り合わせるように手を動かした。

　擦り合わせることで乾燥した薬草がボロボロと崩れ出し、ボウルの中へと落ちていく。乾燥させておいた計１００の薬草全てに同じ工程を施すと、ボウルの中にはボロボロに崩れた薬草がこんもりと小山を作った。

「よし、次は」

　今度は収納棚から計量カップのような目盛り付きのガラス製カップを手にして作業場の隅へ移動。隅に置かれていた樽の中には『魔力水』と呼ばれる魔力を含む特殊な水があった。

　勿論、これも大迷宮で採取できる素材だ。

　これをカップ２杯分ボウルの中へと投入。先ほどの崩れた薬草を溶かし込むようにヘラで混ぜると、透明だった水に薬草の色である緑色が混ざって薄緑色の液体となる。

　次に瓶詰めになった素材が置かれている棚から白い花びらが詰まった瓶を手に取り、中から花びらを５枚ほど摘まみ取る。それを先ほどのボウルの中へと落した。

　ここまでは特別緊張するような作業じゃない。クルツに言わせれば次の工程が特に大事だと言うだろう。

　全ての準備が終わったクルツはボウルの前で、両手をパンと鳴らしながら合掌するような形に。同時に目を瞑りながら唇をきゅっと閉めて集中し始めた。

　すると、彼の合わせた両手の間に虹色の光が生まれる。

　集中しながらゆっくりと目を開けたクルツは、合わせた両手をゆっくりと離していく。間には虹色の小さな光が浮いていて、それをボウルの中に落とした。

　落ちた虹色の光が花びらが浮かぶ水面に付着すると、じんわりと溶ける雪玉のように液体へ浸透していく。光が完全に溶けると一瞬だけ液体と花びらが虹色に光輝いた。

　パッと輝いた瞬間、液体と花びらが混ざり合って完全に融合する。液体の色は薄緑色から再び透明に戻り、クルツに「成功」であると示した。

「ふう」

　一週間に三度と定期的に行う作業だが、毎度この作業は緊張してしまう。そう言わんばかりにクルツは安堵の息を零した。

　この工程は魔力注入と呼ばれる工程なのだが、ここで失敗すると液体は完全な透明には戻らない。失敗してしまうと液体に薄緑色が少しだけ残ってしまうのだ。

　彼の師匠である大魔導師は失敗したクルツに「濁った色では見た目も効能も悪い」とよく聞かせていた。幼少期から何度も注意されていた工程なだけに、成長した今でも当時を思い出すのだろう。

「さて、今日の注文は何味のポーションだっけ」

　ただ、ここまでやれば後は簡単だ。クルツはテーブルの左側にあるコルクボードに顔を向けた。そこには注文用のメモが貼られていて、クルツの目が「ブドウ味」の文字を見つける。

「ブドウか。ブドウ、ブドウ……」

　今度は素材棚じゃなく、作業場と隣接する冷蔵室へと向かった。人が中に入れるほどの大きさと広さを持つ冷蔵室のドアを開けると、開けた途端に寒さを感じるほどの冷気が漏れ出す。

　冷蔵室の壁には霜が付着しており、中に置かれた木箱にも霜が積もっているほどだ。積まれた箱の中からブドウの入った箱を探し、見つけるとブドウの粒――巨峰のような大粒のもの――を両手で大量に掬ってテーブルへと戻った。

「ジジ、閉めて！」

「ウォン！」

　両手が塞がったクルツの代わりにジジが冷蔵室のドアを閉めてくれる。少々重いドアであっても、ジジは後ろ脚で蹴るようにしてバタンとドアを閉めてくれるのだから心強い。

　テーブルに戻ったクルツはボウルの中に大量のブドウを投入。皮ごとぶち込んだボウルを持って、背後に置かれた専用の魔導具へと流し込む。

　たった今、ボウルの中身を流し込んだ魔導具はクルツが最近開発した『混ぜまーぜ君１号』である。これを開発するまでは手作業で行っていたのだが、今では魔導具の中に入れて起動すれば自動で混ぜてくれる優れものだ。

　液体を入れたピッチャーサイズのタンク中には回転刃が取り付けてあって、魔導具を起動すると魔石を原動力として刃が回転。中に投入した液体とブドウを混ぜ合わせてくれる……といった物である。

　ポーションを作るだけならば薬師と呼ぶべきであるが、こういった便利な道具すらも開発できるからこそ『魔導師』としてカテゴライズされる。

「我ながら良い物を開発したなぁ」

「ウォン！」

　クルツの独り言にジジも「そうだな！」と返してくれているようだ。魔導具の側面にあるレバーを下ろすと「ギュイイイイ！」と魔導具が音を立てた。刃が回転している証拠なのだが、次はこの音をどうにかしたいと彼は考えている様子。

　完全に混ざったかどうか、タンクの中を確認すること数回。完全にブドウと液体が混ざり合うと、透明だった液体にブドウの色が混じって濃い紫色に変わっていた。

　ここまで行ったら、いよいよ終わりは近い。

　今度は大きなガラスピッチャーを用意して、入れ口の上に清潔な布を敷く。布がピッチャーの中に落ちないようしっかり固定。

　先ほどの魔導具からタンク部分を取り外し、布を固定したピッチャーにタンクの中身をゆっくりと流し込むのだ。布を敷く事で完全に混ざらなかったブドウの皮を取り除く工程である。

　そのおかげでピッチャーの中身は綺麗な紫色の液体だけが注入されていく。綺麗な紫色の液体が満ちて行く様はジジも尻尾を振りながら釘付けだ。

「ブドウ味ポーションの完成！」

「ウォーン！」

　これで朝一に行う作業――本日出荷分のポーション作りは完成である。あとはこれを小瓶に詰めて、封をすれば商品として出来上がり。クルツが「完成」と口にするとジジも尻尾をブンブンと振って鳴き声を上げた。

　計３０本のポーション入り小瓶を作ったクルツは、手袋とエプロンを脱いで壁のフックに掛け直す。それを見ていたジジに顔を向けるとニッコリと微笑んで告げた。

「ジジ、朝ご飯食べよう」

「ワフ」

　作業を終えたクルツとジジは再び二階へ。

　朝食はチーズを挟んだパンと昨晩作ったスープのあまり。ジジ用に魔獣肉を用意して。

　食事を終えると、時間は朝の７時となっていた。出荷準備を終えたポーションを配達するには良い時間だ。

　作業場にあったポーションの小瓶を緩衝材入りの木箱に移し、計２箱を持って作業場にあるドアから店の裏手へと出る。店の裏手に置かれた小さな車輪付きの犬ゾリに荷物を積んで、革紐をジジに取り付ければ出発の準備は完了だ。

「ジジ、行こう」

「ウォン」

　力強いジジがクルツの横を歩き出すと繋がった車輪付き犬ぞりが動き出した。引いているジジの表情を見る限り「こんなん余裕ですし」といった感じ。ポーション瓶の入った木箱が特別重いわけじゃないが、それでも代わりに運搬してくれるのはありがたい。

　例えクルツが犬ぞりに乗ってもジジは軽々と引けてしまうだろう。それほどのパワーを持っているが、毎朝の出荷は散歩を兼ねた二人のゆっくりタイム。

　道行く都市の住人に挨拶をしながら、クルツとジジは最初の納品先である冒険者ギルドへ向かって行った。