6-05 ゲノムとテントウ

 私がテントウに抱いた始めの印象は、なんと子どもっぽい大人なのだろう、だった。


「初めまして。あなたがゲノム教授ですね?」


 あれは三年前のこと。テントウは、突然私の研究室に訪ねてきた。くたびれたワイシャツに汚れた長ズボンをはいていて、手には竹でできた虫採り網を握っていた。

 私はパソコンの置かれた席から立ち、いぶかしげに彼を見つめた。


「君は?」

「申し遅れました。俺は昆虫学者の火津鳥ひつとりテントウと言います。ぜひ、ゲノム教授に見ていただきたい昆虫がいるんです」


 そう言ってテントウは、背負っていたリュックを降ろし、中から標本箱をいくつか取り出して見せてきた。オオムラサキやオオクワガタ、カブトムシなどの標本があった。それらの昆虫はみな普通のものよりも体色が黒く、私は興味をそそられた。


「この昆虫たちは、夢士登里むしとり村という場所で採れたものです。見てのとおり、他の地域のものよりも体色が黒いのが特徴です。そして、これらの昆虫は、他の地域と比べて、攻撃性が強い傾向があるんです」


 「攻撃性」。彼の言葉に、私は内心、胸が躍った。

 テントウはそんな私の心情など知るよしもなく、熱心に話を続けた。


「私は、夢士登里村の昆虫だけどうしてこのような変異があるのかを研究しています。ですが、一人ではどうしても限界がある……。なので、昆虫遺伝子学の権威であるゲノム教授の力をぜひともお借りしたく、やってきました。この昆虫たちの神秘を、遺伝子の分野から解明してみませんか?」


 テントウは熱弁を終えると、情熱のこもった純粋な目で私を見つめた。

 私は二つ返事で、彼の依頼を承諾した。


「本当ですか!? ありがとうございます!」


 そう言って、テントウはうれしそうに深々と頭を下げた。

 私は改めてテントウの持ってきた昆虫たちを見た。無限の可能性を秘めた昆虫たちを前に、自然と口角が上がっていった。


「フフフ、フフフフフフ……」

「ゲノム教授?」


 テントウが不思議そうに首を傾げた。

 こらえきれずに、私は両腕をあげてからませ、身体をひねってポーズを決めた。


「二重らせん!!」

「おぉーーーーーー! ゲノム教授の決めポーズ、いただきました!」


 テントウは子どものように目をキラキラと輝かせながら、スマホで私を撮影した。

 こうして、私とテントウは、共同研究者となった。



   *   *   *



 私はさっそく夢士登里村へ行き、研究を始めた。村の外れにある廃校の中学校に地下室を造り、そこで夢士登里村の昆虫の遺伝子を調べることにしたのだ。


「なぜ、地下を造ったんですか?」

「地下は静かで、研究に集中しやすいからだよ」

「なるほどー」


 本当は、私の研究が他の者にバレないよう、人目を避けるために造った。テントウは疑いの目などなく、首を縦に振って納得していたが。


 テントウが採集した夢士登里村の昆虫を使って、私は遺伝子の解明に取り組んだ。三年の間に数々の発見があり、私とテントウはともに興奮し、喜んでいた。


 そして、ついに私は、夢士登里村の昆虫だけが持つ遺伝子――昆虫の攻撃性を高める、その名も暗黒化遺伝子の解明に成功したのだ。


「やったぞ、テントウ! この塩基配列で間違いない! 私はついに見つけた!」


 私の興奮といったら、まるで世界を手に入れたかのようなものだったよ。テントウの目の前で、震える自分の手を握りながら、笑わずにはいられなかった。


「これで私は、最強の昆虫が創れる」

「ゲノム……教授……」


 その時に、不審げにつぶやくテントウの様子に気がついてさえいれば、あの事件は起きなかったのかもしれない。



   *   *   *



『テントウへ 見せたいものがある。今日の十六時に私の研究室に来てくれないか。 ゲノム』


 私はテントウへ簡単なメッセージを送り、夢士登里村へと車を走らせていた。午前中に都内でテレビの収録があった帰りだった。

 予定よりも早く夢士登里村に到着した私は、早速地下の研究室へ行った。すると、デスクの前に人の姿があった。


「テントウ、早いな。どうしたんだ?」


 待ち合わせの時間までは、まだ一時間ほど早かった。テントウはこちらに背を向けていて、私の声にハッと驚いた様子で振り返った。


「ゲノム教授……」


 言いながら、右手に持った物を背中に隠した。彼の背後にあるパソコンの画面が点けられていた。私のパソコンを使って、なにかをしていたのは見てとれた。


「なにをしていた?」


 私は目をすがめ、彼に訊いた。

 テントウは手を背中に隠したまま、意を決したように口を開いた。


「ゲノム教授、もう、研究をやめませんか?」

「なんだって?」

「夢士登里村の昆虫に関する研究を、やめようと思うのです」


 突然切り出した彼の話が理解できず、私はぼう然と立ち尽くした。

 テントウは深刻げな顔をして、話を続けた。


「ゲノム教授、あなたのやっている研究は、危険すぎる。これ以上、看過することはできません」

「今さらなにを言っているんだ! 最初に研究をしようと言い出したのは、君ではないか!」

「俺はただ、夢士登里村の昆虫の神秘を解明したかっただけです! でも、あなたのやっていることは――」


 私とテントウは、しばらくの間、言い争いをしていた。

 もう少しで私の野望は叶えられる。それをこんな形で挫かれるなど、あってはいけないことだった。


「やめたければ、君だけ勝手に手を引けばいい! 私は研究を進める!」

「ですから、看過できないと言ったでしょう! どうしてもやめないと言うのなら、俺はこのデータを……」

「なに? データだと!?」


 嫌な予感が頭をよぎった。私はテントウの腕をつかみ、背中に隠している物を確かめようとした。テントウは私の手を離そうと抵抗した。

 二人でもみ合っていた、その時だった。


「なっ!?」


 突然、部屋の中が大きく揺れだした。地震が起きたのだ。私は不覚にもバランスを崩してしまい、身体がよろけた。

 その一瞬の隙を、テントウは見逃さなかった。


「すみません!」

「なにっ!?」


 テントウは私を押し倒し、研究室から逃げていった。

 私はしりもちをつき、揺れが治まってようやく立ち上がり、テントウの後を追った。


「待て! テントウ!」


 しかし、廃校舎のどこにも、テントウの姿はなかった。

 私は地下の研究室に戻り、パソコンを確認してみた。今まで研究したすべてのデータがなくなっていた。テントウによってすべて抜き盗られてしまっていたのだ。


「テントウ……、どうして……」


 データの中には暗黒化遺伝子のすべてが入っていた。テントウとともに研究してきた成果のすべてが詰まっていたのだ。それなのに、どうしてテントウが、私を止めるのか。裏切ったのか。私には、まったく理解できなかった。


「なぜ、わからないんだ。この昆虫の素晴らしさが……」


 わたしはフラフラと立ち上がり、テントウにさえも教えていなかった奥の部屋へと進んでいった。ロックされた扉を開けると、そこにはガラスケースの中でうごめく、黒い生き物たちがいた。その日、テントウに見せようと思っていた、私の集大成だった。


「これの素晴らしさを知れば、きっとテントウは思い直してくれるだろう……」


 隅に立てかけていた鉄パイプを手に取った。それを高々と掲げ、思い切り振り下ろした。

 ガラスケースが音を立てて崩壊した。中にいた昆虫たちは、壁が取り払われたことに気付き、翅を広げて飛び立った。


「夢士登里村を破壊しろ」


 私の言葉にうなずくようにして、黒い昆虫たちは頭上を一周したかと思うと、扉を出て地上へと飛んでいった。

 床にちらばったガラスの破片には、私の笑みが映されていた。


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