6-06 野望
私は研究室から出て、外から村の様子を見ていた。廃校舎は高台にあり、村の様子がよく見えた。
村一帯を覆い尽くす暗黒昆虫たち。風に乗って聞こえる悲鳴。あがる火の手。じきに村は、炎で覆い尽くされるだろう。
そんなことを思っていた時だった。
「ゲノム教授!」
声が聞こえ、私は振り向いた。そこには、息を切らせ、鬼の形相でこちらをにらむテントウがいた。
「テントウ。見たまえ、これが私の創りだした暗黒昆虫の素晴らしさだ。これで君も、この研究の重要性に気がついただろう? さぁ、私のデータを返してもらおうか?」
問うと、テントウは虫採り網をこちらに向けた。いつも持っている竹製の柄ではなく、ジュラルミン製の柄を握っていた。
「あなたは、許されないことをした! それがなぜわからないのですか!」
「わかっていないのは君のほうだ。私のデータはどこにやった」
「データはここにはない! もうこれ以上、被害を出さないためにも、あなたのような人にあのデータを渡すわけにはいきません!」
視界の隅では、空高くにまであがる火柱が見えていた。
私はテントウの言葉を受け、心の中で、安堵の息を吐いた。
「『ここにはない』ということは、どこかにはあるということか」
私のつぶやきに、テントウはしまったと言うように顔をしかめた。彼も研究者のはしくれだ。膨大な時間を掛けて積み上げた研究成果というものを、みすみす破壊したりはしないだろう。
「では、どこにあるのか。君の口から、直接吐いてもらうしかないだろう」
私は白衣のポケットから暗黒昆虫を一匹取り出した。カブトムシに暗黒化遺伝子を組み込んだそれを飛び立たせ、テントウに向かって指をさした。
「やれ」
その一言で、暗黒昆虫は意のままに動く。
「くっ!?」
テントウは顔面に突っ込んできた暗黒昆虫をかわして、虫採り網を構えた。飛び回る暗黒昆虫を目で追いながら、まるで剣をさやにしまうように、虫採り網を脇腹にすえた。
「必採技、居合いの舞!」
暗黒昆虫を迎え撃つかのように、叫ぶと同時に網を振り払った。くるりと返された網の中には、翅をばたつかせる暗黒昆虫が入っていた。
テントウは肩の力を抜き、私に顔を向けた。
「ゲノム教授、もうやめましょう。こんなことをさせられている昆虫たちも、かわいそうです」
そう訴えかけるように、テントウは話した。
「かわいそうか。君は本当に昆虫が好きなのだな」
私はそう言って、テントウの持っている網に向かって、ゆっくりと手を伸ばした。
「だが、私は違う。私にとって昆虫とは――」
網に入っていた暗黒昆虫の翅の羽ばたきが強くなった。そして。
「なに!?」
暗黒昆虫はその角で網を突き破り、外へ出てきた。頭上を旋回したかと思えば、ものすごい速度でテントウに突っ込み、腹の真ん中をえぐった。
「ぐあっ!?」
テントウは衝撃で吹っ飛び、校舎の壁に背中を打ち付けた。顔をしかめ、苦しそうに腹を腕で押さえた。
「こんなの……昆虫の力じゃない……」
私は続けて、伸ばした手をテントウの頭上へ向けた。木造二階建ての古びた廃校舎。暗黒昆虫が翅を強く羽ばたかせ、廃校舎めがけて突進していった。
「見せてあげよう! 私の創り出した暗黒昆虫の本当の素晴らしさを!」
言うや否や、古い木材の割れる音が響いた。暗黒昆虫は縦横無尽に飛び回り、廃校舎に穴を開け、柱を壊し、壁を破った。たった一匹の昆虫によって、建物は支えを失い、崩れ落ちていった。
「うわぁあああああああああーーーー!!」
悲鳴とともに、テントウの上に大量の木材が降り注ぎ、彼の姿は見えなくなった。
「データのありかを聞きそびれてしまった。まぁ、検討はついている」
土ぼこりが舞う中、私は片手を前へ伸ばした。建物を破壊した暗黒昆虫が戻ってきて、てのひらにとまった。それをポケットに収めて、きびすを返した。
「テントウには、虫採り好きの娘がいたはずだ」
今すぐにでもデータを取り戻したいが、この状況で動き回るのは目立ってまずい。私はいったんこの場から離れることにした。
暗黒昆虫の素晴らしさをこの目で確かめることができた。それだけで、大きな成果だった。
「ハハハハハ、ハハハハハハハハーッ! 二重らせんっ!」
おかしさのあまり両腕をあげてからませながら、私は林へと歩いていった。
背後では、村から流れてきた炎が廃校舎に移り、燃えさかっていた。
* * *
「そんな……」
ゲノム教授の口から語られた真実に、あたしは固まってしまった。
村を滅ぼした昆虫は、やっぱりゲノム教授が放したんだ。そして、お父さんを行方不明にしたのも、ゲノム教授。
「すべてはテントウのせいだ。テントウが私を裏切ったから、夢士登里村も貴様も、私の創り出した暗黒昆虫の
狂った笑みを浮かべながら、朗々とした声があがる。
あたしは地面の土を握りしめ、すべての元凶をにらみつけた。
「なにが、したいの……」
ゲノム教授が小首を傾げ、こちらへ顔を向ける。
「あなたは暗黒昆虫なんて創り出して、なにがしたいの!」
精一杯の声を振り絞り、責め立てた。
ゲノム教授の口がいびつに曲がる。周りでは三匹の暗黒昆虫が飛び回っている。それを視界に入れながら、口がゆっくりと開かれた。
「私にとって昆虫とは、兵器の可能性を秘めた資源だ」
信じられない言葉に、一瞬、なにを言っているのかわからなくなる。
ゲノム教授は独壇場に立っているかのように、一人で話を続ける。
「翅を持ち、どこへでも飛んでいける機動性。条件さえ揃えば、大量の子孫を残せる増殖性。そして、膨大な種が存在し、あらゆる面で応用ができる可能性。昆虫は、兵器にするべくして生まれてきたといっても過言ではない存在なのだ」
両手を高々と闇夜に挙げ、両眼を大きく見開きながら、奇声のように叫ぶ声が響く。
「私は最強の昆虫を創り出し、世界を支配してみせる!」
その姿はもはや、テレビに映っていた憧れの虫好き博士ではない。狂気に駆られたマッドサイエンティストそのものだった。
「ダメ……」
目の前の異様な光景に震えながらも、無意識に声が口からこぼれた。
ゲノム教授がピクリと片まゆを動かし、こちらをにらむ。
怖いという気持ちも忘れて、言葉が口を衝いて出てくる。
「そんなことに虫を利用するなんて、絶対にダメ!」
きっと、お父さんだって同じことを言うだろう。
けれどもあたしの叫びは、ゲノム教授に一笑される。
「小娘一人になにができる。だが、私の計画はまだ途中の段階だ。ここまで知ったからには、生きて帰すわけにはいかない」
ゲノム教授の前に、三匹の暗黒昆虫が集まる。翅を羽ばたかせながら、各々がこちらへ頭を向けている。
ゲノム教授の片手がゆっくりと上がり、あたしに向けられた。
「やれ」
言うと同時に、暗黒昆虫たちが襲いかかってくる。
虫採り網はもうない。立ち上がろうとしたけど、身体に痛みが走って動けない。
――もう、ダメなの……!?
目前に迫る暗黒昆虫たち。あたしはキュッと目をつぶった。
と、その時。
「させない!」
声が聞こえたと思ったら、ザッと風を切る音が聞こえた。
恐る恐る目を開けると、そこにあったのは、虫採り網。白い網の中に、三匹の暗黒昆虫がまとめて入って、もがいていた。
あたしは顔を上げた。目の前で、あたしをかばうように立つ人物を見た瞬間、こらえていた涙が出そうになる。
「タテハ先輩!」
タテハ先輩はこちらへ振り返り、優しげなほほえみを浮かべた。
「遅くなってごめんね、アゲハ君」
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