6-03 お父さんと故郷
今から一年前――。
「アゲハちゃん、大丈夫やったか?」
「おばちゃん。うん、大丈夫だよ」
「アゲハちゃん、大きな地震やったなー」
「おじさん。そういえば、向かいのおじいちゃん、大丈夫かな?」
近所の人も外へ出てきていて、みんなで安否確認のように話をしていた。
ふと、あたしは廃校になった中学校のあるほうへ目を向けた。朝からお父さんは、研究をしに行くと言って、廃校舎に行っていた。
「お父さん、大丈夫かな……?」
つぶやいた時、視線の先に、こっちへと走ってくる人影が見えた。虫採り網を手にして、一直線に駆けてくる人物。あたしはほっと胸をなでおろして、その人物を呼んだ。
「お父さん!」
走ってお父さんのところまで行き、胸に飛びついた。お父さんは肩で息をしながらも、あたしを抱き返してくれた。
「アゲハ! 無事だったか?」
「うん! お父さんも、帰ってきてよかった!」
お父さんはあたしを地面に降ろして、ひざを折って視線を合わせる。その顔を見た時、あたしは違和感を覚えた。ここまで走ってきたというのに、お父さんの顔は、なんだか血の気が引いたように青ざめていた。
「お父さん? どうかしたの?」
「いや、なんでもないさ」
そう言ってお父さんは笑い、あたしの両肩に手を置いた。
「なあ、アゲハは昆虫が好きか?」
突然の質問に、数秒ポカンと固まって、目をパチクリさせた。
それから、あたしは笑顔で答えた。
「うん! 大好きだよ!」
その答えを待っていたかのように、お父さんはうなずき、持っていた虫採り網を差し出してきた。
「なら、大丈夫だ。この虫採り網を、アゲハに託そう」
「えっ? でもこれ、お父さんの虫採り網だよね?」
「ああ。お父さんの大切な物だ。大切な物だからアゲハが持っていてくれ」
そう言って、お父さんはあたしに虫採り網を握らせた。竹でできた柄に触れると、手になじむような感覚が伝わってきた。
お父さんは、この虫採り網で今までいろんな虫を採ってきた。それをあたしが使えるなんて。うれしくなって、その場で飛び跳ねながらお礼を言った。
「ありがとう、お父さん! あたし、大切にするね!」
そう、笑顔で言った直後だった。
「おい、なんだありゃ?」
近くにいたおじさんが声をあげ、空を指差した。
周囲の人たちが、おじさんの指している方向へ顔をあげた。あたしとお父さんも、そっちを見た。
白い雲が浮かぶ、いつもの晴れた空。けれどもその中に、黒い無数の点々が見えた。
「なに、あれ?」
目がおかしいのかな。あたしは目をこすって、もう一度空を見た。けれども、黒い点々は消えなかった。それどころか、どんどん増えている気がした。
「まさか……、完成していたのか……!?」
隣からお父さんの震えた声が聞こえた。
あたしは首を曲げ、お父さんのほうを向こうとした。
その時。
「きゃああああああーーーーー!?」
違う方向から悲鳴が聞こえ、あたしはそっちに顔を向けた。
近所のおばさんが、しりもちをついていた。その周りに、無数の黒いなにかが群がっていた。
あれは、虫……?
羽音が聞こえて頭上を見ると、さっきまで点のように見えたものがいた。それは
「な、なんだこの虫!? こっちに来るな!」
「いたっ! やめろ、痛い! 痛い!」
「あぁ!? 家が!? 家が壊される!?」
でも、いつも見るカブトムシとは明らかに違った。黒い虫たちは、村へ降りてきた途端、暴れ出した。人々を追いかけ回し、体当たりを繰り返し、あげくには家にぶつかって壁を壊そうとしていた。
「だれか! だれかこの虫たちをなんとかしてくれ!」
どこかで悲痛な声があがった。村の人たちはみんな、パニックになっていた。
だれかがほうきを持ってきて、虫たちをはたき落とそうとした。何匹かは地面に落ちたけど、多勢に無勢。次々に虫たちは襲いかかってきて、その人はほうきを放り投げて逃げ出した。
だれかが殺虫剤を持ってきて、虫たちに振りかけた。スプレーのかかった虫は地面に落ちたけど、すぐに動き出し、また飛び上がって人々を襲いだした。
だれかがたいまつを持ってきて、虫たちを燃やそうとした。けど、あろうことか虫たちは、自ら火に飛び込んでいった。そして体を燃やしながら、村の家々に突っ込んでいった。
あっというまに、家々から火の手があがり、村全体に燃え広がった。
「テントウ、あの虫はなんなんだ!? どうなってるんだ!?」
だれかがお父さんのそばへ駆け寄ってきて、声を荒げて言った。お父さんは答えず、火をまといながら燃え尽きるまで飛び回る黒い虫をにらんでいた。あたしの肩に置いた手が震えていた。
「まさか、これはあんたが……」
そばに来た人が、なにかを言いかけた。それを遮るようにお父さんは立ち上がり、声を大にして叫んだ。
「みなさん! この昆虫は危険です! 早く避難を! 村の外れにある集会場へ、避難してください!」
そう言うとひざを折り、もう一度あたしに視線を合わせた。
「アゲハは、お母さんたちといっしょに集会場へ行くんだ」
「お父さんは?」
「お父さんは、研究室を見にいく」
真剣な表情のお父さんを見て、あたしは胸騒ぎを覚えた。けど、なにか言う前に、お父さんはあたしの頭をひとなでして立ち上がった。そのままこちらへ背を向け、走り出した。
「お父さん! お父さん!」
炎のあがる中を、走っていく後ろ姿。追いかけようとしたけど、お母さんが来て止められてしまった。あたしはお父さんの背中に向かって、手を伸ばすことしかできなかった。
これが、あたしの見た最後のお父さんの姿であり、最後の故郷の光景だった。
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