6-02 データ

 いつのまにか、身体が横になっていた。地面と接している部分が冷たくて痛い。土の匂いが鼻を突く。

 ここはどこだろう。あたしはうっすらと目を開けた。


「うぅーん……」


 目の前にあったのは、積もった茶色い落ち葉。身体を起こして見回すと、暗い林の中だった。さっきまでいたオサム先輩の家の近くではないみたい。


「なんであたし、こんなところに……?」


 寝起きでぼんやりとした意識を働かせる。あたしはタテハ先輩やカーくんといっしょに、オサム先輩の家でバーベキューをしていた。それからみんなと展翅てんしをして、それが終わって、後片付けをしていて、そうしたら暗闇でチョウを見つけて、追いかけて、車を見つけて、ゲノム教授が出てきて……。


「そうだ、ゲノム教授! あたし、ゲノム教授の車に乗ってきたんだ!」


 そこでうっかり寝ちゃったのかな。でも、なんでこんなところにいるんだろう? それに、ゲノム教授はどこに……?

 わからないことがたくさんあって、暗い場所で独りぼっち。心細くなって、ずっと持っていた虫採り網を握りながら立ち上がる。

 と、その時。


「起きたかね、火津鳥ひつとりアゲハ」


 聞き覚えのある声がして、あたしはそちらに振り向いた。


「ゲノム教授!」


 木々の間から、ゲノム教授がゆっくりとこちらへ歩み寄ってきていた。

 知っている人を見つけて、あたしはほっと胸をなでおろす。

 それに、思い出した。車に乗る前、ゲノム教授はあたしに、お父さんについて話したいことがあるって言っていたんだ。


「すみません。あたし、眠っちゃってたみたいで。ところで、どうしてあたしをこんなところまで連れてきたんですか? お父さんと関係があるんですか?」


 訊きたいことが山ほどあって、早く知りたいという気持ちをなんとか抑えながらも、言葉は早口になってしまう。


 一方のゲノム教授は、あたしから五メートルほど離れたところで立ち止まった。なにも答えてくれず、にらむようにあたしを見つめてくる。どうしたんだろう、なんだか、いつもテレビで見るゲノム教授と雰囲気が違うような……。


「私のデータを返してもらおうか」


 突然、発せられたのは、身が震えるほどの低い声。


「データ?」


 意味がわからず、首を傾げて訊き返す。データってなに? あたし、ゲノム教授から、なにももらっていないんだけど。


「とぼけるな。アレには私の研究のすべてが詰まっている。ずっと探し続けていた。貴様が持っていると確信し、ずっと探し続けていたのだ」


 ゲノム教授の眼光が、鋭くあたしを射抜く。

 わけがわからなくて、怖くなって、足を一歩後ろに下げた。


「あ、あの、あたし、この虫採り網くらいしか今は持ってません。データってなんですか? なんのことを言っているんですか?」


 あたしは声を震わせながら、ゲノム教授に言った。


「あくまでしらを切る気だな。では、教えてあげよう」


 そう言うと、ゲノム教授はずっと白衣のポケットに入れていた両手を、おもむろに外へ出した。その手のひらになにかが乗っている。……虫?


「私が求めているデータは、貴様の父――火津鳥テントウが私から盗んだ、暗黒昆虫に関するものだ」


 右手にとまっているのは、はねが真っ黒なチョウ。左手にのっているのは、これまた全身が真っ黒なクワガタムシとカブトムシだ。

 まるで闇に染まったような、禍々まがまがしささえ覚える虫たちを見て、あたしは身体を強張らせた。


「その虫……まさか……」


 あたしの反応を見て、ゲノム教授は口角をつり上げる。


「知っているようだな」


 忘れるはずがない。思わず唇を噛み締めた。一年前に見た、空を覆い尽くす黒い塊の光景が、鮮明によみがえる。


「どうして、ゲノム教授が、その虫を……」


 やっとのことで声を絞り出す。

 ゲノム教授は、手におとなしく乗る虫たちを一瞥して、口を開いた。


「この暗黒昆虫は、私が創りだしたものだ」


 その言葉を聞いて、あたしは息を呑んだ。


夢士登里むしとり村の昆虫たちは、攻撃性が高いという特徴を持っていた。私は夢士登里村の昆虫たちの遺伝子を解析し、攻撃性を高める遺伝子――その名も『暗黒化遺伝子』を発見した。そして暗黒化遺伝子を過剰発現させた超攻撃的な昆虫が、『暗黒昆虫』だ。夢士登里村の昆虫同様、体色が黒っぽくなることからそう名付けたのだ」


 ゲノム教授が、流ちょうに話を続ける。


「ここにいる三匹は、残されたデータをもとに創りあげた試作品だ。テントウが盗んだデータには、私が研究してきた、さまざまな昆虫を暗黒化させる方法や、暗黒昆虫を大量増殖させる方法が入っている。あのデータさえあれば、私は以前創りだしたような完ぺきな暗黒昆虫を量産することができるのだ!」


 暗黒昆虫を両手にのせたまま、ゲノム教授は両手を広げて夜空に向かって叫んだ。

 おぞましさすら感じて、あたしは虫採り網をぎゅっと握りしめながら口を開く。


「あなただったんですね……」


 沸き上がってくる怒りの感情に任せ、キッと目の前の人物をにらみつけた。


「あなたが、あたしたちの故郷をめちゃくちゃにしたんですね!」


 ゲノム教授はなにも言わない。ただ笑みを浮かべたまま、両手を前へ出す。それが合図とでもいうように、暗黒昆虫たちが翅を動かし、ゲノム教授の手から飛び立った。


「おしゃべりはここまでだ。そろそろ私のデータを返してもらおうか」


 ゲノム教授が指示を出すようにあたしに向かって指をさす。すると暗黒昆虫たちはこちらに頭を向け、翅を羽ばたかせて突撃してきた。


「きゃっ!?」


 一年前と同じように、人に向かって襲いかかってくる暗黒昆虫たち。あたしは虫たちの攻撃をかわし、距離をとった。ロボットでもないのに、まるでゲノム教授の命令に従っているみたいな動きだ。


「暗黒昆虫の神経系には、行動制御回路が組み込まれている。だから私の意のままに動くのだよ。ゆけ。暗黒オオムラサキ、暗黒オオクワガタ、暗黒カブトムシ。テントウの娘から、私のデータを奪い返せ!」


 暗黒昆虫たちが、再びこちらへ向かって突っ込んでくる。


「データなんて知らないって言ってるでしょ! 持っていたとしても、あなたになんか絶対に渡さない! 暗黒昆虫なんか、このお父さんから託された虫採り網で、全部採ってやるんだから!!」


 叫んだ瞬間、ゲノム教授のまゆがピクリと動いた気がした。

 とにかくまずは、三匹の暗黒昆虫をなんとかするしかない。なんとかするには、採るしかない!


 故郷を滅ぼした虫を前に、あたしは虫採り網を構えた。

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