5-04 お父さん

 一年前、大地震と大火事によって、あたしの住んでいた村はなくなった。

 雑木林に囲まれていて、田畑が広がっていて、たくさんの虫がいる豊かな村だったのに、たった一日で、火の海に包まれてしまった。

 そして、お父さんも……。


「お父さんは研究者で、夢士登里むしとり村の虫について調べていたんです」


 村の高台にある廃校となった中学校が、お父さんの研究室だった。あたしもよくそこへ遊びに行った。研究室には、展翅して乾燥中の虫や、標本箱に入った虫がずらりと並べられていたのを思い出す。


「夢士登里村の虫は、他の地域とちょっと違っていたんです。全体的に体が黒くて、ケンカっ早い傾向があるって、お父さんは言ってました。どうしてこの村の虫だけ変わっているのかが、お父さんの研究テーマでした」


 あたしは展翅をしながら、過去を振り返るように話を紡ぐ。

 タテハ先輩もそんなあたしの話を、黙って聞いてくれていた。


「でも一年前、村を大地震が襲ったんです。それに加えて、大火事が起きて……。村の人はみんな避難して無事だったんです。けど、お父さんだけ、研究室を見にいくって行ってしまって、それきり……」


 村一つがなくなる大きな災害だったけど、幸い死者は一人もいなかった。ただ、行方不明者が一人。その一人が、あたしのお父さんだった。

 あたしは作業をいったん止めて、机に立てかけている虫採り網へと目を移す。手を伸ばし、竹でできた柄をそっと握る。


「この虫採り網は、地震が起きた直後に、お父さんからもらった物なんです。『大事な物だからアゲハが持っていてくれ』って。渡されて、頭をなでてくれて、それから後ろに振り返って、走って行っちゃったんです……」


 虫採り網を身体の前に持ってきて、柄をなでながら、白い網を見つめる。


「もしも、あたしが『行かないで』ってもっと強く引き留めていれば、お父さんは……」


 最後に見たお父さんの姿が、頭から離れない。あれ以来、ずっと後悔していた。もしもなんて、何度も何度も考えた。


「アゲハ君」


 その時、手の上に、温かいものが触れた。びっくりして視線を向ける。タテハ先輩の手が、あたしの手の甲に置かれていた。

 タテハ先輩は座ったまま身体をこちらへ向ける。両手であたしの片手を包み込むように軽く握った。


「辛い話をさせてしまってごめん。でも、今言えるのは、僕がそばにいるってことだよ」


 柔らかいほほえみが、あたしに向かって投げかけられる。

 タテハ先輩の温かさに、キュンと胸が痛くなる。目頭が熱くなって、ガマンできなくて。あたしは両手を広げて、先輩の胸の中へ飛びつこうとした。


「タテハせんぱーい、っ!?」


 けれども、飛び込む寸前、身体の傾きが止まる。後ろからだれかに肩をつかまれて、動きを止められていた。振り返ると、そこにいたのは。


「ったく、オレたちのことも、ちょっとは目に入れろよな」


 カーくんがなぜかジト目になってこっちを見つめていた。つかんだ肩を引いて、タテハ先輩のほうへ傾いていたあたしの身体を起こす。


「ボクのことも、忘れないでよね~」


 オサム先輩も、あたしとタテハ先輩の前にやってきて、重なり合った手をそっと離した。


「カーくん、オサム先輩、いつからいたんですか?」

「アゲハがタテハ先輩に展翅を教えてもらっている時から、正面で見てたぜ?」

「全然気づかないで二人の世界に入ってるんだもん~。ボク、嫉妬しちゃったよ~?」

「ごめんね、カブト君、オサム君。アゲハ君と集中していたら、つい」


 カーくんは腰に手を当てて口をとがらせて、オサム先輩はあごの下に人差し指をそえてニヤリと笑みを見せる。タテハ先輩が困ったように眉じりを下げて、苦笑いを浮かべた。

 そんな光景を見ていると、なんだか胸が温かくなって、思わず口もとが緩んだ。


「アゲハ、どうしたんだ?」


 急に笑みを浮かべたあたしの顔をのぞいて、カーくんが尋ねる。

 あたしは目じりに溜まっていた涙を自分でぬぐって、顔を上げた。


「お父さんがいなくなって、村がなくなって、あたし、ずっと一人で虫採りしていたの。でも今は、タテハ先輩やオサム先輩、それにカーくんもいてくれる。いっしょに虫採りをしてくれる人がこんなにたくさんいることが、あたし、うれしい!」


 そう言って、周りにいるみんなに顔を向けていると、自然と笑顔になる。


「『それに』って、オレをおまけみたいに言うなよな。これからも、虫採り付き合ってやるから……」


 カーくんがあたしの顔を見てから、視線をそらしてほおをかいた。


「ボクはタテぴーと虫採りができればいいと思っていたけど、アゲアゲやカブトんが加わった後も、にぎやかで楽しいかな~って思ってるよ~」


 オサム先輩が両手を頭の後ろで組んで、口角を持ち上げる。


「僕らは仲間だからね。これからもよろしく、みんな」


 そしてタテハ先輩が、カーくんやオサム先輩を見て、それからあたしを見て、ほほえみを返してくれる。


「仲間」


 タテハ先輩の言葉を、あたしは改めて口にした。いっしょに虫を採る虫採り仲間。友だちや家族とは違う、新しい響きに、なんだかこそばゆい気持ちになる。


「これからもよろしくお願いします! タテハ先輩、オサム先輩、それにカーくん!」

「だから、なんでオレだけ『それに』っておまけみたいに言うんだよ!」


 なんて言い合って、部屋の中が笑いに包まれる。

 持っていた虫採り網をかたわらに立てかけると、カタリッと網が音を立てた。


 ――お父さん。今のあたしは、仲間ができて、とても楽しい日々を送っているよ。だから、きっともう大丈夫。


「ところでタテぴー? 展翅する虫、まだたくさんあるんでしょ~? ボクたちも手伝おうか~?」

「ありがとう。今日中に終わらせたいと思っていたから、助かるよ」


 こうして、オサム先輩とカーくんが加わって、あたしたちは四人でいっしょに展翅を再開したのだった。

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