4-06 あの頃の記憶

 あれは今から二年前――オレがまだ小学生だった頃。


「カーくん! カーくん! 虫採り行こー!」


 学校の帰り、ランドセルを背負ったアゲハが近づいてきてオレに言った。

 通っていた小学校では、五年生と六年生はそれぞれ一人しかおらず、共同で教室を使っていた。その五年生と六年生というのが、アゲハとオレだった。


「アゲハ……。カーくんって言うのはやめろって、いつも言ってるだろ。オレ、いちおう年上なんだからな」

「じゃあ、カーさん?」

「オレはお前の母さんじゃねぇ!」


 毎日同じ会話をしているが、アゲハはオレがツッコむとおかしそうにケラケラ笑った。それを眺めながら、オレはランドセルを背負って、教室を出た。


「じゃあ、あとでな。いつもの場所で集合だぜ?」

「うん! 今日はなにが採れるかなー?」


 こうして、オレたちは毎日のように、学校が終わると虫採りをしていた。

 オレたちが住んでいたのは、山奥にある小さな村だった。田畑が広がり、雑木林に囲まれていて、きれいな川が流れていた。村の中心には神社があって、オレたちはいつもそこに集合し、夕暮れになるまで虫を探して採っていた。


「カーくん、今日はなんにもいないね……」

「アゲハ、よく見ろ。あっちの樹液に、オオムラサキのオスがいるぜ」

「えっ!? 本当だ! でも高くて採れないよー」

「オレが肩車してやる。ちゃんと採れよ」

「うん!」


 オレとアゲハはいつもいっしょだった。学校でもずっと隣の席に座っていたのに、放課後も休みの日も、オレたちは飽きることなく二人で虫採りをしていた。

 それだけ、夢中になっていたんだ。


「採れたー! オオムラサキ、採れたよ! カーくん!」

「おぅ、やったな、アゲハ!」


 紫色に輝くオオムラサキを見つめながら、目をキラキラと輝かせるアゲハ。

 採れた美しいチョウよりも、オレは活き活きと笑うアゲハを見て、顔をほころばせた。


 けれども、そんな楽しい時間は、オレが中学にあがった時に崩壊した。


土和どわカブトです。夢士登里むしとり村から来ました。よろしくお願いします」


 村にある中学校は廃校になっていて、オレは中学生にあがると、バスで一時間かけてふもとの町にある学校まで通うことになった。アゲハはいない。知り合いのいない初めての環境で、オレは学校生活をスタートした。


 クラスになじめるだろうか、仲間外れにされないだろうか。不安だらけだった初日の休み時間、オレの心は打ちのめされることになった。


「土和って、休みの日とか、なにしてんの?」


 オレは席が近くだった男子たちと、顔を向け合って話をしていた。たまたま休日の話題になり、前の席にいた一人がオレに話を振ってきた。

 その問いに、オレは意気揚々と答えた。


「虫採りしてるぜ」


 言った瞬間、目の前の男子の顔が引きつったように見えた。けれどもオレは気のせいだと思って、そのまま話を続けた。


「オレの村には、虫がすげーたくさんいるんだ。めずらしい種類もいてさ。カブトムシとか、他の場所と違って、体が黒くてケンカっ早いんだ。あとさ、」

「へぇー、土和って、虫が好きなんだな」


 もういい、というように、隣の男子が話の途中で割り込んできた。どこかバカにするような口ぶりで、口もとが緩んでいた。

 前に座る男子が、イスの背もたれにほおづえをつきながら、話を継いだ。


「カブトムシか、懐かしいな。俺、小三の頃に飼ってたわ。ホームセンターで売られてたやつ」

「おれ、虫ダメなんだよなー。カブトムシとかクワガタとか見ても、角の生えたゴキにしか見えねぇもん」

「ゴキはねぇだろ。あっ、でも言われて見れば、似てるかもな」

「だろー?」


 ハハハハハ……。と、手をたたいて笑い出す二人。

 その顔を見ても、オレは全然笑えず、その場で固まっていた。


 なに言ってんだ、こいつら。だいたい、カブトムシは角が生えているが、クワガタについているのはアゴだ。そもそも、カブトムシやクワガタと、ゴキブリは全然違う。カブトムシやクワガタはさなぎの期間を経て成虫になる完全変態で、ゴキブリはさなぎにならずに成虫になる不完全変態だ。分類でいえば、前者はコウチュウ目で、後者はゴキブリ目。生態的にも分類的にも、全然違うもの……。


「あとさ、土和って、語尾に『ぜ』ってつけるんだな。なんか、マンガのキャラみてぇ」


 考え込んでいた頭の中に、冷水をぶっかけられたみたいに声が降ってきた。悪意はなかったと思う。ただ、ストレートすぎる言葉が、オレの心を深くえぐった。

 恐る恐る視線を持ち上げると、二人はもう話題を変えて、楽しそうに話していた。

 この前買ったゲームがどうとか。昨日読んだマンガがどうとか。映画がどうとか……。


 その内容は、オレがまったく知らないものばかりで、ついていける気がしなかった。


 オレは顔を上げて、辺りを見回した。みんな、同じ小学校から上がってきたのだろう。男子も女子も、グループができあがっていて、楽しそうに話をしていた。


 虫について話している人は、だれ一人、いなかった……。


 そして、その週の学校が終わった休みの日。


「カーくん! カーくん! 虫採り行こー!」


 自室にいたオレのもとに、アゲハがやってきた。田舎の家はカギなんか掛けていなかったから、アゲハはいつだって自分の家みたいに出入りしていた。

 一週間前までだったら、オレは喜んでアゲハといっしょに外へ出ていただろう。

 けれどもあの時のオレは、もう、首を縦に振らなかった。


「オレ、虫採りやめる……」

「えっ?」


 アゲハが首を傾げて、オレの顔をのぞきこんできた。

 オレはその表情を見ないまま、手もとを見続けた。

 そこにあるのは、貯金箱を壊して取り出したお金。その年の夏に向けて、虫の図鑑や飼育セット、標本を作る道具なんかを買うためにとっておいたものだった。

 けれどももう、虫のためには使わない。町へ出て、ゲームを買うために使おうと、お金を財布に突っ込み、オレは立ち上がった。


「オレ、もう虫には興味ない。虫採りもやめた。やるなら一人でやってろ」

「えっ? 待ってよ、どういうこと!? ねぇ、カーくん? カーくん!」


 アゲハが困惑しているようにまゆをゆがめて、オレに詰め寄ってきた。オレはなにも言わずに部屋を出た。後ろからアゲハの悲しそうな声が、背中を刺してきた。それでもオレは振り返らずに、ぎゅっと拳を握りしめながら歩いていった。


 それからというもの、オレはアゲハを避けるようになった。虫採りに誘われないように、アゲハを見たら物陰に隠れてやり過ごしていた。アゲハはその後も、何度か家に訪ねてきた。でも、オレはそのたびにろくに話もせずに出掛けていった。


 それから三ヶ月後。夏の盛りが来る前にアレが起き、オレとアゲハは村を離れ、バラバラになってしまった。

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