2-06 小金オサム
「おめでとう、アゲハ君」
ネットの中から、タテハ先輩が拍手を送ってくれる。
あたしは照れて頭をかきながら、虫ロボがうずたかく積まれた段ボール箱の中にゴキロボを入れた。
そして網の先を、空中に浮くドローンへ向ける。
「さぁオサム先輩! タテハ先輩をネットから出してください!」
ドローンから『うぅ~……』とか『ぐぬぬ……』とか、悔しそうな声が聞こえてくる。一通り感情を噛み締めたのか、しばらくして『はぁ……』と大きくため息を吐く声が聞こえた。
『わかったよ……』
言ったと同時に、ネットをつり上げていた縄がプツンッと切れた。
「先輩、危なーい!」
地面へと落ちていくタテハ先輩。あたしはとっさに駆けだして、腕を伸ばした。
次の瞬間。
「ぐへっ!?」
背中に衝撃が走り、カエルが潰れるような声を出して、うつ伏せに倒れてしまう。
「わっ!? ア、アゲハ君? 大丈夫かい?」
首をひねって見ると、タテハ先輩があたしの背中に乗っていた。慌ててネットをほどき、腰を上げて、こちらを心配してくれる。
あたしはピクピクと震えながら、グッと親指を立ててみせた。
「大丈夫です……。タテハ先輩こそ、無事で、よかった……。ガクッ……」
ちょっと叫びすぎて、走りすぎたかな。力尽きて、地面と仲良くしてしまう。
そばでひざをついたタテハ先輩が、あたしの名前を呼んで、身体を揺すってくれる。温かな手が、背中を何度もさすってくれる。
「な~にっ、イチャイチャしてるの?」
と、いいところだったのに、横から別の人の声が響いた。機械ごしではない、クリアな声。空中に浮いていたドローンが、徐々に高度を下げていく。その先の茂みから、人の足音がする。
「オサム君」
タテハ先輩が、動く茂みの先を見据えて、その人の名前を呼んだ。
あたしは身体を起こして、立ち上がった。初めて会うオサム先輩。いったいどんな人だろうと、緊張しながらつばを飲み込む。イメージでは、白衣を着ていて、ひょろっとした身体で、いつも怪しい笑い声を響かせているマッドな科学者みたいな感じなんだけど。
「悔しいけど、負けは負けだからね。お前の実力は認めるよ」
ドローンが、伸ばされた手の上に乗る。
すそが地面につきそうな白衣をはおり、ベージュの短パンをはいている。黄緑色をしたポロシャツを来て、胸もとにつけられた緑色のネクタイが揺れる。肩の上で切りそろえられたダークブラウンの髪を耳にかけて、頭の上には、髪をまとめて作ったのかな、ぴょっこりと突き出たネコのような耳が一対。
「アゲハ君、改めて紹介するね。虫研の一員の、小金オサム君だ」
タテハ先輩がそう言って、手のひらをオサム先輩に向かって指した。
あたしよりも小さな身体が目の前で立ち止まり、恥ずかしそうにほおをかく。くりっとした大きな瞳がこちらを見上げ、手が前へ差し出される。
「よろしく、アゲ、」
あぁっ、もうガマンできないっ!
あたしは両手を広げて、目の前のかわいい女の子に抱きついた。
「うわぁ~~~~~んっ!? 放せ! 放せよ~っ!」
「かわいいっ、かわいいよ! かわいいよーっ! オサム先ぱーい!」
オサム先輩は嫌そうに手足をじたばたと動かす。小さな身体は小動物のようにかわいらしくて、あたしの本能が放すのを許してくれない。口からは、その言葉しか知らないんじゃないかってくらい「かわいい」という言葉がダダ漏れてしまう。
「かわいいよー! 特にこのネコ耳ヘアがかわいいよー!」
「やめろ、触るな~! あと、これはネコ耳じゃなくて、ヒメジャノメの幼虫耳だからなっ!」
「なおさらかわいいーっ!」
小さな身体をギュッと抱きしめて、柔らかいほおをスリスリしてしまう。
ヒメジャノメは
「二人とも、仲良くなってくれてうれしいよ」
「タテぴーは、笑ってないで助けてよ~っ!」
「あぁっ、ごめん。アゲハ君、いったん離れようか?」
タテハ先輩は目を細めながらあたしたちを見守っていた。オサム先輩の悲痛な一言でこちらへ向き直り、あたしをやんわりと制止する。
もっと抱っこしていたかったけど……。あたしはしかたなく手を離して、オサム先輩と向かい合った。
「もう、こうやってなめられるから、後輩は嫌だったんだよ……」
オサム先輩は汚れを落とすようにパンパンと服を払いながらつぶやいた。
「なめてなんかないですよ? 先輩、かわいいです!」
「だから、かわいいって言われるのが嫌なの! その言葉、ボクの前では言わないでよねっ!」
「はーい」
かわいいオサム先輩が言うのなら、かわいいからしかたない。
あたしが手を挙げて返事をすると、オサム先輩はほおを膨らませてフンッとそっぽを向いた。怒った仕草もまたかわいい。思わず手をわさわさと動かして、抱きしめたい衝動に駆られてしまう。
「ところでアゲハ君、歓迎会は楽しんでくれたかい?」
飛びかかる寸前で、タテハ先輩が尋ねてきた。
「歓迎会?」
あたしは首を傾げる。そういえば、オサム先輩のかわいさのせいですっかり忘れていたけど、あたし、さっきまで虫ロボ百匹に取り囲まれたり、ゴキロボに追いかけられたりしていたんだった。悲鳴ばかりあげていて、まったく楽しむ余裕なんてなかったんだけど。まさかあれが、歓迎会?
「うん。アゲハ君の話をした時に、オサム君がサプライズを企画してくれたんだ。まさか、僕まで巻き込まれるとは思っていなかったけどね」
そう言って、肩をすくめて笑みを浮かべる。
「でも、虫ロボ百匹も出てきましたけど……」
「あれは、アゲハ君が好きなことは虫採りだと知っていたから。オサム君は、アゲハ君の実力をこの目で確かめてみたいとも言っていたからね」
「でもでも、ゴキロボなんていましたけど……」
「あれは、ごめんね。まさかアゲハ君があんなに苦手とは思っていなくて。でも、ゴキブリも昆虫の一種だから」
「でもでもでも、負けたら虫研に入れないって……」
「そんなこと言っていたかい? そういえばオサム君、なにか賭けていたような?」
タテハ先輩がのん気にあごに手を添えて、視線を隣へと向ける。
オサム先輩はいたずらっぽい笑みを浮かべ、口の端を持ち上げた。
「さぁ~ねっ。まぁ、ボクが言ったことは、全部本気じゃないなんてことはないんだけどね~」
ややこしい言い方をして、含んだ笑みを見せる。
タテハ先輩はきょとんと首を傾げた後、オサム先輩の意図を知ってか知らずか、またニコニコと笑みを浮かべた。
「ねぇねぇ~?」
と、オサム先輩がタテハ先輩には見えないようにして、あたしに向かって小声で手招きした。
そばに寄ると、近づいた耳もとへくちびるを寄せてきて、ささやかれる。
「タテぴーって、天然なところあるんだよね~。まったく、鈍くて困っちゃうよ」
そう言って、ペロッと舌を出して笑う。ほおがほのかに赤く染まっていた。
その姿を見て、あたしはなんとなく察した。タテハ先輩は歓迎会だと思っているみたいだけれども、オサム先輩はあたしと本気で勝負がしたかったんだ。その理由はきっと、タテハ先輩を取られたくなかったから、じゃないかな。
「オサム先輩」
「な~にっ?」
「あたし、負けませんから」
言って、満面の笑みを浮かべる。
オサム先輩が驚いたみたいに大きな目を丸く見開いた。それからフンッと鼻で笑って、口角を上げる。
「生意気言うじゃない? いいよ~、ボクだって、負けないからねっ」
そう言って、互いにウインクをしてみせる。
「なんだか楽しそうだね。仲良くなってくれて、本当にうれしいよ」
なにも知らないタテハ先輩が、やっぱり笑顔であたしたちを見守っていた。
「さあ、そろそろ帰ろう。もう夕方だよ」
「はい! オサム先輩、行きましょう!」
「待ってよ~。この虫ロボたち、どうすんのさ~!」
夕陽に染まる林の中、にぎやかな声が響く。
こうして、あたしは虫研の仲間に入り、新しい一歩を踏み出したのだった。
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