2-05 あきらめない!

『降参しちゃえば、君をここから解放してあげるよ~?』


 ゴキロボに追いかけられながら、耳に誘惑するような甘い声が入ってくる。

 降参すれば、このゴキロボとの追いかけっこから解放される……。


「で、でも、勝てなかったら、タテハ先輩が……」


 揺らぎかけた心を戻すように首を振って、あたしはつぶやいた。

 この勝負に勝てなければ、タテハ先輩を助けることができない。それにオサム先輩は言っていた。負けたらタテハ先輩に近づくなって。そうなったら、虫研にも入れなくなってしまう。

 あたしはゴキロボから逃げながら、ちらと頭上を仰いだ。心配そうに見つめるタテハ先輩と目が合う。


「アゲハ君、がんばって!」


 やさしい言葉を受けて、あたしは虫採り網を握りしめた。


「ダメです……」

『お~? ついに心が折れた~?』


 オサム先輩のにやけたような声が聞こえる。

 あたしはドローンにつけられたカメラのレンズをにらみつけ、言葉を続けた。


「降参するなんて、絶対にダメです! あたしは、タテハ先輩と虫採りがしたいです! まだ出会ったばかりで、わかんないことも多いけど、それでも、タテハ先輩といっしょに虫採りがしてみたいです! だから……」


 怖さを乗り越え、あたしは走るのを止めて、振り返る。


「だから、あたしはゴキロボを採ります! 採って、必ずタテハ先輩を助けてみせます!」


 前を見据え、網を構える。必採技が通じない。けれどもどこかにチャンスが必ずあるはずだ。


『ふぅ~ん? 生意気言うじゃない? で~もっ、そういうのは、ホントに採った時に言ってほしいな~っ!』


 オサム先輩の言葉とともに、ゴキロボがこちらへ走ってくる。パッとはねを広げ、顔面めがけて飛びかかってくる。


『やってしまえ、ゴキロボ「グレイト」!!』


 うっ……と、息が止まりかける。それでもお腹に力を入れて、網を勢いよく振り払った。


「はぁっ!」


 パキッ。


 その時、なにかの折れたような小さな音が、耳に届いた。

 網の枠になにかの当たった感触がした。けれども網の中にはなにも入っていない。

 ゴキロボは? 足もとにいた。よく見ると、片方の翅が欠けてしまっている。


『しまった!? 翅が折れちゃったか。で~もっ、走行に問題はないみたいだね~』


 一瞬、ドローンから焦った声が聞こえた。けど、ゴキロボは変わらず高速でグルグルと回り出す。

 さっきなにか当たった感触があったのは、ゴキロボの片翅だったみたい。これで飛んでくる心配はもうないだろうと、心の中でほっと息をつく。


「ん? 飛ぶ……?」


 なにかがひらめきかけて、あたしは目の前で走り回るゴキロボに目を落とした。

 十文字斬りを使っても、網と地面のすきまから出ていってしまう。居合いの舞ですくいとろうとしても、空気の流れを感じ取ってかわされてしまう。どんなに網を振っても、驚異的な足の速さで逃げられてしまう。

 でも、飛んでいる時に網を振ったら、採れはしなかったけど、当たった。


『な~にボーッと突っ立ってるの? 追いかけちゃうよ~?』

「えっ!? ま、待ってくださいぃぃぃぃいいいいいいいいいいいいっ!?」


 何度目かわからない叫び声を上げて、何度目かわからない追いかけっこが始まる。

 それでも逃げながら、頭の中で必死に考える。

 さっき飛んでいた時が、もしかしたら採るチャンスだったのかもしれない。けれども翅が折れてしまったから、もう飛ぶことはないだろう。せっかくのチャンスを、あたしは……。


『あ~れっ? もしかして、飛んでいる時なら採りやすいと思った? 危ない危ない。でももう飛ばないから、安心してね~?』


 オサム先輩が、心の中を読んだかのように言ってくる。

 もうゴキロボ自らが飛ぶことはない。だったら、なんとかして飛ばせる方法があれば……。でも、どうやって……?


「ああー、わかんないよーっ!」


 空に向かって叫び、頭をかきむしる。困ったあたしを見て楽しむかのように、ドローンから笑い声が聞こえてくる。


「アゲハ君、落ち着いて考えるんだ。君の必採技をもう一度思い出して!」


 不意に、タテハ先輩がネットの中から叫んだ。

 あたしの必採技? その中に、答えがあるの?


『タテぴーっ、余計なこと言わないでよ! タテぴーはどっちの味方なのっ!』

「えっ、僕は――」


 先輩方が言い争っている間、あたしは走りながら頭の中を整理する。

 居合いの舞は横一線に網を振り払う技だ。十文字斬りは横に振ったあと、上から下へ振り下ろす技だ。どっちもゴキロボには通じなかった。横からすくい採るのも、上から下へかぶせるのもダメだった。

 だったら……?

 

「きゃっ」


 その時、強い風が、林の木々を揺らした。

 足もとに散らばっていた落ち葉が舞い上がって、四方に飛び散る。

 その光景を見ながら、あたしは足を止めた。


「これだっ!」


 あたしは振り返って、再びゴキロボと対峙した。虫採り網を脇腹に据える。


『また必採技を出す気? で~もっ、お前の技はもう効かないよっ!』


 ゴキロボが止まる気配なく、こちらへ走ってくる。

 あたしは目を一度つむった。ゆっくりと息を吐き、意識を集中させる。

 練習なんてできない。チャンスは一度きり。でも、必ず成功させてみせる!

 カッと目を開き、網を持つ手に力を込める。


「はぁっ!」


 あたしは虫採り網を全力で、


『なにっ!?』


 衝撃で風が起こり、落ち葉が舞い上がる。ゴキロボも、風圧に耐えきれず上空へと吹っ飛ばされた。

 空中にいれば、すきまなんて生まれない。体勢を崩していれば、いくら空気の流れを感じていたとしても反応できない。地面に脚が触れていなければ、速さなんて関係ない。

 これが、あたしが編み出した、新しい技!


「必採技、アッパーキャッチ!!」


 振り上げた虫採り網を、ゴキロボめがけて振り下ろす。同時に手首をくるっと回して、網を折りたたむ。

 真っ白な網の中で、ゴキロボが仰向けになって脚をピクピクと動かしていた。


「やった……」


 息を整えて、つぶやいた。

 舞い上がった落ち葉が、ひらひらと静かに地面へ落ちていく。

 沸き上がる思いを爆発させるように、その場で勢いよく跳びはねた。


「やったー! 百匹、全部採ったーっ!」

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