2-02 デートみたい?

 タテハ先輩と虫採り勝負をした次の日。

 あたしは駐輪場に自転車を停めて、辺りを見回した。

 やってきたのは、学校の近くにある大きな公園。遊具の置かれた芝生の広場があり、子どもたちの無邪気な声が響いている。その奥は草花の楽しめる遊歩道になっていて、さらに奥はうっそうとした林が広がっている。


「髪、OK。服も、OK」


 念入りに身だしなみを整えて、あたしは公園の中に入っていった。入り口近くのベンチに知っている横顔が見えて、思わず笑顔になり駆け寄る。


「タテハ先輩!」


 こちらへ振り向いた顔は、にこやかな表情を浮かべていた。


「アゲハ君。来てくれてありがとう」

「いえ。待たせてしまって、すみませんでした」

「ううん。僕も今来たところだよ」


 今日の先輩は、白のシャツに紺色のカーディガンをはおり、ベージュのチノパンをはいている。やっぱり学校の先生みたいで、今日も細縁の眼鏡がミヤマカラスアゲハのように輝いて見える。


「それじゃあ、行こうか」


 ベンチに立てかけてあった虫採り網を手に取り、タテハ先輩は歩き出した。あたしもその後をついていく。

 いっしょに網を揺らしながら、肩を並べて歩く。まるであこがれの虫採りデートをしているみたいで、なんだかドキドキしてしまう。

 って、ときめいている場合じゃない。我に返って、気になることをいてみた。


「あの、どこへ行くんですか?」


 タテハ先輩と虫採り勝負をしたのは昨日。あの後先輩に、「明日ここへ来て」と伝えられて、あたしは来た。どこへ連れていくつもりだろう。


「今日はね、会わせたい人がいるんだよ」

「会わせたい人?」

「そう。虫研の一員だよ」

「むしけんの、一員?」


 あたしは首を傾げた。昨日はタテハ先輩、勝負の後すぐに帰っちゃったから、ほとんどなにも聞けなかったんだよね。あたしは、タテハ先輩が上級生であることくらいしかまだ知らない。


「あの、むしけんってなんですか?」


 まずはそこから訊いてみる。

 眼鏡の奥がキランと光った気がして、タテハ先輩は話し始めた。


「虫研というのは、昆虫研究同好会の略称だよ。僕が立ち上げた会で、定期的に昆虫の採集や観察をしているんだ。といっても、学校の正式な部活ではなくて、人数も僕を含めて二人しかいないんだけどね」


 タテハ先輩は肩をすくめるけど、楽しげな表情のまま語り続ける。


「僕はね、この虫研をもっと大きくして、部活として認めてもらいたいんだ。そのためには、実績と人数が必要になってくる。だから、この大会に出ようと思っているんだ」


 そう言って、かばんから一枚の紙を取り出した。

 チラシみたいだけれども、なんだろう。目の前に差し出され、書かれている文字を読み上げてみる。


「『虫採り全国大会』!?」

「そう。一ヶ月後に隣町で開催されるんだ。これに出場して、優勝して実績を作れば、部活として認められるかなと思って」


 そして……。と、タテハ先輩はチラシの一カ所を指差した。


「この大会は、一チーム四人いないといけないんだ。だから、大会に出場するために、メンバーを探していたんだよ」


 なるほど。だから先輩は、虫採りをしていたあたしに声をかけてくれたんだ。


「あれ? じゃあ昨日、勝負を始める前に先輩が言ってた、もしあたしが勝ったらいいこと教えてあげるっていうのは……?」

「それは、虫研のことと、大会のことだよ」


 なんだ。じゃあ、どのみちタテハ先輩は、あたしを虫研に勧誘する気だったんだ。

 そう思っていると、隣を歩く先輩が急に立ち止まった。あたしも歩を止めて振り向くと、改まったようにこちらを見つめる目があった。


「それで、昨日はちょっと強引に誘ってしまったけど、どうかな? アゲハ君さえよければ、大会にいっしょに出場してほしいんだ。できれば、虫研にも入ってほしいんだけど」


 そう言って、目を細めながら小首を傾げるタテハ先輩。その仕草にドキッとしてしまって、あたしは二つも返事を待たずにうなずいた。


「もちろんです! あたし、だれかといっしょに虫採りしたくて、こういうのずっとやってみたかったんです。これからよろしくお願いします!」


 そう言って、頭を下げる。

 顔を上げると、タテハ先輩は今日一番の幸せそうな顔でほほえんでいた。


「ありがとう、うれしいよ。きっとオサム君も喜んでくれると思うよ」

「オサム、さん?」

「オサム君は、さっき言っていた虫研の一員だよ。僕と同じクラスで、科学部の部長もやっているんだ」

「へぇー、オサム先輩、ですね!」


 覚えるために、もう一度名前を繰り返す。オサム先輩。どんな人なんだろう。タテハ先輩みたいに、やさしい人だといいな。

 そう思いながら、あたしたちは再び歩き出した。

 広場を過ぎて、左右に草花の植えられた遊歩道を歩いていく。子どもたちのにぎやかな声も聞こえなくなって、突き当たりに見えてきたのはうっそうとした林。


「この奥に行くんですか?」

「そうだよ。このさきでオサム君と待ち合わせしているんだ」


 タテハ先輩は、どこにあるのかわからないような草木の茂った入り口のほうへ歩いていく。あたしもおっかなびっくりその後をついていった。

 いちおう歩ける道があるけれど、周囲は手入れされている雰囲気があまりなくて、草木が伸び放題になっている。こんなところに来る人はだれもいないみたいで、鳥の鳴き声しかしない。虫はたくさんいそうだけど、薄暗くてちょっと不気味な林だ。


「うわっ」

「どうしたんですか?」


 突然、前を歩くタテハ先輩が悲鳴をあげた。顔の前で手を払っている。


「クモの巣が顔にからまってしまって。……うっ」


 タテハ先輩の手の甲には、アシナガグモという細めの体のクモが乗っていた。

 先輩の顔がさっと青白く染まる。そのままぎこちなく身体を動かして、近くにある木へと歩き、そっと手にいるアシナガグモを幹へ移動させた。その間、顔はずっと引きつった笑みを浮かべていた。


「もしかして先輩、クモ苦手なんですか?」


 クモを逃がして、ほっと息を吐いている姿に訊いてみる。


「う、うん。恥ずかしいけど、実はそうなんだ」


 タテハ先輩はこちらを見て、苦笑いを浮かべながら答えた。

 再び歩き出して、話を続ける。


「小さい頃、採ろうとして追いかけていたチョウがクモの巣にからまって、そのまま食べられてしまってね。それを見てから、どうしてもクモを見ると怖くなってしまうんだ」

「そうなんですね」


 話を聞きながら、あたしは心の中でこそばゆさを感じていた。タテハ先輩にも苦手なものがあるんだ。意外な一面を見られた気がして、なんだかうれしい。こうやって少しずつ、距離を縮めていければいいな。


「アゲハ君は、苦手なものとかないのかい?」

「あたしですか、う~ん、虫は全般大好きです。でも……」

「あっ、着いたよ」


 せっかく話が盛り上がりそうだったのに……。

 目的地に到着したみたいで、話が打ち切られ、タテハ先輩が立ち止まる。


「オサム君は、まだ来ていないみたいだね」


 辺りは木々が開けて、原っぱが広がっている。見回すけど、人の姿は見当たらない。


「あれは……?」


 一つだけ、前方の草むらに、抱えるほどの大きさの段ボール箱が置かれていた。

 タテハ先輩が首を傾げ、その箱へと近づいていく。


「『タテぴーへ』って、オサム君のものかな?」


 片ひざを曲げて、段ボール箱をのぞきこむタテハ先輩。

 あたしはちょっと離れたところに立って、その様子をながめていた。

 虫採り網を地べたに置いて、タテハ先輩が箱に手を触れた。次の瞬間。


「えっ!?」


 突然、地面から大きなネットが現れ、タテハ先輩の身体を捕らえた。

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