1-03 アオスジアゲハを採れ!
この学校は、中央に校舎があって、北に昇降口と駐車場、東に体育館、西に桜の並木があり、南にさっきまでいた中庭の原っぱがある。
今、あたしは、アオスジアゲハが飛んでいった北側の駐車場にやってきた。
すると頭上に、ひらひらと舞うチョウを発見!
「あっ、アオスジアゲハ! よーしっ、
チョウに集中して、構えの姿勢に入る。さぁ来い、アオスジアゲハ。君がひらひら来て、射程距離にちょんとした瞬間、ばっと採って、よっしゃーとしてやるんだから! さぁさぁ、来るんだアオスジ……あれ?
「って、届かないんですけどー!」
それもそのはず。アオスジアゲハはひらひらと空高くを飛んでいる。あたしとの距離は五メートル。網を伸ばしても届くわけない。
って、なに一人漫才やっているんだろう。こんなところをタテハさんに見られたら恥ずかしくてたまらない。
幸い、辺りを見回してもタテハさんの姿はない。たぶんまだ、このチョウを探しているんだろう。
「よーしっ、タテハさんに見つかる前に早く採っちゃおー。勝算はあたしにあり!」
あたしはアオスジアゲハの後を追った。アオスジアゲハはよく高いところを、しかもチョウにしては高速で飛ぶから、そのままでは採りにくい。けど、よく花に訪れて蜜を吸うから、そこをねらえば必ず採れるはず。
「おーい、早く下りてこーい」
そうつぶやきながら、後を追い続ける。アオスジアゲハは西側にある桜並木までやってきた。桜の下にはツツジの植え込みがあって、ピンク色の花が咲き乱れている。
蜜を吸いに下りてこないかな? そう願っていると、アオスジアゲハが高度を下げ始めた。よし、下りる! そう思った、そのとき。
「やっと見つけた」
振り返ると、そこにはタテハさんが。あたしに向かって走り出していた。
「きゃー、まずいっ」
思わず小声で叫んでしまう。
あたしとタテハさんの距離、十メートル。
あたしは大急ぎで前を向き、網を構えた。アオスジアゲハは花の蜜を吸っている。
あたしとアオスジアゲハの距離、五メートル。
全てをそのチョウに集中させる。
「
あたしは構えの姿勢をとったまま駆けだした。居合いと言ってもただ待っているだけじゃない。剣道でいうすり足。相手に気付かれずに、素早く近づく。そして相手が射程距離に入った、瞬間。
「はぁっ!」
一気に網を振り払う。近くにあったツツジの花があたしの前で舞い散った。
……決まった。って、あれ!?
「いない! 採れてないじゃん!」
網の中にはツツジの花びらがあるだけで、アオスジアゲハの姿がない。
あっ、そっか……。実はあたし、すり足をすると命中率が下がるっていうか、この技で成功したこと、ないんだよね……。
「次は、僕の番だね」
あたしの横をタテハさんが通り過ぎる。口もとが緩んでいた。って、笑わないでくださいよ、タテハさん。そうツッコミをいれたかったけど、その前に顔が熱くなって、なにも言えない。
「行くよ」
ささやいたタテハさんはアオスジアゲハの真下に来て、網をまっすぐ前に伸ばした。けど、アオスジアゲハはまた上空に飛んでいって、網の届かないところにいる。
いったい、どうやって採るんだろう?
ゆっくりと、タテハさんの瞳が閉ざされる。
「
言った瞬間、カッと瞳が開かれた。
あたしは思わず、一歩後ずさりをしてしまった。タテハさんの瞳が真剣そのもので、鋭い眼光を放っていたから。ときどきアオスジアゲハの行方に注意を払いながら、まっすぐ垂れた網の先を見つめている。
辺りは鳥がさえずるのどかな場所なのに、タテハさんの周りだけ、ピンと緊張のクモの糸が張り巡らされた。そんな空間に、あたしもからまっちゃったのか、まったく動けなくて、言葉が出なくて、鳥の声も遠のいて、息さえも苦しくなりかける。
微風があたしの髪を揺らし、タテハさんの持つ網の先を揺らす。その瞬間。
「見えた」
言ったと同時にタテハさんは走り出した。
一方のあたしは、金縛りが解けたように身体が楽になり、その場にへなへなと座り込んでしまう。って、ゆっくりしている場合じゃないよ。タテハさんの目にはなにが見えたんだろう。すぐに立ち上がり、後を追った。
いた。タテハさんとアオスジアゲハ。けど、様子が……。
「タテハ、さん?」
タテハさんが右へ行くとアオスジアゲハも右へ。左へ行くと左へ。その姿はまるで踊っているよう。けどやっぱり、ふたりの距離は遠く、網を伸ばしてもギリギリ届かない。それでもタテハさんは楽しそうにアオスジアゲハを見つめ、エスコートするように半歩前へ進む。
「さあ、おいで」
そう言った瞬間、ものすごいスピードで網を振り払った。風の切る音はしたけど、アオスジアゲハには一センチ届かない。けど、あれ? うそ……。まるで振った網の軌道に沿うようにして、アオスジアゲハがどんどんと下りてくる。そしてその先には、ぽっかりと口を開けた網が。アオスジアゲハはなんのためらいもなくその中へ入り、白い網の上で
「アオスジアゲハやアゲハチョウの仲間には“
タテハさんはあたしに目を向け、笑顔で説明してくれた。余裕だよ、って表情。
「す、すごい……」
あたしの手から虫採り網がカランと落ちる。完敗だ。虫のことをよく知っていて、周りの環境にも敏感で、虫採りにも熟知してないと、あんな技はできない。一体、タテハさんは何者なんだろう。こんなすごい人が、今、あたしの目の前にいるなんて。
タテハさんは網の中のアオスジアゲハをちょんと触り、外へと羽ばたかせた。そして再び、こちらへと視線を移す。
「さあ、約束だよ。僕の言うことを聞いてもらおうか」
「えっ」
そうだ、忘れていた。あたしが負けたら、タテハさんの言うことをなんでも聞かないといけないんだった。
タテハさんが一歩、一歩、あたしに近づいてくる。
あたしも一歩、一歩、後ずさりしてしまう。けど、背中に木が当たり、とうとう追い詰められてしまった。
なにをする気ですかタテハさん? 乱暴なことはしないでくださいよ!?
タテハさんの右手があたしの顔面へ。きゃぁぁああああああーーーー!?
「ようこそ、虫研へ」
……えっ?
思わず閉じていた目を恐る恐る開くと、そこにあったのは、差し出されたタテハさんの手。そして、タテハさんのやさしい笑顔。
「むし、けん?」
これが、あたしとタテハ先輩の出会いだった。
そして――。
「ボクに黙って、なにやってるのかなぁ~?」
校舎屋上から、双眼鏡を手にこちらを見つめる人影が一つ。
「認めない……。ボクは絶対に、認めないからなっ!」
新たな戦いが始まろうとしているのを、あたしはまだ、知らない。
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