046 聖女~からくり人形のように・・・



「な、なに……何なの、これ……」


 ミッシェルは呆然としていた。しかしすぐにハッと目を見開き、立ち上がる。


「分かったわ! きっとここは違う村なのよ! そうよ、そうに違いないわ!」


 声に出して納得するミッシェル。しかしその声は震えており、必死に自分で自分にそう言い聞かせていることは明白であった。

 彼女は笑っていた。

 自然と口元がつり上がり、アハハと声が漏れている。

 まるで、体の細胞全てがそうさせているかのようであった。


「あのいけ好かない指導員がミスしたのよ。だから私は違う村に転移されて、ビックリする羽目になったんだわ! 全く困ったものよね。この程度のこともちゃんとできないだなんて!」


 腕を組みながら必死に笑い声を出す。頭の中では納得しているつもりなのに、何故か声の震えが収まらない。

 気を紛らすために周囲の様子を見渡していたその時――


「え、あれって……」


 彼女は見つけてしまった。村の中心部にある大きな井戸を。フラフラと歩きながら近づき、その井戸を調べてみると――あったのだ。

 幼い頃にアレンと付けた石灰の印が。

 『あれん、みっしぇる』――そんな幼い子供の字で書かれた名前が。


「そんな……本当にここが、わたしの故郷?」


 呆然と呟いた瞬間、風の音がやけに大きく響き渡る。

 それが余計に、ミッシェルを恐怖に誘い込む。

 自然と彼女は歩き出していた。大きく土を蹴って、足音を出しながら。左右の腕を大きく振り、どうにか気を紛らせながら。


「……み、みんなきっと、近くにいるわ。どこかで集まって、ご飯でも食べているに決まっているわよ」


 ミッシェルは呟きながら周囲をキョロキョロと見渡した。

 しかし人がいる気配はない。というより、何の気配も感じない。動物や魔物といった類の『生き物に関する全て』が。


「なんで……なんで誰もいないの? 隠れてないで、出てきてよ……」


 歩いても歩いても、人っ子一人見かけない。それどころか生き物の類をまるで見かけない。

 辛うじて残っている民家の残骸も、殆ど形を留めていない。長い期間、全く手が付けられていないようであった。

 それが自然と、彼女の脳内にある予想が過ぎってくる。

 もう、ここには自分以外、本当に誰もいないのではないかと。


(う、ううん! そんなことないっ!)


 しかしミッシェルは、その考えを必死に振り払う。


(誰もいないなんてことはあり得ないよ! だってここはわたしの故郷だよ? それを村のみんなが見捨てるだなんて、そんなのあるわけがないもん!)


 必死にそう思い込みながら彼女は歩き続ける。

 きっとどこかにいる。自分がまだ見つけてないだけなんだ。向こうが見つけに来ないならこっちから見つけに行くまでだと。


 しかし――いくら歩いても、彼女の求める人々が見つかることはなかった。



 ◇ ◇ ◇



 太陽が沈んでゆく。空を見上げれば辛うじて明るいが、視線を下ろせば真っ暗も同然となる。

 ミッシェルはもう歩けなかった。

 辛うじて残っている瓦礫を背にして座り、虚ろな目を浮かべる。


「……おなかすいた。ごはんたべたい」


 無意識に口から漏れ出た、彼女が求める願望であった。

 自分でなんとかするという選択肢はなかった。これまでずっと、待っていれば誰かが助けてくれていた。それは今後も変わることはない。誰も助けてくれないなんてあり得ないと――そう思っていた。

 それは、自分が独りぼっちになった今でも、考えが変わることはなかった。


「たすけてよ……わたし、こんなにつかれてるんだよ? かわいそうなわたしを、はやくだれかみつけてたすけてよ」


 カサカサな唇から出されるかすれた声は、風に乗って消え去ってしまう。

 寒くなった。風が冷たくなった。空気が冷えてきた。

 どれだけ身をかがめても、まるで効果がない。手で体を摩れば少しは暖かく感じられるが、それもほんの数秒程度――すぐさま冷たい風が吹きつけ、どこまでも体の温度を下げてくる。

 暗くなった。

 あたり一面真っ暗になった。

 もう何も見えない。夜空を見上げても、何故か星の光は一つも浮かんでいない。

 どれだけ耳をすませても、風の吹く音以外、何も聞こえてこない。


 ――くうぅ~。


 腹の虫が鳴った。ミッシェルは抱えている膝元に顔を埋めた。

 お腹空いた、と発言する気力すら、もうなかった。

 ブツブツと文句を述べようともしなかった。

 誰かが助けてくれる――もはやそんな他力本願な気持ちすら、彼女は考えられなくなりつつあった。


(なんで……こうなっちゃったの?)


 辛うじて浮かんだ疑問が、それであった。

 ミッシェルは本気で分からなかった。ずっと順風満帆な人生だったのに。これからもそれは変わらないはずなのに。

 いつも自分に向けてくれていた笑顔が、今は一人もいない。

 そもそも誰もいない。どこにも姿が見えない。どうしてこうなったのだろうか。自分が一体何をしたというのか。

 そんな疑問が、自然と彼女の中をグルグルと渦巻いていく。

 やがて彼女の中に、一つの結論が浮かんだ。


(……そっか、これってきっと夢なんだ)


 ミッシェルの表情に笑顔が宿る。虚ろな目にも光が戻り始めていた。


(じゃあ寝ちゃおう。そうすれば暖かいベッドで目が覚めるよね? なぁんだ、そうだったんだ。もっと早く気づくべきだったね、全くもう……)


 ワクワクしながらミッシェルは横たわる。普通に寝ても寒いだけなので、できる限り身を丸めた状態で。

 やけにリアルな夢だなぁと、彼女は思っていた。

 寒いのも掛け布団を跳ねのけているからに違いない、目が覚めればだらしのない恰好でいるのだろう。目が覚めたら帝国の大聖堂の部屋にいるのか、それともアレンと一緒に暮らしている小さな家か。

 いずれにせよ、寝て起きれば幸せな生活が戻ってくる――ミッシェルは心からそう信じていた。

 しかし――それは儚い願いでしかなかった。


「……どうして?」


 太陽の眩しさを感じて目を覚ますと、そこはふかふかのベッドではなく、硬くてジャリジャリしている土だった。

 起き上がると、そこはやはり同じ場所であった。

 今にも朽ち果てようとしている瓦礫の残骸も、誰もいない光景も、何一つ昨日と変わっていない。


「おかしいよ……だってこれは夢じゃない。どうして何も変わってないの?」


 ミッシェルの叫ぶ声は、更にかすれていた。唇もカサカサに乾き切っており、目も虚ろになっている。

 勢いよく立ち上がろうとしたが、何故か力が入らなかった。


「――いたっ!」


 ドサッと転んでしまい、思わず砂埃が口の中に飛び込み、不快な気分が一気に襲い掛かってくる。


「どうして……なんでわたしが、こんな目にあうの? おかしいよ……」


 彼女は泣いていた。涙を流すことなく、ひたすら泣いていた。

 そしてゆっくりと立ち上がる。今度は倒れることもなく、ゆらゆらと体を揺らしながら歩き出した。


「これは、夢……きっと、わるいゆめ……」


 フラフラと歩きながら呟くミッシェルの口元は、ニヤリと吊り上がっていた。虚ろな目からは、更に光が消えていった。


「ゆめならいつかさめる。あるいていればめがさめるよね? だったらあるこう。あるくのがいちばん。きっとだれかいる。わたしをたすけるだれかが……だれ、かがいるに、き、きまって……え、えへへへへ……へへへへへっ♪」


 暖かい部屋に豪華な食事、そして澄み渡る綺麗な水で喉を潤す。そんな彼女を見守る人々の笑顔が、彼女を明るい笑顔にさせていた。

 彼女の左右には愛しい二人がいた。

 一人は勇者と言われた王子。そしてもう一人は、将来を誓い合った幼なじみ。

 この二人が一緒ならば、これからの人生も、明るいお花畑そのもの。どこまでもいい匂いのする花に囲まれて暮らし、やがて元気な子を成して、たくさんの家族に囲まれて暮らし続ける。


 そんな幸せに満ちた光景が――彼女の脳内で展開されていた。


 誰もいない。滅ぼされてヒトどころか魔物すらいない、山奥の村だった場所をひたすら徘徊し続ける姿を、誰も見る者はいない。

 太陽が昇り、そして沈むまで繰り返され、闇の中でうずくまる。

 ひたすら同じ行動が繰り返されていく。まるでからくり人形のように。

 しかし、この世に永遠に動き続ける人形は存在しない。

 そう言わんばかりに、その姿はいつしか力無く倒れてしまい、二度と自分の力では起き上がれなくなってしまう。


「あ、れ……ん……こど……も、か……わいい……えへ……へへ……」


 それでも、笑っていた。

 既に光を失った目を開けたまま、ひたすら笑い続けていた。

 やがて、その動きは完全に停止してしまった後も、笑顔だけは変わらない。


 まるでそれは、壊れたからくり人形。

 どこまでも夢の世界を生きる、自分の意志を持たない、愚かで哀れな少女のような形をした、みすぼらしいからくり人形であった――


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