045 聖女~ユメ、カナウトキ



 暴走して力を失った聖女は、しばらくして目を覚ました。

 勇者と違って昏睡状態となっただけであり、体の不具合は見られず、すぐに起きて歩けるようになる。

 それを聞いた皇帝は、すぐに聖女を連れてくるよう呼び出しをかけた。

 聖女もまた、意気揚々と謁見の間に姿を現した。


「ミッシェルよ――これまでの活動、本当にご苦労であったな」


 彼女が跪いた瞬間、皇帝から放たれた言葉であった。


「聖女としての役割も終えた今、もう王宮や大聖堂にいる必要もあるまい。お前には辺境の地で、隠居する権利を与えるとしよう」


 穏やかに言ってはいるが、要するに『お前がいると都合が悪いから、遠くの地で大人しく暮らしておけ』ということである。

 これには大臣も満足しているらしく、嬉しそうにうんうんと頷いていた。

 しかし――


「でしたら皇帝陛下、その場所についてお願いがございます!」


 ミッシェルは突如として顔を上げ、そう言い放つ。その瞬間、大臣の表情は苦々しいものへと切り替わった。


「こら! お前は陛下のお決めになられたことに――」

「良い」

「し、しかし陛下……」


 大臣は慌てて視線を向けるも、皇帝の厳しい表情に圧倒されてしまい、引き下がる以外の選択肢はなかった。

 静かになったのを確認したところで、皇帝はミッシェルに視線を戻す。


「ミッシェル、お前の願いとやらを聞こう」

「はい。わたしの隠居先を、故郷である山奥の村にしていただきたいのです」


 最初から決めていたと言わんばかりに、彼女は迷いなくそう言い切った。しかしその言葉は、周りを大いに戸惑わせることとなった。


「お、おい……いきなり何を言い出すのだ?」


 流石に理解ができず、大臣は口を挟まずにはいられなかった。


「あそこはもう、何も……」

「大臣」

「はっ、も、申し訳ございません」


 またしても皇帝に止められ、大臣は引き下がる。そして皇帝はミッシェルに視線を戻しつつ、重々しい口調で問いかけた。


「本当に良いのだな?」

「はい。それさえ叶えていただければ十分です!」


 ミッシェルは即答した。満面の笑みは途轍もなく輝いており、それがなんとも言えない微妙な雰囲気を作り出している。

 しかし彼女からしてみれば、周りの雰囲気など知ったことではなかった。

 早く自分のために良い言葉を投げかけてほしい――そんな期待を込めた眼差しを受ける皇帝の表情は、どこまでも変わらないままであった。


「ならば今すぐ転移魔法で、お前を直接その場所に送ってやる。そこから先は、我々も一切関与しないぞ?」

「構いません」

「餞別だ。その聖女の服装は、そのまま着用していくことを許してやろう」

「ありがとうございます」


 どこまでもしっかりとした口調、そして嬉しそうな笑顔。御託はいいからさっさとしてくれという勢いすら感じられていた。

 実際、それは正しいと言えていた。


(やったーっ♪ これでようやく故郷へ帰れるわ)


 跪いて頭を下げている状態であるため、ニヤリと笑っているミッシェルの表情は皇帝たちに見えていない。


(どうやって切り出そうか迷っていたけれど、まさか皇帝から言ってくれるとは思わなかったわ。流石はわたし! 持つべきものを持っているとはこのことね♪)


 実際、彼女は目が覚めてから、ずっと故郷へ帰ることしか考えていなかった。

 戦争が終わり、聖女としての役割も完全に終了したと聞かされた瞬間、もう彼女の中に選択肢は一つしか存在していない。その際に、セオドリックとの婚約も解消する旨も放されたのだが、彼女は全く聞いていなかった。

 そもそも彼女は、もはやセオドリックに何の興味も抱いていない。

 彼が動けなくなったことさえ知らないのだ。

 仮に改めて彼の事情を聞かされても、恐らくミッシェルは大した反応を示さないことだろう。


 ――へぇー、そうなんですか。で、それがどうかしたんですか?


 彼女の口から出るであろう言葉を挙げるなら、恐らくこんなところだろうか。

 あまりにも無関心なその姿を、周りは都合のいい方向で認識していた。彼女はもう王子に何の興味もないと。

 これは完全に、偶然に偶然が重なった結果と言える。

 ミッシェルからしてみれば、今更セオドリックのことをあれこれ言われても困るだけであり、周りは周りでセオドリックの始末に奔走している真っ最中なのだ。彼女があれこれ口を出してくるほうが困る。

 ある種のウィンウィンな展開となっていることを、ミッシェルは当然ながら知る由もないのだった。


(すぐに故郷へ帰してくれるって流れなら、もう何も言うことはないわよね)


 ミッシェルはニンマリと笑う。とにかく嬉しくて仕方がなかった。


(これでやっとみんなに会えるわ。そしてわたしはアレンと結婚して、ずっと村で末永く幸せに暮らすのよ。これは昔から決められていたこと。いわばわたしの運命そのものなんだから!)


 山奥の村はスタンピードによって滅ぼされた。しかし村人たちは生き残り、再建して帰りを待ってくれている――ミッシェルは心からそう信じていた。

 どこまでも自分に都合のいい方向で思い込む彼女は、考えを止めることはない。

 一度立ち止まって冷静に考え直す選択肢は、全く存在していない。


「――カーティス」

「はっ! すぐに転移魔法を行います!」


 皇帝の呼びかけにより、いつの間にか控えていた宮廷魔導師の彼が、スッと音もなく前に出てきた。

 久しぶりに見た元指導員の姿に、ミッシェルは表情を歪ませてしまう。

 しかしカーティスは、ミッシェルを一瞥こそしたが、声一つかけようとすらしていなかった。

 皇帝の前だからとかではなく、最初からそんな価値はないと言わんばかりに。


「この魔法具を作動させれば、対象者を転移させることができます」


 カーティスは懐から取り出した小さな魔法具を掲げ、その場にいる者たちに簡単な説明をする。


「転移先も指定できます。彼女の故郷があった村……で、よろしいのですね?」

「はい!」


 ミッシェルは大きな声で即答した。これで帰れる、ということしか考えられていない状態であった。

 故に気づいていない。

 彼女の故郷に対して過去形で言っていたことに。


「では、この魔法具を手にお持ちください」


 カーティスがミッシェルに魔法具を手渡す。それを彼女が両手でしっかり受け取ったのを見て、彼は少し距離を置き、両手を伸ばして集中し始める。


「――始めます!」


 その言葉とともに、彼の両手から魔力が湧き出る。それが魔法具を起動させ、眩い光がミッシェルの体を包み込む。


「きゃっ!」


 ミッシェルはその眩しさに、思わず目を閉じてしまった。そして光が収まったのを感じて、ゆっくりとその目を開けると――


「…………えっ?」


 王宮の謁見の間ではなく、青空の下に跪いていた。

 周りには誰もいない。手に持っている魔法具は役目を終えたと言わんばかりに、粒子化してあっという間に散ってしまった。

 呆然とした表情を浮かべながら、ミッシェルはゆっくりと立ち上がる。


「ここって……もしかして故郷の……山奥の村、なの?」


 周りを見渡しながら、ミッシェルは呟いた。

 もう殆ど炭と化したわずかな瓦礫が残っているだけのその場所は、彼女の記憶にある故郷とは、かけ離れているにも程がある姿であった。


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