036 魔界~ジェロームの憂鬱



「――宣戦布告、か」


 執務室で、魔族の青年が頭を抱えていた。


「まさか帝国が仕掛けてこようとは……何を考えているんだ?」

「密偵の情報によれば、ディアドラ様の追放について、疑われているとか」

「そうか……まぁ、姉上は有名だったからな。追放そのものを真っ向から信じてもらえるとは思っていなかったが」


 青年は頭を掻き毟る。服装は王族らしい上質のものであったが、如何せん着こなしているよりも『着させられている』感が非常に強い。

 もっともそれは、言われるまでもなく本人も理解していることであったが。


「ジェローム様、早急に対策を立てる必要があるかと」

「あぁ、分かっている。姉上から引き継いだ魔王の座を、すぐに潰えさせるわけにはいかない」


 拳をギュッと握り締める青年、ジェローム。彼はディアドラの実弟で、彼女の後を継いで魔王となったばかりであった。

 そんな彼と話す側近の若き女性は、穏やかな笑みを浮かべてくる。


「やる気に満ちてますね、それでこそ魔王に相応しいですよ、ジェローム様」

「茶化すな、リン。お前は私の側近だぞ。馴れ馴れしくしないでくれ」

「あら。側近だからこそ、こうして言いたいことを言わせてもらってるんですよ」

「相変わらず口の上手いヤツだ」


 リンと呼ばれたジェロームの側近は、彼の幼なじみでもあった。故に彼のことはよく知っており、互いに気心も知れている仲である。それこそ『腐れ縁』という言葉が一番しっくりくる間柄であり、当の本人たちもそれは認識していた。


(全く……私が魔王に就任した途端、押しかけるように側近の座に就いた時は、正直どうなるかと思ったがな)


 むしろ、彼女が来てくれて助かったとさえ思う。それほどまでにジェロームは、リンのことを高く評価していた。

 そしてそれを、表立って褒めることはしない。

 調子に乗って付け上がるからとジェロームは言っているが、実際はただ単に気恥ずかしいだけである。

 もっともリンのほうも、それはなんとなく察しており、隠れてニンマリと笑みを浮かべていることを、ジェロームは知る由もない。


「まぁとにかく、私はやれるだけのことを精いっぱいやるだけだ」


 ジェロームは小さなため息をついた。


「王族に生まれながらも、その素質が明らかに欠けていることは、この私が一番よく分かっている。それでもやらなければならないからな」

「フフ、大変ご立派だと思いますよ? これは私の素直な感想です」

「それは光栄だな」


 ウィンクをしてくるリンを、ジェロームは軽く流す。腐れ縁であるが故に、いちいち細かい反応をするような間柄でもない。

 リンも一瞬だけ呆気に取られたような表情を浮かべはするが、彼が淡白な反応しか返さないことも知っているらしく、すました表情を浮かべるばかり。

 まさに、互いが互いを知り尽くしているが故だと言えるだろう。


「しかしまぁ宣戦布告するのに、帝国もそれらしい理由を付けてきたものだな」


 ジェロームは、帝国から突きつけられた書類に視線を落とす。


「聖女の故郷を滅ぼし、あまつさえ魔族をよこして魔法具を与え、聖女を傷つけた罪を償わせる……後者はともかく、前者は完全に誤解だぞ」

「魔法具を与えた魔族というのも怪しいですけどね」

「あぁ。恐らく向こうと繋がっていたんだろう。切り捨てられたらしいが」

「哀れですね。何を考えていたのやら?」

「そんなことはどうでもいい。既に賽は投げられてしまったからな」


 深いため息をつくジェローム。リン以外に誰もいない執務室だからこそ、このような表情ができる。

 謁見の間であれば、決して表には出せない姿の一つであった。


「恐らく向こう側に嵌められたのだろうな。やっていない証拠が出せない以上、話を覆すことはできん」

「人間界……特に帝国は、我々魔族を目の敵にしていますからね」

「あぁ。そうなったのはこちらに原因があるから、なんとも言えんがな」


 ジェロームは背もたれに深く身を沈め、空を仰いだ。


「数代前の魔王が戦争を仕掛け、当時の勇者に敗北して以来、魔界は長いこと肩身の狭い思いを強いられた」

「それがここ十数年で、ようやく中和されてきましたよね?」

「あぁ。まさに時が解決してくれたということだが……それを今度は、向こう側が侵してくるとはな」


 人は何かと繰り返す生き物である。それはいつの時代も変わらない。

 どちらが正しいかどうか――それはさして問題ではない。正しいことを理由に繰り返そうとする、その心は永久に変化しない。

 たとえどんなに形を変えても、結果は同じになる。

 そんな世知辛い世の中を、今になって噛み締めることになるとは――ジェロームはここにきて、しみじみと思わされていた。


「今回ほど、姉上がいてくれたらと思ったことはないよ」

「いない人に縋っても仕方がないですけどね」

「分かっているさ」


 ジェロームは立ち上がり、太陽の光が照らす窓の外を見る。


「姉上の行方は完全に途絶えていて、現在地を掴むことすら不可能。まぁ、恐らく元気ではあるだろうがな」

「失礼ながら、あの人が危ない目にあう姿は、まるで想像できません」

「あぁ。私も同感だ」


 表情を引き締め、ジェロームはリンのほうへと振り返る。


「少し無駄話が過ぎたな。今回の件について急ぎ会議を開く」

「承知しました。すぐに声をかけます」

「頼む」


 頷き合ったところで、リンは颯爽と執務室を後にする。残されたジェロームは、改めて窓の外の景色に視線を向けた。


(姉上はもう魔王じゃない……私もいい加減に、覚悟を決めなければならんな)


 戦争が始まろうとしているにもかかわらず、外は雲一つない青空で、太陽が平和の象徴の如く照らしていた。


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