035 帝国~聖女と勇者の心の中
皇帝との謁見を終え、ミッシェルとともに謁見の間を後にしたセオドリックは、彼女からの熱い視線と言葉を聞き流しつつ、頭の中で考えていた。
(ディアドラめ……さっさと私のモノにならないから、こうなるのだ。貴様がどこで何をしているのかは知らぬが、我ら帝国が魔界を支配するのを、せいぜい後でたっぷりと後悔するがいい!)
それは、まさに『腹いせ』そのものであった。
勇者である自分が大手を振って迎えに行く前に、追放されて姿を消した――これは紛れもない侮辱だと、セオドリックは本気で怒りを抱いていた。
全てが個人的かつ自分勝手な恨み。誰にも明かしていない、彼だけの恨み。
だから誰も知らない。
それとなく気づいている者はいるかもしれないが、確証に至っている者は、残念ながら一人もいない。
故に、彼を止められる者もいない。
そもそも真実を知ったところで、止められる可能性は低いだろう。
一度言い出したら聞かないのも彼の特徴。
更に狡賢い部分もあり、上手く場を立ち回って切り抜け、着実に結果を出して周りを納得させてきた。今回行った皇帝への進言が、まさにその一例である。
反対意見を出すことができないだけ、と言ったほうが正しいのかもしれないが、どちらにせよ結果は同じこと。セオドリックの思うがままに事が進んでいることに変わりはないのだ。
(魔界の連中を滅ぼすことで、ディアドラが手に入らない苛立ちを解消する。ついでにアレだ……魔族の中でいい女を、根こそぎ我が手中に収めよう。国の一つや二つが犠牲になるのに、女まで巻き込むことはないからなぁ♪)
セオドリックはニヤリと笑う。もはや隠そうともしていない歪んだそれも、隣を歩くミッシェルには見えていなかった。
(あの怖い皇帝陛下に堂々と進言できるなんて、セオドリック様はそこまでわたしのことを思ってくれていたのね!)
ミッシェルは頬を染め、自分の世界に入り込んでいた。
煌びやかに咲き乱れる花畑のど真ん中で、キラキラと輝くセオドリックの優しい笑みが再生される。
聖女の悲しみを取り除くため――そんな言葉を言葉どおりに受けとめた。
どうでも良くなっていた気持ちが、一瞬にして返り咲く。二人の男の存在に挟まれる悩みが、彼女の脳内で展開されていた。
(やっぱりセオドリック様を捨てるのは勿体ないような気がするわ。ここはいっそのこと、アレンと結婚した後にここへ戻って来て、セオドリック様とも結婚しちゃえばいいんじゃないかなぁ? 夫を二人抱えることぐらい、聖女なんだから至って普通のことよね。妾とかそーゆー言葉もあるんだし)
ちなみに彼女は、本気で考えている。決してふざけてなどいない。
貴族や王族における一夫多妻は、確かに珍しくない。しかしこの妄想は、流石にあり得ないと言わざるを得ない。
普通ならば考えるまでもないくらいの区別を、彼女は付けられなかった。
形的に似ているから大丈夫――それを素で思っているのだ。
(普段はセオドリック様の妻として優雅に過ごしつつ、たまにもう一人の夫であるアレンの料理を食べに村へ帰る。幸いわたしは聖女というとっても大事な立場を持っているから、それを活用すれば行き来するのも簡単よね? やーん、わたしってホンット頭いいわぁ♪)
彼女の中で全てが決定事項となっている。そうなって当然。自分が考えたことなのだからと。
ミッシェルは常に、『自分の世界の中だけ』で生きている。
幸せな理想を浮かべるばかりで、過酷な現実に目を向けようとしない。たとえ痛い目を見ようとも、ある種の悪運の強さが彼女を救うのだ。
もっともいい方向に変えることもない。
『幸』運ではなく『悪』運。決していいものではないことも確かだからだ。
彼女自身がそれに気づくことはない。
もしここで気づいていれば、まだ運命は変わっていたかもしれない。
隣を歩く男が、隠そうともしていない歪んだ表情を、その目でちゃんと見ることができていたならば――
「ミッシェル?」
「えっ?」
セオドリックに呼ばれ、自分の世界から引き戻されてきた。
「ボーッとしているみたいだが、大丈夫か?」
「あ、いえ、その……大丈夫です。なんでもないですから」
「そうか。無理しないようにな」
理想の王子や勇者という言葉がピッタリなほどの、優しいスマイルを浮かべてくるセオドリック。ほんの少し前まで、歪んだ笑みを浮かべていた者と、同一人物とは思えないほどであった。
現に――
(やっぱり優しくてイケメンでサイコーだわ、セオドリック様ぁ♪)
隣を歩くミッシェルは、気づくことができなかった。
これだけ見れば、最大のチャンスを逃したと思われるだろう。しかしそれも、セオドリックの計算なのであった。
(フフッ、ちょっと優しく笑ってやれば、すーぐコイツは『自分の世界』に入り込んでしまうからな。おかげで表情の切り替えるタイミングも、かなり楽だ♪)
既にしっかりと見抜いているあたり、流石はセオドリックと言うべきか。
嬉しそうに腕に抱き着き、目を閉じてすりよってくる彼女の頭を撫でながら、セオドリックは再び歪んだ笑みを浮かべ出す。
(ミッシェルがロクでもない女なのは、一目見た時から分かっていた。それを承知で利用したのは正解だったな)
心の中でセオドリックが笑う。完全に見下した感情であり、そこにミッシェルが抱いているような愛の気持ちは欠片もない。
(聖女だというのが勘違いであるならば、それはそれで別に構わん。しかしもうしばらくは、コイツに聖女でいてもらわないと困る。コイツほど使い勝手のいい女は見たことがないからなぁ、ハハッ!)
もはや彼の中で、ミッシェルは完全なる『道具』扱いであった。当の聖女が利用されているだけだと気づいていないのは、果たして哀れだと言うべきなのか、それとも幸せだと言うべきなのか。
(魔族を通じて魔法具を授け、聖女としての地位を上げるのは、一応は成功した。少しばかりのアクシデントは致し方あるまい。魔族はすぐに切り捨てたし、証拠は何も残っていない。全ては私のプランどおりに動いている)
セオドリックはニヤリと笑みを深める。やはりミッシェルは気づかない。目を閉じているばかりか、彼の胸元に顔を埋めてすらいる。
これでは気づくはずもない。彼からすれば、想定の範囲内であったが。
(勇者として名を馳せ、毎日たくさんの女を抱きながら過ごす――その野望がもうすぐ叶うのだ! 私の人生に敗北の文字はないっ!)
心の中で声を上げて笑うセオドリック。そんな中でも、ミッシェルの頭を撫でることは忘れない。
彼女が顔を上げてこないようにする、ちょっとした対策なのであった。
ミッシェルはひたすら、幸せそうな表情で彼に抱き着き、目を閉じていた――
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