021 帝国~聖女の特訓
「はぁ、はぁ……」
ミッシェルは息を切らせていた。汗は止まらず、膝は震えており、目は虚ろで今にも倒れそうだった。
否、本当は今すぐにでも倒れたくて仕方がなかった。
そうすれば楽になれる。目が覚めれば、ふかふかのベッドの中にいるのだ。そのまましばらく眠り続ければいい。体が動かない、頭が痛い、たくさんの魔力が動いて気持ちが悪い――周りを納得させる言葉はいくらでも思い浮かぶ。
しかし、彼女はできなかった。
正確に言えばしようとしていたのだが――
「誰が休んでいいと言いましたか?」
冷たい声色で放たれた言葉とともに、パチンッと指を鳴らす音が響き渡る。
「ぐうぅ……っ!」
その瞬間、ミッシェルは呻き声を出しながら、体を硬直させる。まるで何かに痺れているかのように。
数秒後、それは解放される。自然と背筋が伸びた状態で復活したミッシェルは、恨みがましい視線をその人物に向けた。
「――何ですか、その目は? いいからさっさと続けてください」
しかし、相手には全くと言っていいほど通じていない。冷たい視線どころか、表情や立っている姿もまるで変化が見られない。
本当に人間なのか。実は特殊な魔法で作られた人形なのではないか。
ミッシェルは本気でそう思っていた。紛れもない宮廷魔導師のトップに君臨する人物だと言われ、心の底から『嘘だ!』と本気で叫んだほどだ。
カーティスと呼ばれる青年が本当に人間だとは、今でも信じていない。
今この瞬間も喰らっている仕打ちが、よりそう思わさせていた。
「ほら、早く」
「分かってますよ! ぐっ……はぁっ!」
冷たい声で促されるがままに、ミッシェルは渾身の力を込めて両手を突き出す。その先から、青白い聖なるオーラが浮かび上がるが、それは弱弱しく、とてもじゃないが及第点にすら程遠いものであった。
「全く……今代の聖女は、随分な体たらくですね」
深いため息をつきながら放つカーティスの声は、完全に呆れかえっていた。それを隠そうともせず、しっかり表情に出してミッシェルを見下ろす。
「その程度の魔力しか扱えないで、聖女の役目が務まるわけないと、何度私の口から言わせるつもりですか? いい加減少しは学習する努力ぐらいしてもらわないと困りますよ。いつまで私の貴重な時間をムダにさせれば気が済むんですか?」
淡々と言い放つカーティスに対し、ミッシェルは恨みがましい視線で睨みつけるばかりだった。
反論すらしてこない彼女に、カーティスは再びため息をつく。
「それとも人に迷惑をかけるのがご趣味なんですかね? だとしたら迷惑なので、さっさと聖女の立場を辞退してください」
「い、いくらなんでも……言い過ぎですよ! あなたには、ひ、人の情ってものがないんですか!」
息も絶え絶えの状態で必死に声を上げるミッシェル。
しかし――
「本当に情がなければ、そもそもあなたみたいな小娘の面倒なんて見ませんよ。なんでそんなことも分からないんですか。全く理解に苦しみますね」
カーティスは臆しないどころか鼻で笑ってきた。あからさまに侮蔑の笑みを浮かべており、それが余計にミッシェルの表情を歪ませていく。
どこまでも平行線の二人。雰囲気は険悪へと一直線であり、止まる様子はない。
すると――
「そこまでだ、カーティス」
凛とした声が響き渡り、コツコツと靴が地を叩く音が近づいてくる。
あれだけ苦しそうに表情を歪ませていたミッシェルが、一瞬にして目を潤ませつつ笑みを浮かべ出す。そしてカーティスは、ほんのわずかに眉をピクッと動かしながら振り向く。
明らかに歓迎していない態度を、隠そうともせずに。
「これはこれは、ようこそセオドリック様。ご機嫌うるわしゅう」
「白々しい挨拶はいらん」
カーティスの声を問答無用で叩き落とすセオドリック。実際、カーティスの表情にも声にも感情がなかったため、白々しいという指摘は間違っていない。
「流石に少し言い過ぎなんじゃないか? もはやシゴキではなく、単なるイジメにしか見えなかったぞ」
「……あなたにそう見えたのでしたら、それはどうもすみませんでしたね」
目を閉じて呆れるように肩をすくめるカーティス。言葉だけで心は全く謝っていないことは明白であったが、セオドリックはそれを指摘することもなく、そのままミッシェルの元へ向かう。
「大丈夫か、ミッシェル?」
「セオドリック様ぁ!」
息も絶え絶えだった声はどこへ行ったのやら。ミッシェルは甘ったるい声とともに立ち上がり、そのまま勢いで現れた勇者に抱き着いた。
「わたし……わたしすっごく頑張ってるんですけど、全然上手くできなくて……」
「あぁ、勿論分かってるよミッシェル」
セオドリックも爽やかな笑みとともに彼女を抱き締める。そんな二人の光景を、凄まじく冷めた目つきでカーティスが見ていたが、当の本人たちは気づいてすらいない様子であった。
できれば相手にしたくない。
しかし聖女の魔法の指導をする立場として、言わなければならない。
カーティスは何度目になるか分からないため息をついた。どうして自分がこんな目にあうんだと、そう言わんばかりに。
「セオドリック様。僭越ながら申し上げさせていただきます」
その瞬間、セオドリックの笑顔が瞬時に冷たい無表情に切り替わり、鋭い視線とともに振り向いてくる。
しかしカーティスは構うことなく、淡々と続けた。
「聖女様の聖なる魔力は、最初に見せていただいた時よりも、わずかながら衰えが確認できております」
「……たまたま調子が悪いだけだろう?」
「私も最初はそう思いました。しかしもう何日も同じような状態が続けば、流石におかしいと判断せざるを得ません」
聖なる魔力の特訓は、聖女になるための第一歩を得るためのもの。本来ならばもうとっくに次のステップに移っているはずなのだ。
ミッシェルが王都へ来た際に披露した聖なる魔力は、誰もが目を見開くほどの輝かしさを誇っていた。これならば、聖女として立派にやっていけるだろうと、誰もが期待したものだったが――それも過去の話となってしまった。
今では聖女に期待する声のほうが少ない。
そもそも本当にミッシェルは聖女なのかと、そんな疑いの声も出てきている。
かくいうカーティスもその一人だ。実際に指導員として、彼女の魔法を間近で見てきているからこそ、より疑いは強くなってくる。
しかし、判断はしきれなかった。
ちゃんとミッシェルの中から聖なる魔力自体は出ており、あからさまな偽物とも言えないからだ。
もはやカーティス一人では、判断のしようがなかった。
藁にもすがる思いで、こうしてセオドリックに進言したのだが――
「何だそんなことか……別に不思議な話でもないだろう」
案の定な答えが返ってきたため、内心でため息をつくカーティスであった。
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