020 帝国~身勝手な苛立ち
帝国の王宮――その一角にある勇者の自室にて、異様な空気が流れていた。
「なんだと! 魔界の魔王ディアドラが、追放されたというのかっ!?」
セオドリックが、声を上げながら勢いよく立ち上がる。持っていた密偵からの報告書が、ぐしゃりと歪んでしまったが、そんなことを気にする余裕はなかった。
「そして既に魔界を去っているだと? 行方は分からないのか?」
「はっ! なんでも雲に乗って、海の上を渡っているという情報もありますが、定かかどうかは分かりません」
「……いや、流石にそれはないだろう」
跪きながら報告する密偵に対し、セオドリックは呆れた視線を送る。
「そんな子供じみたガセネタなど放っておけ。私はディアドラの行方を捜せと命じたのだぞ! 彼女がどこにいるのか――それが知りたいのだ」
「存じ上げております。不覚にもそれ以外の情報は、全く手に入りませんでした」
「全くなのか?」
「えぇ。まるで綺麗に隠滅されているかのように」
「うぅむ……」
淡々と伝える密偵の言葉に、セオドリックは腕を組みながら唸る。
「足跡を消しているということか……まぁ、ディアドラほどの存在であれば、造作もないことだろうがな」
少し考えれば、それ自体は不思議でもなんでもないことは明白である。むしろこの問題の根本的な部分に、疑問を感じていた。
(それにしても『追放』だと? それこそあり得ん話だ! これはきっと何か裏があるに違いないぞ!)
セオドリックは報告書を机の上に放り出し、大きな窓から外を見る。まるで何かを暗示するかのように、空はどんよりと鼠色の雲で覆われていた。
(あんなに強い笑顔を見せる彼女が、追放されるなんてあり得るものか――!)
彼が初めてディアドラを見たのは数年前のこと。
勇者の称号に選ばれた彼は、魔界との御前試合に参加するよう、父親である皇帝から命令された。
最初はかなり乗り気ではなかった。
典型的な人間至上主義で、魔族イコール悪という認識が植え付けられており、それは勇者という称号を手に入れたことによって、拍車がかかっていた。それはこれからも変わることはないと――彼は心からそう思い込んでいた。
そんな強い意志は、程なくして粉々に破壊された。
当時、新たに就任したばかりの魔王が、自ら御前試合で勇者の相手を務めた。
ディアドラを一目見た瞬間、セオドリックの心は奪われた。
御前試合は、勇者の惨敗という形で幕を閉じた。
周りは大ブーイングを起こす中、一人だけ勇者を庇う声が響いた。その人物こそが魔王ディアドラだった。
――彼の剣には凄まじい可能性がある。手合わせをした私がここに認めよう!
そして彼女に手を差し伸べられ、笑顔を向けてきたのだった。
――次はお前が、私のことを追い詰めてみせろ。楽しみに待っているぞ。
ニッコリと笑うその表情に、セオドリックは完全に惚れた。
それからも彼は何かと理由を付けて、ディアドラと顔を合わせる機会を作った。彼女に会うべく、勇者という肩書きを存分に利用した。
交流を重ねれば重ねるほど、彼の中で彼女に対する気持ちが募ってゆく。
誰もが目を引くような美貌と抜群のスタイル。気が強いながらも時折見せる女の子らしい姿。そして揺るぐことのない信念。
セオドリックは、彼女の全てを手に入れたいと思った。
そのために勇者としての地位を確立するべく、色々と動いていた。
明かされれば決して褒められない行動も、全ては彼女を我が妻とするため――そう己自身に言い訳し続けてきた。
(あと少し――本当にあと少しだったんだ!)
傷心の聖女を助けたことにより、勇者としての株は最高潮となった。
これでいける。
自分の望んだ明るい未来へ、辿り着くことができる。
勇者として、そして帝国の王子として、皇帝を説得することも考えていた。その上で大手を振って、魔界へディアドラを迎えに行こうと思っていた。
それなのに――
(既に追放されて魔界を去っただと? そんなバカなことがあるものか!)
ギリッと歯を噛み締め、セオドリックは再び机に戻る。散らばった報告書を乱暴にかき集め、クシャクシャに歪んだそれを、最初から食い入るように目を通す。
(……やはりどう考えてもおかしい。少し調べる必要があるな)
セオドリックは鋭い目つきで、密偵を睨むように視線を向ける。
「魔王ディアドラの追放について調査しろ。何かしらの裏を感じるからな。どんな些細な情報も逃すなよ?」
「――御意」
密偵は音もなく、その場から忽然と姿を消した。
気配そのものも完全に消えており、部屋の中はセオドリック一人だけとなる。
彼は手に持っていた報告書を、そのままゴミ箱へと投げ捨てた。もう見る価値はないと言わんばかりに。
(追放か……いや、少し考えてみれば、自ずと分かることもあるな)
セオドリックは再び窓のほうへと歩いていき、どんよりとした曇り空を見上げながらニヤリと笑う。
(魔界から出たというのは事実だろうが、追放というのはブラフかもしれん。何か目的があるのか……まさか、ディアドラのほうからこの私に?)
一瞬、そんな期待が脳内に浮かんで笑顔となるが、セオドリックはすぐさまその考えを振り捨て、表情を歪ませる。
(違うな。もしそうなら、もうとっくに私の前にディアドラがいるはずだ。つまり彼女の目的は私ではないということになる。なにより彼女から、私には何の相談もしてくれなかった。私にはその価値すらないということか!)
そこで想像してしまったのは、ディアドラの隣に見知らぬ男がいる姿だった。
彼女はどこか別の場所で惚れた男がおり、その男の元へ行くために、全てを投げ捨てたのだとしたら。
馬鹿げているにも程がある考えだが――あり得ない話ではない。
(いずれにせよ、盛大な肩透かしを喰らわせやがって。勇者であるこの私をコケにしたこと……必ず後悔させてやる!)
そんなセオドリックの身勝手極まりない苛立ちは、どれだけ時間が経過しても冷めることはなかった。
むしろ時間を重ねるごとに、着々と増長していくほどであった。
それだけ彼の中で、ディアドラという存在が大きかったということなのだが、はた迷惑なものであることに変わりはない。
「――セオドリック様、失礼します!」
するとそこに、女性の声が聞こえた。セオドリックは苛立ちの表情をすぐさま綺麗に解除し、いつもの優しい笑みを取り繕いながら扉を開く。
「やぁ。大聖堂のシスターか。どうしたんだい? 私に何か用かね?」
「は、はい。お忙しいところ申し訳ございません」
「別に構わないさ。遠慮しないで、要件を言って御覧よ」
キランと白い歯を光らせながら微笑む彼に、シスターは頬を染め上げる。しかし大事な報告を思い出し、すぐさま慌てて表情を引き締め直した。
「実は……ミッシェル様の調子がよろしくなくて、セオドリック様に様子を見に来ていただけないかと思いまして」
「そうなのか。分かった。すぐに向かおう」
「ありがとうございます」
シスターは深々と頭を下げ、一足先に大聖堂へ戻っていますと言って、彼の元を後にして去った。
彼女が見えなくなったところで、セオドリックは笑顔を解除し――
「ちっ! あの花畑女が……さっさと聖女の調子を取り戻せってんだよ」
凄まじく歪んだ表情に切り替えつつ、舌打ちをするのだった。
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