017 喋る魔物と不思議な島
「……まさかとは思うけど、メルキャットは元々喋る魔物とか?」
「そんなわけないでしょ」
「ですよねー」
我ながら馬鹿なことを聞いたなぁと思いながらも、アレンは改めてメルキャットを見下ろす。
コテンと首をかしげているその猫は、小さな子供の如く無邪気な様子であった。
「一応、気を付けといてね」
そこにディアドラが、釘を刺してくる。
「相手は魔物よ。無邪気に見せかけてあっという間に――っていうケースも、普通に珍しくないからね?」
「あ、うん。それは分かってるけど……」
頷きながらもアレンは思った。目の前にいる魔物からは、どうにも襲われるような気配がしないと。
今しがた、ヒトの言葉で無邪気に問いかけられたせいもあるだろうが、それを抜きにしても大丈夫という気がしてならなかった。
理屈とかではない。『分かる』のだ。
自分の奥底にある見えない何かが、そう囁いてきている。
それこそ気のせいと言われればそれまでだが――
「……ねぇ」
「なにー?」
「僕たちが敵じゃないって言えば、キミは信じてくれるかな?」
「うーん……」
メルキャットが可愛い声を出しながら首を傾げる。それを見ながらアレンは、軽い自己嫌悪に陥っていた。
(いやいや、僕は何を言ってるんだ?)
話しかけること自体は、悪い選択肢ではなかっただろう。問題はその内容だ。他にもっと言葉はあっただろうに、と。
気まずそうにチラリと妻のほうを見上げてみると――
「…………」
予想どおり、ドン引きした様子でアレンのことを見下ろしていた。この夫はいきなり何を聞いてるんだ――恐らくそう言われてるんだろうなぁとアレンは思う。
「――うん、しんじるよー♪」
するとメルキャットから、明るい声で答えが返ってきた。
「おにーさんたちはわるいひとじゃないもん! ぼくにはわかるよー」
「そっか。ありがとうねー」
アレンは自然と笑顔になり、メルキャットの小さな頭を撫でる。
「えへ~」
気持ち良さそうな声が漏れ出る。思わず撫でている側も見ている側も、頬が緩んでしまっていた。
そして二人は顔を見合わせ、小さく微笑む。
――大丈夫だと思わない?
――確かにね。
そんな無言のやり取りが交わされた。なんとも言えないほのぼのとした空気が流れており、ほんの数十秒前まで抱いていた緊張感は、今や欠片もない。
時間がゆったり流れている。
ざざーんと、穏やかな波の音が心地良い。
遠くからはみゃあみゃあと、ウミネコらしき鳴き声も聞こえる。波の音と上手く合わさり、なんとも安らかな気分を呼び起こすのだろうかと、アレンはほのかな感動を覚えていた。
そしてこの右手に広がる温かな毛並みの感触。嫌がることもなく身を委ねてきている小さな存在が、途轍もなく可愛らしくてたまらない。
「ふにゃあぁ~♪」
人語で猫じみた鳴き声を出してくる。雲一つない天気ながら、何故か砂浜は程よい暖かさを保っており、ふかふかのベッドみたくのんびりとできるようだ。
アレンとディアドラは再び顔を見合わせ、ニッコリと微笑む。
穏やかで平和だと思った。
このままずっとこんな時間が続けばいいのにと、そう願ってやまない。
「……ふむ。どうやらクーは、お前さんたちにすっかり懐いたようじゃのう」
突然、老人のような声が聞こえてきた。
ディアドラは目を見開き、アレンもメルキャットを撫でる手を止め、そのまま笑顔ごと硬直してしまう。
やがて二人は、慌てて顔を上げる。そこには――
「えっ、スライム?」
アレンがその存在を見て呟く。プルプルと震える水色のゼリーのような体を持つその生き物は、世界中に生息する魔物の一種であった。
それ自体がいることを不思議とは思わない。
しかしディアドラは、驚きに加えて大きな焦りをも抱いていた。
(え、うそ? 確かに気配なんてなかったのに!)
凄まじい実戦経験を積み重ねてきた経験値を持つ彼女は、魔物の気配を察知することなど造作もない。今この時も、のんびりしながらそれをしていたのだ。
こんなことはあり得ない。むしろあってはいけない。
命を狙う暗殺者の気配ですら見抜いてきた――そんな自分の気配察知を、いとも容易くすり抜けたと言うのか。
ディアドラが唖然としている中、スライムはニヤリと笑う。
「大方、ワシに気づかず、ショックを受けていると言ったところかの?」
「っ!」
ディアドラはまたしても驚いてしまい、しっかりと表情にも出してしまう。
しまったと思うが、時すでに遅し。急激に顔が熱を帯びてきた。なんとも間抜けな姿をさらしてしまったのかと。
そんな彼女を前にスライムはホッホッホッと笑う。
「なぁに、ワシにかかれば気配を完全に消すなど、造作もない話じゃわい。この島は少し特殊でもあるからの。外の常識を多少なり越えることもある」
「は、はぁ……」
ディアドラは呆然としながら頷くしかできなかった。理解はできなかったが、今は納得するしかない。そういうものなのだと思うことにしたのだった。
するとここで、スライムがはたと気づく。
「そういえばまだ名乗っておらんかったな。ワシはこの島の長を務めておるスライムのエンゼルじゃ。お前さんたちもそう呼ぶが良い」
「あ、どうも。僕はアレン。こっちは妻のディアドラです」
「初めまして……」
自己紹介するアレンに合わせ、ディアドラも軽く会釈をする。
一方のエンゼルは、軽く驚いた様子を見せた。
「ほう、お前さんたちは夫婦じゃったのか」
「まぁね。こないだ結婚したばかりで、今は二人で住む場所を探して、海の上を旅していたところさ」
「なるほどのう」
エンゼルは興味深そうに頷くが、実のところそこらへんはどうでも良かった。それよりもアレンたちに対して、言いたいことがあるからだ。
「そしてそんなお前さんたちは、どうやらただ物ではないと見える」
「えっ、何で?」
「この島に上陸した時点で確定じゃ。何せここは――」
島の内部を見上げながら、エンゼルは言った。
「聖なる魔力によって守られている聖地――その名も『聖なる島』じゃからの!」
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