016 謎の島



 結局また何も手伝えなかったなぁ――と思いながら、アレンはディアドラに今しがた感じたことを打ち明ける。

 特に疑う様子もなく、ディアドラは真剣な表情で聞いていた。


「――不思議な何かを感じる? あっちのほうから?」

「うん。間違いない」

「じゃあちょっと行ってみましょうか」


 あっさりと了承してきたディアドラに、アレンは思わず呆気に取られる。


「……いいの? なんとなくそんな気がするだけなんだけど」

「えぇ。特に急ぐ旅じゃないし、私も気になるわ」


 そう言いながらディアドラは、解体した海竜の素材の取りこぼしがないかどうかを確認していく。そして特に問題がないと判断するなり、亡骸の残りを放置し、魔法の雲を操作し出した。

 上昇していくと同時に海面が動き出す。

 遠巻きから見ていた海で暮らす魔物たちが、一斉に動き出したのだ。

 狙うは海竜の亡骸。皆が勢いよくそれに群がり、持ち前の鋭い牙などでひたすら喰らってゆく。

 遠ざかる海の魔物たちの様子を見下ろしながら、アレンは感心していた。


「なんか凄いなぁ……」

「魔物はみんな、あんな感じよ。それだけ生きるのに必死ってことよね」

「なるほど」


 風に乗って聞こえてくる、骨や肉、皮を食い散らかす音。どんなに恐ろしい存在だろうと、亡骸になれば嬉しいご馳走に他ならない。

 まさしくそれは、生き物の生態。陸だろうと海だろうと決して変わらない。


「そんなことよりもアレン。あなたの感じた不思議な感じって、こっちの方角で合ってるかしら?」


 ディアドラがサラリと話を戻しつつ、ある方向を指差した。


「あーうん、そっちだね」


 アレンも素直に頷く。割と急に戻された形だが、特に疑問はなかった。不思議な何かが気になっているのも確かだからだ。


「よし、それじゃあ改めて、行ってみましょー!」

「おーっ」


 ディアドラとアレンの間延びした声の掛け合いとともに、魔法の雲が動き出す。あっという間に群がる魔物たちが小さくなり、音も完全に静かとなった。

 二人の視線は前方に向けられ、真剣な表情で集中している。

 しかし見えるのは、どこまでも続いていそうな大海原のみであり、特に変わった様子はどこにもなさそうであった。

 やはり気のせいだったのか――そう思いかけた瞬間だった。


「……ん?」


 一瞬、何かを感じた。声を上げるアレンに、ディアドラも気づく。


「どうしたの?」

「いや……なんか今、音みたいなのしなかった?」

「音?」

「うん。こう――ピカァン、みたいな」

「しなかったけど」

「そっか……」


 そもそも音が鳴ったかどうかすら、かなり曖昧であった。気のせいだったとしても何ら不思議ではない。

 そう思いながら小さく笑いかけた瞬間、アレンは目を見開いた。


「ディアドラ、あれ!」

「えっ?」


 アレンが慌てて指を差した方向に視線を向けると、ディアドラもそれに気づく。


「ウソ……島が見えるわ!」

「結構大きいよね」

「大きいわね」


 確認するように二人は言う。孤島ながら、くまなく歩けば十分に時間は費やせるほどであり、その認識に間違いはない。

 だからこそ二人は、どうにも納得できないことがあった。


「さっきまで、確かに見えてなかったよね?」

「えぇ。どこまでも広がる真っ青な海しかなかったわ」

「だよねぇ」


 不思議なものだなぁと、アレンは呑気に思う。しかしディアドラは、複雑そうな表情で目の前に見える島を凝視する。


(アレンが何かを感じた瞬間、あの島が見えるようになった……これは間違いなく何かあるわね)


 もしかしたら、ただ単に偶然が重なった結果なのかもしれないが、それはそれで構わないと思っていた。

 何が起こるか分からない以上、油断は禁物だ。用心するに越したことはない。


「とりあえずあの島に近づいてみましょうか」


 ディアドラは魔法の雲を動かしていく。細心の注意を払いながら、島の様子を伺っていった。

 何か分かることはないかと目を凝らして島を見つめるが――


「うーん、何の変哲もない島にしか見えないわね。生き物はそれなりに暮らしているようだけど……ねぇ、アレンにはどう……」


 振り向きながら問いかけた瞬間、神妙な表情で島を見つめる彼の表情が、ディアドラの視界に飛び込んでくる。

 間近で見たおかげで思わず心が軽く跳ねるが、今はそれどころではないとすぐさま気持ちを入れ直し、ディアドラも表情を引き締めた。


「……何か感じるの?」

「うん。よく分からないけど、確かにある」


 アレンはハッキリとそう答えた。曖昧な様子も見せておらず、それだけ真剣だということがよく分かる。


(私には何も感じなくて、彼には感じられている……何があるのかしら?)


 これが逆であれば、ある意味『普通』だと思っていた。伊達に魔王として、鍛錬を積んできたわけではない。自身の魔力感知や操作の能力においても、人並みを越えている自負はある。

 だからこそ、不思議で仕方がなかった。

 アレンは普通に魔力を感じたことはないという。そしてそれは、勘違いでもなんでもない事実であることも、ディアドラは理解していた。

 そんな彼が、ここにきて確かなものを感知している。

 あの島だけでなく、彼自身にも何か秘めているものがあるとしか思えない。恐らくそれは、アレン本人も気づいていない可能性が極めて高い。


(いずれにせよ、どんな真実だろうと、私は真正面から受け止めるだけだわ)


 それが妻としての務めだと、ディアドラは思った。夫の前で情けない姿を見せたくはないというプライドも相まって、改めて表情を引き締める。


「ひとまずあそこの海岸に降りましょう。ここで見ていても、何も分からないわ」

「そうだね」


 アレンも了承し、ディアドラは島の砂浜が広がる場所に向けて雲を操作する。やがて何事もなく島に到着し、二人は慎重に降り立つのだった。

 ディアドラは魔法の雲をしまいながら、興味深そうに周囲を見渡す。


「この島、かなりの魔力が満ちているみたいね」

「魔力?」

「えぇ。アレンの感じたものと、何か関係があるのかもしれないわ」

「ふーん、そっか……ん?」


 興味深そうにアレンが視線を動かすと、一匹の子猫らしき生き物が茂みの中からゆっくりと出てきていた。

 その猫らしき生き物は警戒している様子はなく、むしろアレンたちに興味を示しているようで、トコトコと一直線に四足歩行で向かってくる。


「猫がこっちに来る」

「えっ? あらホント……って」


 アレンの声にディアドラが一瞬だけ嬉しそうにするも、すぐにその表情は驚きに切り替わる。


「あれって『メルキャット』じゃない!」

「もしかして魔物?」

「えぇ。それも普通じゃ滅多に見かけないほどのね」

「レアものってことか」


 とはいえ、アレンからすれば初めて見る魔物の一種に過ぎないため、ディアドラの言葉自体にいまいちピンときてはいない。しかしながら、よく見れば普通の猫でないことはすぐに判明した。


「尻尾が二股に分かれてるのか……でもそれ以外は、殆ど普通の猫だな」


 アレンの頬が自然と緩まり、しゃがんで少しでも視線を合わせようと試みる。大きくてくりっと丸い目が、しっかりと二人を捉えてきていた。

 やがてメルキャットの足が彼らの前で止まる。

 そして――


「ねぇねぇ、おにーさんたちだれー? どこからきたのー?」


 その声は確かに聞こえた。二俣の尻尾を左右に揺れ動かしながら、無邪気にジッと見上げてくる、その小さな生き物から。

 アレンとディアドラは目を見開き、数秒ほど顔を見合わせ、そして再び視線を戻しながら呆然と声を揃えて言う。


「「――メルキャットが喋ったあぁーっ!?」」


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