005 幼なじみへの想い



「え? えっ? ど、どうでもいいって……」


 ディアドラは大いに戸惑っていた。彼の表情や口調も含めて、完全に予想が外れてしまったのだ。


「いやまぁ、そこまで驚くほどでもないと思うんだけどね」


 それを悟ったらしいアレンは、苦笑を浮かべる。そして強がりではない、心からスッキリしたような表情に切り替わった。


「確かに憤慨しているのは事実だよ? でもそれは、寝取られたことじゃあない」

「え?」

「裏切った――という点さ」


 その言葉にディアドラは、軽く目を見開いた。


「そういえば今も、呆気なく『裏切られる』と言ってたわね」


 寝取られたという言葉は出てきていない。自分が勝手に勘違いしただけだと、ディアドラは認識する。

 それ自体は納得できたが、ここでまた新たなる疑問が浮かんできた。


「けど、幼なじみだったんでしょ? あなたにとって、それなりに特別な思いを抱いてたんじゃないの?」

「……そうだったら良かったんだけどねぇ」


 アレンは空を仰ぎながら、遠い目をする。それだけでも、自分の想像していたものとは違うのだと、ディアドラは思えてしまった。


「その幼なじみさんと、何かあったのかしら?」

「うーん、あったと言えばあったし、ないと言えばないかなぁ?」

「……ハッキリしないわね」

「要はそれだけ微妙ってことだよ」

「微妙――」


 アレンの言葉を反復しつつ、ディアドラは思ったことを呟くように言う。


「ずっと一緒に過ごしてきた仲というのは、必ずしもいいことばかりじゃないということかしら?」

「うん。それで合ってる」


 アレンはニッコリと笑っていた。口調にも迷いがない。やはり彼は本気でそう言っているのだと、ディアドラは改めて思った。

 そしてアレンは俯きながら、小さなため息をつく。


「――そもそも、僕とミッシェルの考え方が、まるで違っていたんだわ」


 アレンは故郷の村に対して、強い思い入れがあった。大人になっても、村を出ることなど考えておらず、ずっと村で暮らしていこうと考えており、村の歴史を絶えさせないという思いを強く抱いていた。

 全ては、育ててくれた村そのものへの感謝の気持ちからであった。

 両親を早くに失った後も、アレンは大いに助けられた。

 厳しい目や言葉にも、確かな優しさがあった。手を差し伸べてくれた笑顔に、どれだけ心を救われてきたことか。

 感謝してもしきれない。一生かけても返しきれない恩がある。

 優しく支えてくれた村を、ずっと長く後世に伝え続けていく――それこそが自分の使命なのだと、アレンは本気で思っていた。

 そのためには共に歩くパートナー的な存在が必要だ。

 異性の同年代として、ミッシェルに白羽の矢が立つのは自然なことだった。


「なんてゆーか……」


 やや引きつったような声をディアドラが出した。


「まるでそれ、一種の政略結婚みたいな考え方に聞こえるわよ?」

「だね。僕も話しててそう思った」


 そう言われたアレンも苦笑するしかない。我ながら最低なことを考えていたような気がすると思いつつも、その考え自体に後悔はなかった。


「けどまぁ、否定できる要素はないね。だからこそ、ミッシェルもそれに対して理解は示してくれてたけど、ちょっと協力は望めないとも思ってたし……」

「え? それって、どーゆー意味かしら?」


 コテンと首を傾げてくるディアドラに、アレンは苦々しくも笑みを浮かべるしかないという――それこそ複雑な気持ちを表しながら言った。


「簡単に言っちゃうとね。ミッシェルは『お花畑』な女の子だったんだよ」



 ◇ ◇ ◇



 いくら幼い頃から当たり前のように一緒だったからと言って、それが普通じゃないことくらい見分けはついていた。

 正しいこととそうでないこと――その区別を言葉にして告げても、彼女は笑顔でそれを聞こうとしない。


 ――それはアレンの勝手な都合でしょ? 信じる気持ちを大切にするべきだわ。

 ――今は違ってても、未来はどうなるか分からないじゃない。

 ――昨日のことを振り返る価値なんてないわ。だって今日は今日だもの。


 これだけならまだいいほうである。流石にないだろうと思うような出来事も、確かにあったのだった。


 ――私のせいで失敗した? それは良かったじゃない。


 経緯を整理すれば、どう考えても非があるのは彼女のほうだった。しかし彼女はそれを当たり前のように正当化してきた。


 ――だって成功できるチャンスができたんでしょ? 失敗は成功の基って、おばあちゃんが言ってたじゃない。むしろアレンが私に感謝するべきよ。失敗させてくれてありがとうってね♪


 これは流石にないだろうとアレンは思った。本気で言っている彼女が、苛立ちを通り越して恐ろしいと感じるほどだった。


「夢見がちで現実を見れていない――それも甘い評価だったのかもしれないね」


 今更にも程があると、アレンは笑うしかなかった。自分なりに区別を付けていたつもりだったが、なんやかんやで彼女の毒に侵されっぱなしだったのだと、ここにきて気づかされたような気がした。


「それでもアレンは、その幼なじみさんを放っておけなかったんでしょ?」

「まぁね」


 ディアドラの問いかけにアレンは頷く。


「やっぱり兄妹のように過ごしてきた存在だから、なんとかしてやりたかった。これも使命の一つだって、僕はいつの間にか思い込んでたんだよ」

「……そこに、恋愛感情は?」

「ううん」


 アレンは目を閉じ、首をゆっくりと左右に振った。


「最初はそうだったと思ってた。でもそうじゃなかった。あくまで同い年の幼なじみとしてってだけで、そんなものはなかった」

「でも、その幼なじみさんは、そうは思ってなかったとか?」

「よく分かったね」

「あなたが『お花畑』って言ってたから、なんとなくそう思ったのよ」

「なるほど」


 妙に納得してしまい、アレンはディアドラとともに笑ってしまう。実際問題、理解が早くて助かるとも思っており、むしろありがたかった。


「ミッシェルは、僕の気持ちを都合よく解釈していた」

「アレンは私のことが好きなのね――と?」

「正解。そしてそれを、村の人たちにもガンガン吹聴していってたんだよ。気がついたときには、僕と彼女は婚約者的な扱いをされてたんだわ」

「他に同年代のカップルが成立しそうになかった、ってのもあったんじゃない?」

「だろうね」


 他にも子供たちはそれなりにいたのだが、ミッシェル以外の女の子は皆揃って年が離れていたため、殆ど選択の余地なんてないも同然だった。

 もし、アレンが使命だと思い込んでさえいなければ、それを受け入れることもなかった可能性は十分にあり得る。

 もっとも、全ては『たられば』の一種に過ぎないのだが。


「まぁそれでもさ、ミッシェルは村を愛しているとも言ってたんだ。僕もなんとかして彼女に分かってもらおうと考えていたし、数年もかければなんとかなると、そう思っていた」


 確率的には決して高くはない。それでもアレンは期待していた。彼女が現実を見てしっかりしてくれると。

 そのために、アレンも心を割り切らせ、幼なじみと接し続けてきたのだ。

 しかし――


「それもミッシェルが『聖女』に選ばれたことで、一気に崩れ落ちたんだけどね」


 アレンは苦笑しながら、当時の光景を思い出すのだった。


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