超日本人

天宮伊佐

The Killer comes Japan

その日は朝から、なんだか嫌な予感がしていたのだ。


まず最初に、妻に浮気がバレそうになった。

家を出る直前になって、ワイシャツに口紅の跡がついていることに気づかれたのだ。


昨日、満員の通勤電車の中で隣のOLの唇が肩に当たって何じゃらもんじゃらと誤魔化し、なんとか妻の追及はやり過ごせたが、実際は完全に不倫相手のエミちゃんのものだった。今朝は本当に危なかった。


しかし会社に出勤した後も、嫌な予感は続いた。

そして、それは見事に的中した。

提出しかけていた先月分の経理資料に、致命的なミスがあると発覚したのだ。

完全に私の計算間違いだった。慌てて修正し、何とか提出には漕ぎつけたが、あのまま出していたら私の社内評価は地の底まで落ちたであろうという計算ミスだった。


さらに昼には、急激な腹痛に見舞われた。

恐らく昨日の社内飲み会で大量に食べた生牡蠣のせいだ。おかげで午後の大半をトイレで過ごすことになり、仕事が大幅に遅れてしまった。今日終わらせられなかった資料作成は明日に繰り越しだ。

まあ数時間トイレに籠ったら回復したので、本格的に食あたりしたわけではなかったらしいのが不幸中の幸いというやつか。


しかしタイムカードを押しながらも、私の嫌な予感はまだまだ止まらなかった。


帰りの駅ではとうとう、電車のホームから線路に落ちてしまった。

ふらついた酔っぱらいに突き落とされたのだ。


私は悲鳴をあげながらホームに身を乗り出し、親切な人々に救助された。

私が無事にホームに登った一秒後、列車が私の後頭部を駆け抜けていった。

故意ではなかったとはいえ、危うく過失致死だ。酔っぱらいは一瞬で酔いも醒めて平謝りしてきた。私は憮然とした態度で、一応は許した。


今日はもうさすがに、これ以上の不運には見舞われないだろう。

そう思いながら一軒家に帰宅した私は、玄関の鍵を開けて入った。


家は真っ暗だった。妻も、一人息子のさとるもまだ帰宅してはいないようだ。

電気をつけながら居間に入る。


そこには、大きな山刀マチェットを持ち、ホッケーマスクを被った大男が立っていた。



「なんでだよ!!!!!」

これにはさすがに私もキレた。

「無理があるだろ!! キスマークや牡蠣や事故はまあ分かるけど、これはさすがに不条理だろ!! お前がるのはクリスタルレイクだろ!!」

「…………」

ボロボロの作業着を纏った大男は無言で、山刀マチェットを持っていない方の手で懐から小さな手帳のようなものを取り出した。


パスポートだった。


「来日してんなよ!!!」

私は怒鳴った。

「来日するにしても、こんな凡百のサラリーマンなんかの家にくんなよ!! 無難に富士山でも満喫してろよ!!」

「…………」

大男は再び無言で、作業着の懐から何かを取り出した。


富士山のペナントだった。


「無難に満喫してんなよ!!」

私は怒鳴った。

「…………!?」

ホッケーマスクの大男は、なにか理不尽なことでも言われたように首を傾げた。

まずい。気分を害したようだ。笑顔で応対してお帰り願うべきだったか?


ペナントを仕舞った大男は、無言で山刀マチェットを振り上げた。

「ひいっ」

私はじりじりと後ずさりながら、何か武器になる物はないかと部屋を見回す。


TVのリモコン。ハンガー。クイックルワイパー。駄目だ。どれも使えない。

台所の包丁。少しはサマになるかもしれないが、一介のリーマンである私があの不死身の怪物に太刀打ちできるとは思えない。


そうだ。水をぶっかけるか?

いや、水が弱点というのは「フレvsジェイ」だけの設定だったはずだ。

目の前のこいつが、シリーズのどの個体かは分からない。効かないかもしれない。

よしんば弱点だったとしても、我が家の水道のチョロチョロ水では不足だろう。


ふと、カレンダーに目をやる。

ああ、そうか。

今日は、13日の金曜日だ。

そりゃあそうだ。だからコイツが出現したのだろう。

朝からずっと嫌な予感がしていたのも、このせいだったのだ。


「…………」

ホッケーマスクの大男は無言で、のっしのっしと近寄ってくる。

あの山刀マチェットが振り下ろされれば、私の身体など一瞬で両断されるだろう。

ここまでか。万事休す。


「……ハッ!!」

しかし私は、そこであることに気が付いた。

天啓が舞い降りた。


バレかけた浮気。

提出しかけた計算ミス書類。

軽くあたった生牡蠣。

死にかけた鉄道事故。


確かに、どれも危なかった。


しかし、どれもギリギリのラインで


――そうか。

そういうことか!


「……おい、お前。あれを、良く見てみろ」

私はニヤリと笑って、大男に言った。

「…………?」

大男は言われた通り、私が指さしているを見る。



「…………!?」

大男の動きが、ピタリと止まった。

「…………!! …………!!」

その両目がホッケーマスク越しにも分かるほど見開かれ、作業着に包まれた巨体がぶるぶると震え始める。


「そういうことだよ」

私はゆっくりと、大男の巨体に向けて一歩踏み込む。

「確かに今日は13日の金曜日だ。だが、最悪の日ではない」

「…………!!!!!」

振り上げていた山刀マチェットを力なく下げ、大男は怯えて後ずさった。

「まあ、はるばる来日したお前には分からなくて当然だっただろうが」

を指さしたまま、私は勝ち誇って言った。


「これからは、六輝ろっきも確認してから来日した方がいいぞ」


そう。

今日は確かに13日の金曜日だが、六輝の上では『』だったのだ。


私にペコリと一礼した大男は、すごすごと居間から出ていった。



それ以来、彼は時々クリスタルレイクから私に手紙を送ってくれている。

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