無垢の祈り

天宮伊佐

Wish of Mola

西暦2067年。指数関数的な成長を遂げてきた、人類の科学力の行き着く先。

あらゆる電子機器を即座に破壊する電磁波爆弾、通称EMP兵器の実用化。

半径1000㎞を焦土と化す五重水素爆弾の発明。


西暦2078年。人類の博愛精神の打ち止め。世界情勢の急激な悪化。

しかし科学の発展だけは留まるところを知らない。

ツァーリ・ボンバが小火ぼやと思える究極爆弾の完成。

ハンドバッグに収められながらも一州に効果を及ぼす、超小型EMP兵器の量産。

世界は、一個人でもお手軽に破壊できるサイズとなる。


西暦2084年。とうとう人類の破滅願望が閾値いきちを超える。

全ての国を巻き込んだ第三次世界大戦の勃発。

世界中で盛大に咲いた熱核の花火。地表の全てに平等に降り注ぐ電磁パルスの雨。

わずか一ヵ月の間に、地球の総人口は120億人から3000万人にまで激減した。


文明社会の完全な崩壊。2000年間に渡って築き上げてきた文化のリセット。人々は殺し合い、世界の構造は崩壊し、地球上から「国家」というものは失われた。

再生に導く者など誰もいなかった。もはや、人類にそんな余力などなかった。世界の実質的な指導者とされていたアメリカ合衆国は、すでに地球上から物理的に消滅していた。


そして西暦2095年。

かつては「イタリア」と呼称されていた地域の片隅に、モーラは住んでいた。


生まれつき病弱で、周りからは愚鈍だと馬鹿にされていた。

家族はいなかった。両親も姉妹も、最愛の夫さえも、すでに餓えや病気や争いで天に召されていた。

第三次大戦で地球上にばらまかれた熱核の花火はほぼ全ての資源を焼き払い、ほぼ全ての動植物を汚染していた。残された者たちは、数少ない食料を巡って昼夜を問わず醜い争いを繰り返していた。

毒と餓えと殺戮の渦巻く世界。

だが、それでも、モーラの魂は善良だった。

「どうか、この悲しい世界にいつの日か平和が訪れんことを」

モーラは毎日、衰退した世界の中でただそればかりを祈っていた。



――……よ――


ある日。祈りを捧げていたモーラの耳に、突如として妙な音が響いた。

誰かに話しかけられたのか。そう思ったモーラは辺りを見回したが、静けさの中には何者の気配も感じられない。


――……ラよ。モーラよ――


はっとして、モーラは天を見上げる。

幻聴ではない。何者かの声は、遠い空の上から降り注いでいるのだ。

いや、それは正確には『声』ではない。

そのかたは、遥かに離れた場所から自分の頭に向けて直接に語りかけているのだと、なぜかモーラは本能的に悟った。


「あ、あなた様は、もしや……」

モーラは応えた。これも正確には、口に出したわけではない。

同じように、『声』に向けて心の中で応えたのだ。

それだけで彼方かなたの存在に自分の思念が伝わることも、なぜかモーラは察していた。


――そう。私は、お前が思っている通りの存在である――


モーラの思いに、やはり『声』は返事をしてきた。


――私は空の上から、この星に生きる全ての者の生活を観ていた――


「ええ、ええ。存じております」

モーラにその言葉を疑う理由など一つもなかった。

「わたしは信じておりました。世界には必ず、あなた様のような方がいるのだと。悲しみの坩堝るつぼと化したこの世界でも、きっとどこかにあなた様がいて、わたしたちを見捨てずに見守っていてくださるのだと」


――モーラよ。お前の祈りはいつも私に届いていた。お前は本当に善良な娘だ――


その『声』は、心の底まで染み渡るような優しさで溢れていた。

「ああ。ずっと見てくださっていたのですね。光栄でございます」

感激のあまり、モーラは身を震わせる。


――お前は今、この世界で最も清らかな心を持つ者である。褒美ほうびを取らせよう――


「ほ……褒美、でございますか?」


――モーラよ、お前の願いを一つ叶えてやる――


「願いを……叶えてくださる」

突然の話に、モーラは困惑する。


――そうだ。何でも一つだけ願いを叶えてやる――

――ただし、願いだけだ――

――全世界に平和をだとか、規模の大きすぎる願いは駄目だ――

――もちろん全知全能である私に不可能はないが、それは受け容れられぬ――

――そういった願いは、お前の身の丈を超えておるからな――

――私が叶えてやるのは、お前本人の、身の周りに関する願いだけだ――


「わたし自身に関する願い……」


――たとえば、病弱なその身体を、今すぐ無敵の肉体に変えてやろう――

――たとえば、お前が憎む者どもを、一瞬にして消し去ってやろう――


「……わたしは、そんなことは望みません」


――わかっている。お前がそんな娘だったら、私はこうして現れてはおらん――

――さあモーラ、考えるがいい。お前の望みを。お前の祈りを――


モーラは思案した。


――繰り返すが、私はお前の身の周りに関することならば何でも叶えてやるのだ――

――ただし、『不老不死』はいかん。これも生物としての身の丈を超えておる――

――『災厄に見舞われずに寿命を全うする』程度なら保証してやるがな――


その『声』を聞き、モーラは決めた。

「あなた様に、わたしの願いを申し上げます」


――何なりと申してみよ――


「願わくば……もうじき産まれるわたしの子どもが、不条理な死を迎えないことを」


モーラの中には、小さな命が宿っていた。


「わたしの妹は、わたしよりもずっと病弱だったので生まれてすぐに飢え死にしました。わたしの両親は、毒で汚染された区域の食べ物しか得られなかったために病死しました。わたしの最愛の夫は先日、海賊に襲われ殺されました。……わたしは、もうすぐ生まれてくるこの子にだけは、そんな辛い思いをさせたくないのです」


長く続くモーラの独白に、『声』は答えない。

ただ大いなる沈黙によって、モーラに言葉の続きを促す。


「この悲しみの絶えない世界で、わたしは、わたしの子どもだけには、争いや飢えや病に巻き込まれることなく、のびのびと天寿を全うしてほしい。この上なくわがままな欲望であるということは分かっております。しかし、世界を司る方よ。それが、この子の母としてのわたしの願いなのでございます」


――モーラよ。天晴あっぱれである――


いくばくかの間を置いて、『声』は告げた。


――たった一つの願いさえ自らのためには使わず、子孫の平穏を祈る心――

――お前を選んだのは間違いではなかった――


厳かな言葉と共に、遥か空の彼方から大きな光が降り注いだ。

その光はモーラの全身を包んだ。

モーラは、何が起きたのかを瞬時に悟った。


自分は、自分の中に宿っている小さな命は、『祝福』を受けたのだ。


――今、私はお前の願いを叶えた――

――お前の子どもだけではない。その子どもも、そのまた子どもも――

――お前の血を受け継ぐ一族は、この世界の『不条理な死』とは無縁となった――

――お前の子孫は、もはや決して争いや病、飢えに巻き込まれて死ぬことはない――

――お前の子どもは、孫は、曾孫ひまごは、のびのびと生きて天寿を全うするだろう――


「……ありがとうございます……この世界の全てを司る、偉大なお方」

人類が『神』と呼ぶ存在に向けて、モーラは感謝の祈りを捧げた。


そして、西暦2096年。衰退した世界の片隅で、モーラは元気な子供を産んだ。


3おく匹の子どもたちはすくすくと育ち、のびのびと生きた。

モーラの孫は9けい匹生まれ、モーラの曾孫ひまごは27じょ匹生まれてのびのびと生きる。


西暦2100年。地球はMolaマンボウの星になった。

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