第三章 哀賛歌――暗夜迷宮



「あははっ!それでは行き倒れになっても、無理はないというものだな!男の子はちゃんと食べないと駄目だぞ!そのような事では、いささか育ちが悪くなってしまうからな!」

 ここは第二両目第一エリア。列車の基底部にある社員食堂・狸亭の一角である。そこにあるパイプ椅子に座したままエリカが暗褐色の髪を掻き上げて豪快な笑声をあげていた。仕草はまことに磊落で、姉御肌な気性をいかんなく発散するその肢体は彼女の中にある躍動美を存分に表現している。ただし、そこはかとなく下品なところが玉に傷で、視線はアレックスの下半身を窺い、そこには不穏な笑みが張り付いている。はっきり言って怖い。

 ジュリアがまた一言二言、注意しようと苦虫を噛みつぶしていたが、いいかげん無駄を悟ったらしく、今回は眉間に筋を浮かべるに止め、代わりに、その行き場のなくなった眼光は、なぜかアレックスほうへ注がれてしまうのだった。それは隣にいるシェラにも時折向けられ、挙げく途方に暮れた顔をする。まるで吸血霊を疑う杭打師のような睨みと悪霊を逃がした霊狩人のような焦燥である。そんな顔を交互に向けられては堪らない。そんなわけで先ほどからアレックスの目はまたもや泳ぎっぱなしで、自然とそれはシェラのほうへ向けられていた。そんなシェラの前には大きな皿があり、スプーンがひっきりなしに動いて黄色いルーの掛かったご飯をせっせと口へと運んでいた。その口の周りがご飯粒だらけで恥ずかしいから取ってあげようとしたら……

 これまたジロリと睨まれてしまった。

 なるほど邪魔するなって事ですか。今夜の献立は大好物のカレーライスだもんね。

 ちなみにアレックスと、他三名の皿はすでに完食された状態になっている。

「ひゃぁ、高位の人型霊命って初めて見たけど……すんごく食べるんだねぇ……」

 ミーナの驚きにアレックスは苦笑するしかなかった。霊命が霊力を維持するには様々な要素が必要だが人のように食事をするのは希である。普段のエネルギー摂取は、大抵、霊電物質の補充や宿主の霊気を取り入れる事で済まされる。たまに次元霊の霊素を食う事もあるが、これは最高のご馳走になるらしい。しかしカレーライスが大好物と言って憚らないふざけた霊は世間広しといえど恐らくシェラくらいのものだろう。それがまた、とんでもない大食いとくれば尚更のことである。それを目の当たりにしたジュリアの眉間には、さっそく三本もの青筋が立っていた。

「……この方には大霊としての矜持がおありなのですか?」

 ここでもまた、そんな嫌味を口にするのがジュリアのジュリアたる所以である。

 ただ、不思議な事もあるもので、それを耳にしても今夜のシェラは大人しかった。

「おかわりっ!」と先ほどよそいだばかりの皿を勢いよく突き出してけろりとしている。

 今は腹を満たすほうが優先なのだ。

 そんなシェラの大食いは今に始まった事ではない。その旺盛な食欲には一魂同体の身なれど多少辟易しているのもまた事実である。他人から見ればさぞ奇異に見えるだろうが、ただ、それを差し引いてもシェラの元気な姿が見られた事は何より感謝すべき事にはちがいない。

「なるほど。これでは食費もかかり、生活費も馬鹿にならないというわけだ」

 もくもくと食べ続けるシェラに興味津々とした目を向け、エリカが得心を示す。重ねてジュリアの呆れた眼差しも向けられた。

「それで……仕事を探していると?」

「そ、そうなんです……」

 アレックスは悄然と項垂れながらカウンターへ歩みより、頭をさげながら食堂のおばさんからカレーライスの御代わりをもらう。それからまた席に着いた。

「職種は何だってかまいません。もうこのさい好みの云々など言ってられませんから」

「うむ、事情はだいたい解ったぞ……」

「まさに同情を禁じ得ませんわね……」

 そこへまたジュリアが割り込んでくる。

「明日にでもハウエル中尉に……」

「いえ、ワタクシから頼んでみましょう」 席に着くや二人して積極的に請け合ってくれた事にアレックスは目を輝かせた。ただ姉御肌なエリカが世話を焼いてくれるのは解るにしてジュリアまでが親切なのは意外であった。


 そんな様子にシェラが一瞥を投げかけた。

 見た所、アレックスは現状に全く気づいてないらしい。安堵して再び食事を再開する。今や、ジュリアとエリカの間には睨み合いが勃発し、一触即発の火花まで飛び散っていたが、その原因たるアレックスには、それが綺麗な花火にでも見えているのか、そこにあるのは鈍感に弛んだ笑顔でしかなかった。

「ありがとう」と素直に謝辞を述べている。

 

『だから旅はいい……』とは師匠の言っていた言葉だ。旅には色んな人との出会いがあり、たまに思いがけない人情にも触れられる。師匠は『その一つ一つが痛ましい魂を治癒してくれるだろう』と言っていたけれど、本当に、そうかもしれないと思う時もある。人との触れ合いが、こんなにも身に沁みるのは久しぶりのことだ。今までが今までだっただけに、そのありがたみは値千金以上に思えてくる。だから、こういう時こそ、師匠の言いつけどおり、僕はみんなのためにも頑張って笑わなきゃいけないんだと思う。

 ……しかし。

 先ほどのシェラの行為は看過できるものではない。なにも世界には自分の味方になる者ばかりが都合よく勢揃いしているわけではないのだ。下手をすればいらぬ警戒心を与え、それがのっぴきならぬ事に繋がる可能性もある。なんといっても空間転移を駆使しての霊体顕現をやってのけたのだから大騒ぎになっても当然だ。瞬間移動はシェラの得意とする霊能の一つだが周囲に及ぼす影響も大きい。すぐに光子流を反作用させて霊波を打ち消したからよかったものの、それでも、その強い霊波を感じた者は少なくなかっただろう。普段の彼女からすれば浅慮とも思える行動だが、そうさせてしまったのは自分にも責任がある。そのうえ誰もが目を奪われる美少女形態だった事からますます観衆が興奮し、そこへ追討ちとばかりにシェラが空腹でぶっ倒れてしまったのだから、

『……霊道士としては失格ですわね』

 とジュリアに冷然と言われ、それに同調した周囲の人たちからも散々の非難を浴びせられてしまった。そこにはちょっと可愛い男の子を苛めてやろうかという諧謔も含まれていたのだが、無論アレックスがそんな事に気づくはずもなく、ますます未熟さを痛感させられ、とうとう忍耐もこれまでと恥もかなぐり捨てて助けを求めたという次第である。

『どうか食べ物を恵んでください……』

 斯くして一行は(セシリアの魔の手に墜ちる事なく)その場を後にし、食堂へやってきたのだったが、ここ三日間ろくな物を口にしてない事を告げるや山盛のカレーライスを振る舞ってくれた食堂のおばさんがシェラの大食らいに目を丸くしたのは言うまでもない。

「行き倒れ寸前まで腹を空かせるなんて大変だったねぇ。昔は旅の霊道士さんを見りゃ、お布施したもんさぁ。昨今はご時世かねぇ」

 そんな嘆きを受けるように、やがて待ってましたと質問をしてきたのはエリカだった。

「やはり旅の目的は武者修行か?」

 なんでも自分流に解釈しようとするそのスタンスには苦笑を覚えるも、正直に言える部分だけをかいつまんで答える事にした。

「まぁ、そのようなものです。修道院から用事を言いつけられまして、ひとまず霊合者となった時の見届け人を訪ねようと思い、この列車にのったんです。おそらく過去の恩人たちも、この列車に乗っているらしいんです。僕の師匠が言うには……」


「そうか、やはり霊合者なんだ。しかし……」と言いよどんでエリカは沈思黙考した。

 霊命を相棒にしているからといって、その者が魂魄融合しているとは限らない。霊命を使役している霊能者はいくらでもいるし、霊合者ならば普通は霊門を通じて霊と一体となっている事のほうが多く、アレックスのように霊を分離させた状態を維持しているのはどちらかというと精霊使いの在り方に近い。だが、その精霊使いも術具などの中に霊を眠らせているのが通常で、その在り方はどこまでも常識から外れていると言っていいだろう。

「まぁ、何か理由があるのだろうが……」

 事情を説明するのに窮する素振りだったのでエリカもそれ以上は詮索しようとはせず、その矛先を変えながらも、しかし、やはり次もまた単刀直入と切りだした。

「ならば、それなりに霊能技にも通じているのではないか?姓と出身地を聞いただけで、わたしの父が『風霊使いのダン』と解ったくらいだ。それなりの修行もしてきたのだろ。霊門開放はどこまでやれる?霊術操技のほうはどうなのだ?」


 武芸を志す情熱が伝わってくるような表情だった。アレックスは思った。直情とも思える眼差しは生きてる事を実感している証。それはとても羨ましいもの。思わず口に出てしまった事への痛恨も感じさせない好奇心の発露であるが、しかし、ここで全てを開陳するのは憚られる。

「いえ、まだ未熟者でして……」

 霊能技には大まかに分けて二つの流れがある。その一つが霊能闘技という強化体術だ。生者もまた肉体に宿る霊的存在であり、その魂内にある霊門は肉体や霊力を強化する源である。それを通じて生じさせる霊光子流は身体だけでなく脳にも影響を及ぼし、それを操る者の中には神懸かりな力を発揮する者もいて特に霊合者の場合はそれが顕著と言われている。そしてもう一つが霊術操技である。これは古の魔術の系譜からなる術の事で分野や流儀も幅広く一概には言えないが基本的には霊力を駆使して体内外に働きかける霊能技である。その二つの技は全く別物に思えるが、味方の霊を内に収め、敵を外に封じるという考えに乗っ取り、複雑に絡みあって相乗的に効果を高める。それが霊門開放と呼ばれる霊能技の基本的概念である。つまり自らがどれだけ霊に近づき、どこまで霊との憑依深度をあげる事ができるかを目標としているのだ。即ち、その技名や技能を相手に知らせる事は自分の正体を明かす事にも繋がりかねない。アレックスはその質問に対する解答を虚空へ彷徨わせるのに四苦八苦した。

「……だから、そのう……旅に出されてるわけでして……」

 その目は注視から逃れようと窓を通して艦外へ向けられてしまう。夕闇に陰晦とする荒野を清めるように白い雪がちらつきだしていた。その目を追って気づいたらしい。ミーナが早速とはしゃぎはじめた。その嬉嬉が水を差し、話もうやむやになって助かったが、まもなく、その場の空気を一変させるアナウンスが鳴り、どうやらそれ所ではなくなってしまった。



「各員に告ぐ。総員持ち場にて待機。持ち場にて待機。以上です」

 空気に溶け込むように存在感を抑えたその声は副艦長サラさんのものだと思いながら様子を窺ってると周囲が騒がしくなりだした。

「デフコン2の発令ですわね」

 ジュリアの表情がいささか険しくなる。

「でぶコン2?……」

 メタボなコンテスト第二回目でも開催か? いや、そんなわけあるまい。

 その疑問に答えてくれたのは愁眉を曇らせながらも腰のひねりを忘れずに立ちあがったエリカだった。

「待機命を二回繰り返すのはレベル2の警戒態勢が発令された事の合図だ。つまり非常事態に備えて待機せよということだ。まだ陸航も始まったばかりというのに……」

「ふぇぇ……」とミーナも渋々と立ちあがる。

「わたしたちは訓練生ですので自室で待機となります。あなたは関係ありませんが、それでも大人しくしてなさいよ」

 まるで釘を刺すような口調だった。ジュリアには、なぜか逆らえない雰囲気がある。

 無意識の内に首にバネを仕込まれた人形のようにコクコク肯いてしまっていた。

「おかわりっ!」

 また勢いよく皿が持ち上がった。まったくどこまでマイペースを突っ走るつもりか。

「いいかげんにしなよっ!」

「……むぅ」

 やっとスプーンの動きが止まってくれた。


 それから食堂を後にし、手にスーツ・ケースを持って平行エレベーターを乗り継いでやって来たのが第四車両第一貨物エリアの右舷、つまり運搬車を搬入したあの貨物甲板であった。

 ところが平行エレベーターを下りるや、

 しばらくそこで呆然としてしまった。

 まさに、そこは無人と言ってよく、奥にある駆動部へ続く通路までもが一目で見通す事ができるほど寂れた状態になっていた。

 人工知能変異によって重機が暴走し、蟹の大群が横行した朝の騒々しさなどまるで嘘だったようにひっそりと静まり返っている。

 ジュリアたちと別れたあと、アレックスたちは艦内を見回るにしても、これから次元霊の霊波を探るにしても、もう少しは情報を得ておきたかったので運搬車まで戻る事にしたのだが、あまりの変貌ぶりに思わず場所をまちがえてしまったかと焦ったほどである。

 やがて、そんな深閑とする中をシェラと並んで歩き、運搬車の近くまできた所で、ようやく人の気配を察して足を止めた。

「……んっ、そこに誰かいるの……?」

「……えっ?……」

 アレックスも身構えた。見れば青年が一人、意味深な表情をして運搬車を見あげて佇んでいる。その者は今朝出会ったあの甲板員にちがいなかったが、思いもかけない待ち伏せに意表をつかれ、その見あげる視線の先が気になった。

「ここへ来るのを待ってたんやで……」

 青年の口から漏れるそんな呟きを聞きながらあたふたした。運搬者の装甲の一部が剥がれ、その下地に描かれている聖母像が露わになっている。つまり正体がばれてしまったということか。

「あ、あのう……そのう……」

 すると甲板員がニカッと笑った。

「しかし、こりゃまた朝とは別人やなぁ。しかも隣にいる霊命もえらいべっぴんで……」

 甲板員の軽口に素直にシェラは警戒心を解いたようだが、

「心配せんでもええ。べつに君らの正体をばらしたりはせぇへんよ」

「君は……いったい?……」

 とアレックスは訝った。

「わいはスコット・マクミラン。整備課志望の訓練生や。よろしく」

 甲板員はそう名乗り、ハウエル中尉から運搬車の整備を任された事を告げた。

「……その整備課志望のお兄さんが、どうしてそんな事をしてくれるんです?」

 さらに疑わしく目を細める。

「あぁ?そこんとこは中尉に聞かんと解らんけど。客の要望にお応えするのはもちろん職員の義務やし、わいは、ゆくゆくは錬金師を目指してるし、訓練業務以外なら趣味の整備に精を出しても誰も文句を言わんやろ。……ま、それだけのことかな……」

 そこでアレックスは眉をよせた。

 現金にも値踏みするように。

「あっ?その目はわいの腕を疑ってんな。ちゃんと霊科学系の学校は出てまっせ。錬金学士の資格なら持っとる。ここで働きながら、さらに術師の資格を得るつもりや。自分で言うのもなんやけど、機関部にいる正規の連中なんかより腕はええと自負しとるつもりや」

 そして懐中からロザリオを取りだし、

 さらに、こうも付け加えた。

「わいは英国出身なんやわ。このロザリオは反秩序派どもに殺されたおかんの形見なんや。わいが英国から無事に亡命できたんは、あの地獄と化した地下倫敦で戦ってくれた法都十二使徒……のおかげや。せやから……あの『嘆きの聖母像』を見ても、それを言いふらすような馬鹿な真似はせぇへん」

「じゃぁ……」

「まぁ、口は堅いほうやと思うけどな」

 ちょっとはにかむような、身上を話してしまった事への照れくささか、

「それよりも……」と誤魔化し気味に本題を切りだした。

「ここまでボロボロやと手間やでぇ、外装は応急で済むけど、問題は機関部。整備するには中に入れてもらわんと。それから磁界石もろくな物を使うとらへんな。それも、ちゃんと加工した物に変えな。このままやと霊命力を損のうてしまう事にもなりかねん……」

「本当に整備をお願いできるんですか?……」

ほんのり喜色を浮かべて隣のシェラを見る。

「うむ。虚言は弄しておらぬようだ。作業着の汚れ、皺の多い働き者の手。そこに染み込んだ機械油。それを見れば、おのずと、こやつの気質も知れるというもの。一つ所に懸命になれる者に心の汚れたる者はおらぬ。それは道理じゃ。信用してもよいであろう」

 シェラは人の本質をある程度見抜けるし、人生の機微に関してはアレックスなど足元にも及ばないほど長けているところがある。その、お墨付きが出たからには大丈夫だろう。

「ほぉ。こりゃ磁石調整も、し甲斐がありそうやな。よろしく。綺麗な霊命のお嬢さん」

 綺麗と言われてシェラは素直に喜んだ。派手に明滅しながら興奮を面にアレックスの袖を引っ張りまくる。

「では、さっそく霊質金属種の配分表を見せてもらおかな。でも、まずは外装甲やな。車内に装甲の補填材くらいあるやろ……」

「あると思うけど……」

 そこでアレックスは少し躊躇をみせた。

「資材は中やろ。入らんと何もできんがな。それともなにか。二人の想いが一つになれば愛は無限の力を生む。そんな秘密の小部屋でもあって他人には見せられへんとか?……」

「な、な、ないよ!そんな部屋!あるわけないでしょ!どんな部屋ですか、それ!」

 アレックスは全力で否定。

 そんな冷やかし対する二人の反応はモーセが道を造った海よりも完璧に分かれていた。

「ほぉぉ、そんな部屋も良いではないか……」

「そんな怪しい部屋はいりません!」

「……うぐるるるるっ」 

 一気に機嫌を悪化させてシェラが唸る。

 それに押されるようにアレックスはようやく観念。やがて運搬車の扉の前に立ち、意を決したように暗証番号を打ち込むのだった。


「おぉぉっ!こいつぁ、すげぇぇ……」

 狭い部屋に技師らしい歓声が漏れた。

「一般電脳網と平行使用できるうえ立体画像処理も可能かぁ。これやと高速演算ブースターもええやつ搭載しとるんやろな。やっぱり軍事用の霊信電脳体はひと味ちがうね!」

 ここは運搬車の中にある一室。

 ……中枢電脳制御室である。

 スコットの腕前は実に大したもので装甲の応急処置などはあっという間に終わってしまった。といって、そのまま愛想もなく返すのは失礼だから、せめて茶ぐらいは出すべきと思い、台所兼食堂から椅子とテーブルを持ち出して取り敢えず寝室にでも案内してみたのだったが、やはり、これは予想どおり、お粗末な結果となってしまった。というのも、その寝室というのが問題で、そこはある意味、混沌と閑散の入り交じる奇妙な空間になっており、その場にあっては誰もが怪訝な目を部屋の壁へと向けざるをえず、そこにある異様な雰囲気をもって不気味な心地を存分に味あわせる事まちがいなかったからである。

「霊電機関は組み直すとして、それより磁界石を急ぐべきやな。けど、これはいったい?」

 案の定、壁に目を向けたスコットは唖然としたまま固まってしまった。あいにく車内には気の利いた客間などありはしないのだが、

「いや、その……やっぱり気になる?……」

 恐る恐る訊いてみた。

 けれど彼は少し驚きはしたが、それ以上は特に奇異や詮索を面に出すような事はなく、余計な事を口にするような事もしなかった。

「まぁええ。少し落ちつかへんけど、気にはならへんよ。君も色々と事情があるんやね。まぁ、人生明るく笑ってんが一番やし……」

 どうやら気難しさとは縁遠い性格らしい。かといって感情の機微に欠けるのでもないらしく、だから自然と打ち解ける事ができたのかもしれない。本来なら絶対に他人を入れない制御室へ案内したのも、そういう人柄に気を許したからだと思う。というより最初から、そうすべきだったと後悔した。そんな彼の好奇心を大いにくすぐったのが他でもない。その部屋を占領している大型の――電脳信中枢電脳体であった。

「廃石から微弱ながらも反陽子反応が出たんですよね?……」

 制御室の中で嬉々とするスコットに向かってアレックスは質問を繰り返した。

「そうや。これは普通の検査をしただけでは解らへん。医療用の霊感染スキャナを使用したんや。これもレモン中尉の入れ知恵や。ほんま、あの人は飄々としとるようで。おそらく守護霊の力を鈍らせために前もって廃石を仕込んどいたんやろと、そない言うとった。それで、その資本経路を調べるっちゅうのがよう解らんけど。そんなんやったら公社のほうでも、すでに調査済とちゃう?」

「普通に検査したのでは解らないんでしょ。機関調整から磁界石加工までを担当しているのは社会的信用のある大企業ばかりでしょうが内実は計り知れたものではありませんよ」

 言い終えるとアレックスはもの凄い速さでキーボードを操作し、霊信網を網羅しながら霊界深度をあげ始めた。

 やがて制御室内に霊素が立ち込めだすと、そこで見えてきたのが、ある企業と政治家との癒着。裏組織へ続く出資の流れ。さらにそこから霊脈を辿る事で、ある資源会社との関係までがはっきりと見えてきたのだった。

 つまり、それはあの採掘所を運営していた会社に他ならず、アレックスはさらに霊界深度をあげ、企業が計画している開発資料に向け、その霊脈を進み始めるのだった。

 だが、さすがにそれより先は防霊壁の精度も増し、なかなか進めなくなる。やがて一国の軍事システムにも匹敵するような対霊侵入防御が眼前に立ちはだかる事となった。


「これを突破するんかいな……」

 スコットは絶句した。周囲の霊素がさらに濃くなり始めている。ますます霊界との同調が進行しているのだ。最初は画像処理装置かと思っていたのは実はそれは安全用の結界装置だった。いまや室内は一変し、完全に生ある世界から切り離されてしまっている。

「ここはどこなんやろう?」

 愚問と解りつつも聞かずにはいられなかった。返ってきたのは電脳と融合した者の口から発せられる機械的な声である。

「電脳霊界の第三階層デス。結界ノ外ニ出ナイデ下サイ。出ルト死ニマス。僕ノ体ヲ、シッカリ持ッテ、絶対ニ離サナイデクダサイ」

 スコットは言われる通りにした。

 いまや、ここは球状の狭い生存空間を残す以外は完全に異界へと突入している。空間ごと、ましてや肉体ごと電脳霊界へ突入していく霊信方法など聞いたこともない。

「霊門開放技、電脳走破ト言イマス」

 また機械的な声が返ってきた。

「…………」

 やがて、ビビリまくるスコットを尻目にアレックスが目で合図を送る。すると背後から抱きつくようにシェラが腕を伸ばし、それを身体へ浸入させ、そこからさらに半身を通して無数の霊腕を出現させた。

 即ち、霊門開放技、神腕演舞。

 それはどこか艶めかしい光景だった。もともと美女とも見紛う肢体がより妖艶なものに包まれ、おかげで躊躇われつつも怖いので抱きついてしまうスコットは妙に高揚する気分を抑えるのにも必死になった。

 

一方、アレックスはしばらく苦悶していたが、そのうち半眠状態に陥ると右手の聖痕から光を放ち、その燐光の輪を頭上へと巡らせていく。

 曰く、霊門開放技、回天知覚。

 脳の処理速度を瞬発的に向上させる操技である。スコットが驚きに言葉を失っていると霊界深度がさらにあがり、周囲に情報がランダムに浮かび始めた。いまやアレックスの体から無数に伸びる霊腕は目にも止まらぬ早さで、それらの情報を処理していく。だがシステム側も黙っていない。電脳霊抗体を無数に出撃させて防御にあたる。シェラとアレックスは霊腕から光子を迸らせ、それらを迎撃しながら次々と障壁を突破していくのだ。やがて霊界に築かれた広大無辺な情報保管空間へ到着すると、そこにある巨大本棚の中から瞬時に目標だけを選定し、それを目指して飛翔した。 続いて目当ての棚の前で動きを止め、さらなる検索に移行した事を示す霊音を響かせながら目標を固定。

 それは……開発計画に関わる人物の情報を記した分厚いファイルの背表紙だった。

 それを抜き取り、またもや、もの凄い勢いでページを捲っていく。

 そこに書かれていた文字は朧気だったが、なんとか、その断片くらいは読む事ができた。

『青き憂聖団』――反秩序原理主義の深淵に君臨し、この世に狂気と変革をもたらさんとする異端者にして最強位の霊能者たち。

『光の天啓傭兵団』……過激な秩序維持思想に取り憑かれた最左翼の指導者たちを守護する無敵の私的霊能軍。

 そこには、そんな二つの団体の名が同時に記されていたのである。なんとか、その二つの単語くらいは把握することができた。

「まさか秩序派の企業がそんな組織やらと関わりがあるやなんて。憂聖団いうたら倫敦の街を火の海に変えた恐ろしい連中やで」

 そこでがくっと脱力するように体が床に落ち、霊信が切断された。たちまち周囲が現実の世界へ引き戻され、引力が復活する。室内に照明が灯ると同時にシェラが起きあがり、続いてアレックスも覚醒した。そして脳内に転移された情報に知覚を巡らせ、たちどころにその顔色を変える。

「元憂聖団の一員にして、今はテロ請負人と称しているあの者ですか……」

「あぁ、だからや……」絶句していたスコットも状況を飲み込めた様子である。

「つまり予想以上の危機的状況というわけや。情報部が何かを掴んでいながら手をこまねいてるとしたら、それも解るような気はする。下手をしたら列車は荒野の鉄屑やで……」

 アレックスはそれに黙って首肯し、再びスーツ・ケースを手に持った。取り敢えず何らかの情報は得られた。後は行動するのみであるが今できる事と言ったらやはり艦内を見回る事くらいしかないようだ。情報と言っても敵が強いと知り得ただけで、その意図も目的も不明である。その人物特定も困難だろう。恐らく、こちらからは手を出しにくい所に潜んでいるはずだ。確か、そいつはA=2クラスの次元霊を使役するかなりの手練だと記憶している。できれば関わりたくないのは山々だが、そうも言ってはいられない。おまけに敵の詳しい情報を知ろうにも相変わらずラキは眠ったまま。その十字架は今シェラの首にぶら下がっている。アレックスは思案に暮れながら制御室の扉を開け、シェラやスコットとともに通路を進み、やがてタラップを下りて甲板へと足を着けた。

「わいも付き合いたいけど、今晩は待機命令が出てるんや。まぁ警戒態勢で甲板員がみな霊壊砲や戦重機甲板やらに出払ってて助かったけど艦内をウロウロするんはさすがに」

 スコットも運搬車から下り、四両目の接合部まで見送りながらぼやく。

「いえ、もう充分です。ちょっと一回りするだけですから。それから寝ます。どちらにしろ敵の出方を窺うしかないようですから。では、とにかく明日にでも……」

「そやね。……で、見回ったあと今夜はどうするん?」

「せっかくですから、あの病室を使わせていただきます」

「そう。じゃ、今夜はこれでお疲れさん」

 その顔には深い疲労の色が窺えた。

 アレックスはすぐにその場を後にし、

 スコットもさっさとその場を離れる。

 後にはひっそりした闇だけが残された。


 ところが、その静謐の中に身を潜める者たちがいたのである。

「ふふっ……この時を待っていましたのよ」

 ひらりと落ちる花びらのような微笑を闇に散らし、そんな呟きを漏らしたのはあの和風美女の副艦長こと北条サラであった。そして、もう一人。第四車両長のジェシカ・メイソンがその背後に立っていた。そのジェシカのほうへ振り返りつつ、動揺を押し隠した囁きをもってサラが確認をした。

「あれが、あの少年ですの?かなり雰囲気が変貌したように思えるのですが?」

 それは闇の中でもはっきりと解るほどの秀麗な顔立ちだった。あの髭面だった少年と同一の人物だとはとても思えない。状況がこのようなものでなければ広報部に手を回し、広告塔にでも担ぎあげ、この『TCGE999グランド・エキスプレス・アース・エンプレス』の宣伝に大々的に役立てるものを。

「まちがいありません。わたしも驚きました。何故の変装だったのでしょう?」

 こちらは目を瞬かせ、小声ながらも勢い込むような口調だ。ほのかな興奮も窺える。

どうも、この列車には男っ気が少ない。

(もしかすると、そのせいかしら?)

 ともかく、その様子に少し呆れたサラは、

「その目的を今から調べるんですよ」

 と、あくまで要注意指定を解除しないまま、誰もいなくなった運搬車へと近づいていく。

やがて扉の前で足を止め、その右手の聖痕から燐光を迸らせると次にはもうそこから植物型とおぼしき透明な蔓状の霊素を溢れさせ、その霊触手を扉の電子錠へ侵入させていくのだった。軽い電子音がしばらく鳴り、やがてプシュッと音を立てて扉が開いた。

「あのぅ。……こういうのはどうも感心いたしかねるのですが……」

 その咎める声に対しても、

 サラはあくまで頑なであった。

「おだまりなさいっ!あなたの監視が甘いから、このような仕儀に至るのですよ!」

 その一喝にジェシカは顔を茹でダコみたいに赤くした。その原因は南雲大佐に襲われた事にもあるのだが、それはとても恥ずかしくて口には出せない。殿方にもまだあのような事はされた事がないってのに。……ううっ。

「何をモジモジしてるんですっ!」

 また一喝。

 さらに一段と声を潜めて後を続ける。

「さればどうです。装甲の修理をしたりと怪しい事このうえなし。さぁ車内を調べます」

 そして、どんどん中へと入っていく。怪しまれるといけないので照明は入れないまま進む。手元を照らすのは霊命の燐光だけだ。やがて入ってすぐ左にトイレとシャワールームを通過し、前方へ伸びる通路奥に部屋を確認した。手前にあるのが電脳制御室で、そこには個人で所有するには大型すぎる電脳体が設置されていた。その部屋の隅に古い革製の鞄が置いてあるのを目聡くサラが発見する。

「ほら見なさい。この電脳機器類に、この鞄」

 遠慮もなくファスナーを開け、ジェシカが止める間もなく中身を確かめる。

 そこにあったのは紛れもなく大金だった。

「いったい何をしていたのでしょう?」

「えっ?……」思わず聞き返した。

 あまりにも冷たく響く声だったからだ。

(そんなに怒らなくても……ううっ……)

 ジェシカは項垂れ、そして正直に話した。

「少年を見失ったあと散々探しましたが見つからず、お腹も減ったので狸亭へ行こうとしておりましたが、そこで副艦長に呼ばれ……」

「誰も、あなたの事なんか訊いてません」

 ぴしゃりと言われた。なるほど。その鞄の持ち主への疑惑が独白となって漏れたのだ。そして改めて鞄の中を覗き込む。確かにその大金は旅の霊道士が持つには分不相応な物だろうが、それだけで犯罪性に結びつけるのはいかなものか?それでも膨れる疑念は止まらないらしい。さらに捜査を続行する。通路に出て、こじんまりとしているが、よく片づけられている台所兼食堂を素通りし、最奥の部屋へ至る。その扉を開けて中へ侵入すると、まず大きめのベッドが目に止まった。なるほど寝室である。中を見回す。閑散として何もない部屋だが、その目が壁に向けられて驚愕に見開いた。そこに貼られた数々の奇怪に目が釘付けになる。それは新聞の切り抜きに数々のメモ書きなどなど。まるで昔の映画に出てくる猟奇殺人犯の秘密部屋のような有様だ。

「こ、これは?……」

 さらに息を飲む。その壁一面に――いや、天井にまで貼られていたのは子供たちの写真だ。優に二百枚以上はあるだろう。

 それらが陰惨な、まるで世界を呪っているような冷笑を浮かべ、闇の向こうから何かを訴えている。そこには凄まじい霊力と怨念の類が感じられた。無断で車内へ侵入した事にも怒りを露わにしているのだろう。その動くはずのない顔が一斉に首を巡らせ、ギロリと睨んできたから、もう背筋は凍りつかんばかりである。ジェシカはペタンと腰を抜かし、思わず悲鳴を漏らした。

「おおおぉぉお化けぇぇぇぇ!……」

 さらにサラにも睨まれ、……顔面蒼白。

「まったく情けない!たかが、この程度の異常霊波で腰を抜かす霊撃手がいますかっ!」

 また、ぴしゃりと言われてしまった。けれど、こんなぞっとする異常霊波は初めて目にする。そんな状況だというのにサラはまるで泰然としたものだ。その度胸が羨ましい。その目はある新聞の切り抜きにじっと固定されていた。

「デューク・アルバトロスⅡの記事ですわね。そういや思い当たる人物もいましたわ。そうですわ。アレクサンドル・ガブリエル。銀翼の堕天使。……まちがいありませんわね」

「……えっ?」またもや耳を疑った。それこそ本当に凍てつくような声だったからだ。


 職員寮の一室。消灯した暗がりの中でジュリアは窓辺に寄り添い、釈然としない表情に陰鬱とした戸惑いを浮かべていた。妙に鼓動も騒がしく、なかなか寝付けそうにない。

 そう、今朝のことである。第四車両第一甲板エリアで起きた一騒動。そこに居合わせた少年。その面差しが気になって仕方がないのだ。まだ胸には触れられた手の感触が残っているような気もしてならない。しかも、よりによって、あのような物まで見せられるとは!

 思わず目にしてしまった裸体。

 思いだしただけでも全身が羞恥に悶える。

 ……それにしても。

(とてもよく似ているのは、どういう事なのでしょう?)

 ジュリアは物思いにふけながらベッド横にある机の引出しを開け、そこから一枚の紙を取り出し、しばらく凝視した。反秩序派に寝返った現英国政府が発行している手配書である。そこに印刷されているのは、まるで犯罪とは縁遠そうな幼い男の子の姿だ。その子に出会ったのは八年前の地下倫敦である。その郊外にあるヴィクトリア別宮の中庭でのことだ。あの時も恥ずかしい思いをしたが、その思い出は今も瞼に鮮明である。地下都市の色のない虚空。それが全てと思っていた心に色鮮やかな感性がもたらされた瞬間だった。

 母に連れて行かれた退屈なお茶会。

 母はご婦人との会話に夢中だったので姉と大人しく並べられたケーキを数えながら暇を持てあましていた。……そんな時だった。

 クロスと一緒にスカートがめくれ、テーブルの下から男の子が現れたのだ。

 とても綺麗な銀色の髪。

 透きとおる碧洋色の瞳。

 それがじっと自分を見つめていた。一瞬、本物の天使が舞い下りたのかと思った。そして、ようやく何が起きたのかを悟り、小さく悲鳴を漏らすと、男の子はすごく慌てた様子で、それがまたとても愛らしく、ますます呆っとしてしまったのを覚えている。

 それからしばらくして、その男の子と同じ学校に入学した。姉も一緒だった。他にも友達も大勢いて、とても幸せな毎日だった。でも、そんな日常は突然に奪われてしまう。武器を持った反秩序派が学校へ押し入り、あっという間に仲間を捕えてしまったのだ。

『何があっても声を出しちゃだめだよ!』

 男の子は掃除用具入れにジュリアを隠し、騎士さながらの勇敢さで悪漢どもに立ち向かってくれた。やがて悲鳴や叫び声が聞こえなくなり、怖くなって外へ出てみると男の子の姿はどこにもなく、教室にはたっぷりの血だけが残されていた。それから数年の間……

 ずっと言葉を失っていた。

 ジュリアは暗がりの中で、その理不尽な手配書をじっと睨みつけていた。

「まさかそんなはず……ありませんわ……」

 男の子の無事を知った時、どれほど涙しただろう。おかげでやっと言葉を取り戻せたのだから。そして誓ったのだ。今度は自分がお護りすると。そしてミーナとともにスチュアート家の門を叩き、そこで修行を積んだ。霊能闘技に霊術操技。それは願いを叶えるための研鑽。いつか祖国を取り戻し、姉の仇を討ち、男の子の頭上に栄冠を輝かせるための雌伏。

「……形なりにも保護されていたはずではなかったのですか……」

 そのはずだった。亡命政府が唯一認める王位継承者。なのに二ヶ月前に届いた手紙。そこにあった『行方知れず』の文字。第二ウィンザー朝最後の王子。その殿下が法都を出奔したという報。しかも亡命政府はその行方すら把握していない。政府は殿下の存在に期待はしているが持て余しているのも現状だ。今の亡命政府に殿下を守る力はなく、現英国政府を敵に回すことも恐れている。忸怩たるものがあった。叔父からの手紙は一度香港へ戻るよう指示しており、さらにどういうわけか陸航列車の訓練生になってみてはと提案していた。他に選択肢もなかったので、その通りにしてみた。公社の訓練を受けるのは修行にもなるし、より情報も得やすいだろうと考えたからだ。その旅にエリカとミーナも着いてきてくれた。ミーナは代々我家に仕える家宰の娘で、自分の事をお嬢様扱いしない所も馬が合い、どこへ行くのも一緒である。エリカの父は女王陛下から騎士の称号を与えられたほどの武芸者である事から亡命政府に協力するのは吝かではないようだが、娘が旅に出るのは反対した。陸航列車に乗ったところで荒野を行く旅は常に危険と隣合わせである。それでも『世界を見て回りたい』と家出も同然にエリカは着いてきてくれたのだ。その目的が言葉通りだけでない事はもちろん知っている。感謝すべき事にちがいない。おかげで今はもう孤独ではないのだから。

 だから都合のいい偶然を期待するなど、罰当たりもいいところなのだ。

「あの少年が、もし、殿下だとしたら……」

 悄愴と漏れた独白。それは悲しみの肯定か、あるいは否定したい一縷の希望か、ただ、断定しうる事はすでに姉はこの世にいないという一点のみ。そう、だからこそ。……いえ、だとしても、あの少年が、このワタクシに気づかないなど、まず、ありえない話ではないか。

「つまり他人のそら似という事です!」

 思わず声を大にしてしまった。

「むにゃ?」とミーナが寝返りをうつ。

 ベッドの二段目で真っ直ぐ横になっているエリカは微動だにしない。寝息もたてず……

まるで沈思黙考と目を閉じている。

 それを見て、ふーっと安堵した。

(相変わらず気難しそうな寝顔ですわね……)

 そこで思わず丸めてしまった手配書に気づき、慌ててその皺を伸ばす。それを片目で盗み見ながらエリカがニヤリと苦笑した。

 そして夜はさらに更けていくのだった。

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