第十八話 夏は長いけど、いずれ夕方になり、月が見える

 5月、夏の甲子園が中止決定された。

 そして6月、代替の独自の地方大会の決定がなされた。甲子園への切符の争いではない。最後の戦い、無観客が決定した。8ブロック制、7イニング、ベスト8の選出で終わる大会。


 大会に向けての日曜の練習が終わり、トンボをかけて、シンヤと柔軟をしていた。さっさと帰る部員がほとんどで、数人が素振りとティーバッティングをしていた。


「負けない可能性が高まったな。サナの願掛けのおかげかな」


「ヨシタカ、これで終わりでいいのかよ」


「いいとかワルいとかじゃない。終わるしかないんだ。それに、中止は三度目らしいし。地方大会をやってくれるだけマシさ」


 そうマシだ。全然、生死に関わるわけでもないし、人生もまだまだ続く。たかが、一夏。

 言い訳も自己欺瞞も、繰り返せば、無意味に思えてくる。 


「素直に思ってるのかよ」


「さぁ」


「俺さ、甲子園、行きたかったんだよなぁ」


「そうだな」


 そうなんだよなぁ。

 柔軟を終えて、空を見上げる。いつもと変わらないのに。

 空の下で野球しても、誰も怒りそうにないように思える。


「負けないと終われない。何のために練習してきたんだろう」


「心身を鍛えるため、健康のため、己に打ち勝つためーー」


「嘘っぽ」


「モテるためか」


「それは、ある」


 くだらないことを言っている間にも時間は過ぎていく。後ろから、水のタンクを片付け終えたミナの靴音がした。


「シケないの」


「あ、マネージャー。シケシケだよ。もう煎餅みたいに」


「電子レンジに入れてあげようか」


「お〜、怖っ」


「それで二人で感傷に浸ってたの。もう十分時間経ったでしょ」


「愚痴らずにはいられないだろ。甲子園に行けたら、あの巨乳を好きにできたのに」


 馬鹿なことを言っているバカがいた。バレーにでも打ち込んでればいい。スパンと、マネージャーがタオルで、シンヤの後頭部をうちつけていた。

 


†††


 シンヤも帰り、誰もいなくなった後。

 まだ太陽は、正午近く。暑く空気がじわじわしている。


「ヨシタカ、少し、キャッチボールしない」


「部活も時間制限があるが」


「じゃあ、御所の端でいいよ。そこで、ちょっと投げあえれば」

 

 着替えることなく、学校を出た。

 自転車で堀川通りから少し北上していき、東へと向かう。門を通る手前で、駐輪する。

 砂利の音のする広い直線の道。都会の一角の、広大な緑。

 角にある、広めのグラウンドに到着して、ボールとグラブを取り出した。


「こうやってさ、ボールを投げあってたよね」

「少年野球だな」


 さっさと距離を取る。

 そして軽くボールを投げる。ミナは、危なげも無くキャッチする。

 キレイなフォームで返球が来る。

 

「サナもやるかと思ってたけどな」

「サナは、見ている方が好きなのよ。・・・・・・ボール、速いよ」

「捕れてるじゃないか」

「女の子に投げるボールじゃないよ」


 ヨシタカとミナの距離が広がりながら、ボールは何度も行き交う。ボールは速度をあげていく。


「フラストレーション溜まってるみたいだね。もっと動きたいんだ」

「当たり前だろ。全然動き足りてない」


 少し肩に力が入っているのが分かる。部活が終わって、少し冷めていた身体がもう一度暖まってきている。ギアの調子が一つあがっていく。


「それで、サナとはどうなってるの」

「わかってるだろう」


 それが訊きたいことか。

 今は、いいだろう。そんな気分じゃない。


「分かってるから訊いてるの」

「雨天中止。再試合」

「延長戦はしないの」

「これ以上の延長はないな。ミナ・・・・・・」


 ボールを受け取って、ボールをグラブのポケットにぶつける。

 

「俺は、どっちを選んだらいいんだろう」


「それ、本人に訊く?てか、サナを選びなさい」


「・・・・・・それでいいのか。ーーじゃあ、これを捕れたら、サナと付き合うよ」


 ボールを思いっきり上へと投げる。キャッチャーフライのように、白球が真上の空にあがっていき、風に揺られながら落ちてくる。

 地面に、ボールが落ちる。数回バウンドして、動きを止めた。


「捕らないのか」

「わたしに決断を任せないでよ」

「俺にも、投げないでくれ」


 沈黙の間に、ヨシタカは、ボールの方に歩いていき、拾う。

 結局、決められない。今のままじゃ、決めたくない。

 拾ったボールを握りしめる。


「プロになる。それから、決める」

「まずは、大学野球じゃない」

「まぁ、そうだな」


 恋愛と野球は関係ない。それぐらいのこと分かっているけれど。

 やっぱり、野球が終わらないと、先に進めない。

 

「プロになれると思うか」


 もう一度、ボールを投げて、キャッチボールを再開する。


「うーん・・・」

「迷うなよ」

「迷ってる人に言われてもなぁ。ーー不安?」

「不安なことばかりだ。ピッチャーは繊細だからな」

「自分で繊細とか言うお調子者でしょ」


 八割の力で投げたボールもサナは難なく受け止める。

 本当、女の子じゃなければーー。


「ま、プロになれるかどうかよりも、怪我だけはしないでね。大学野球も無理に投げないように。わたしは、楽しんで野球をしているヨシタカの方がいいから。痛み止め打ったり、鎮痛剤を飲んでまで、やらないでね。怪我は勲章くんしょうじゃないし、人生長いんだから。四十歳で草野球を楽しめる人生じゃないとっ」


 返答とともに、返球される。


「分かってるよ」


「延長戦は投げ続けない。短距離走みたいな一瞬の努力はいらないからね。努力は継続。壊れたら、それまでとか、そんな美学もいらないから。

 ヨシタカなら・・・・・・うん、なれるよ。進学校の練習だったのに、ここまで投げれるわけだし、まだまだ伸びると思う」


「ありがとう。でも、負けたくはないなぁ」


 自分が投げて、勝てそうだったら、投げたくなるのは仕方ない。その試合の価値とか無視してでもーー。闘争心が。


「チームの負けは仕方ないよ。散々、負けてきたし。野球はチームでしょ。妹は、負けるところ見たくないだろうけど」

「散々、見せたとも思うが」


 中学でも高校でも。それこそ小学生の頃も。

  

「あはは、でも、少年野球だとヒーローみたいなもんだったでしょ。ヒーローは負けないからヒーローじゃなくて、もう一度立ち上がるからヒーローなのだ」

「負ければ終わるけどな」

 

 ボクシングみたいだな。

 もしくは、アニメやマンガのバトルもののようだ。

 恥ずかしいセリフを、あまり大きな声で言わないでくれ。


「人生はトーナメント戦じゃないから。ヒーローは消えたらダメなんだよ」

「サナは、もう中学生だ。憧れる年頃じゃないだろ」

「憧れ、なんだよ」


 小さくつぶやいたミナの言葉は聞き取れない。最後のボールというように、ミナは振りかぶって、全力であろう投球をする。胸のど真ん中に来るボール。回転数が引き起こす空気の音。ミットのいい音。高校野球もミナとやりたかったと思える。いい肩をしている。


「汗かいちゃった。帰ろっか」

「もともと汗だらけだろ」


 部活で着ていたジャージのままだし。

 歩いていく・・・・・・。

 離れていた距離を縮めていく。


「四十歳でも、一緒にいたいな」

「それは、遠回しなプロポーズっぽいよ」


 時間は残っていると思っても、やがて月はのぼる。

 決心は先にのばせても、時間は止まらない。

 まだ若い。まだ何も始まっていない。


「月が綺麗ですね」

「それは、かっこつけすぎ。というか月なんて見えないでしょ」


 でも、もう終わらないといけないこともある。

 始まる前に終わった夏の気配。

 無限にあると思う青春の時の幻影。

 

「プロになってから決めるんでしょ。サナが大学卒業するぐらいまでは待てるよ」

「重度のシスコンだな」

「夢をいえばさ、三人で暮らしたいよね。ううん、わたしが男だったら、ヨシタカの妹と結婚してーー」

「それは怖いだろ」

「妄想、妄想」

 

 ミナは笑う。甘くはかなく見える。

 

「未来を諦めないためには、長い目で見ないと」


 ミナは、グラブをヨシタカに渡す。

 ただ時間に取り残されたように、ヨシタカを残して、ミナは歩いて行き、自転車の方へと向かっていた。

 ヨシタカは、ボールを手首のスナップで真上に投げる。落とせないボール。どんなボールも、落ちていくと不安になる。そして、受け止めてしまう。

 過ぎていく時間が、空間の中にあって、ボールの軌跡は、一瞬でも気が抜けない。

 予測が、つくはずなのに。

 

「最後の一瞬まで、勝負は分からないけど・・・・・・」


 最初の一瞬が、起きなかったら。

 もしミナが男だったらーー。

 本当は、いつ甲子園を諦めたんだろう。 

 ミナは、サナを待つつもりなのか。

 待たせたくない。時間が、容赦なく進むから。

 でも。

 ミナは、待つのだろう。

 全員が、マウンドに立つまで。



 ヨシタカは、服のそでで、まぶたに落ちてくる汗を拭う。

 暑い。いい季節だ。

 白昼は夢と空想でぼやけていて、疲れもないようで。

 なにもかも入り交じっていた。

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従妹を落とせないので、本番にいけない 鳴川レナ @morimiya_kanade

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