瑛と令2

 土曜の午後、いつも診療時間終了ギリギリに、少女は来る。高校生にしては小柄で、下手すれば小学生と間違われかねない。聡明そうだが、少し暗い感じのする子だ……とはいえ、禍以降生まれた子ども達は、皆同じくそうだが。


 自分の女子高校生時代、それを思うと少しおかしくなる。

 女子高で、そもそも男子はいなかった。今と変わらない。やるべきものがやるべきことをやる、という。そこには性別も性質も見た目も関係なかった。

 虐めがないわけではないし、悪口がないわけではない。そんな世界こそあり得ない。しかし、性別によって自分の内面を判断されることだけはあり得なかった。まぁ、それは自分がそこそこ頭のよい高校に入学できたからだろう。



 軽い乾燥肌だがひっかき傷がひどい。自傷行為、この世代にはよくあることだった。


「まー、あんま引っかかないようにね、保湿剤出しとくね」


 少女は少し唇を尖らせた。


「おかあさんと喧嘩してさ、良い匂いのするクリーム買っといてっていったのに買っといてくれなくて、そんなに痒いなら医者行って自分で貰ってこいって。無料ただだからって」


「あー、そうだね。私もそう言うよ」


 少女は眉根をぎゅっと寄せて考え込む。


「……千彰先生は何でお医者さんになろうと思ったの?」


「人を病気から救いたいとか、親が医者だったとか、とか」


「医者って儲かる?」


「そらねぇ、儲かるよ。そうそう、まぁお金の問題は大きいよねー。禍で国民皆保険制度がぶっ壊れたときは、もう駄目かと思ったし」


「えー、禍そのものじゃなくて? 人がいっぱい死んでんのに、お金の話? お医者さんなのに?」


「マジだよ、言いたいこともわかるよ、あの頃ホントそれどころじゃなかったからね……いつ男が」


「男性でしょ」


「ハイハイ、男性がこんな世界いらねぇっつって核原子力発電所占拠するかも~とか、A国大統領が核爆弾飛ばすかも~とか、男性が半分くらい死んだときは、そういうもうそういう噂が独り歩きしてて……そんなんで殺された男もいたんだよ、でもしょうがないよねぇ」


「……なんでそんな軽いの? 千彰先生が殺されるかもってことじゃん、そういうときに、声を上げなきゃ、」




 彼女が――彼女の世代がまぶしいくらいに潔癖なのは、教育というよりも若さ、だと思う。自分の痛みを経験不足から、認めることが出来ず、これからの未来をよくすべき義務があると一途に信じているところなど――。




「だから国民皆保険制度が崩壊した方がショックだったんだってば」


「だってそんなの……ひどいじゃん」




 私がこの子ぐらいの時、起きた事件がいくつかあって――「無敵の人」というそれを、彼女は理解できるのだろうか? いや、出来ないだろう。私にだって出来ていない。

 そして、医大は性別で点数を操作していて、ということも、遺子になる勉強をしていた時にあって。




「うーん、恐慌状態だったからな。でも殆どの男性は、」


「ちゃんとしてたんでしょ?」




 本当に?


 そうではない。私は――私たち?、いや、私はずっと怖かった。「無敵の人」が量産されて、私まで道連れに死んでしまうのではないかと、ずっと、怖かった。


 何が何やらわからないまま、本当にあっという間にバタバタと男が死んでいってよかったのだと思う。


 前時代的な、「男は女を守る」とか、そういう思想ではなく、たぶん、かれらが、無敵の人にならず、社会機能の移行を粛々と行ったのは、日常を誰かに続けてほしかったんだとは、思う。今の私のように。




「ねー千彰先生、瑛ちゃんが千彰先生と結婚したいんだって」




 少女は、まるで、秘密を打ち明けるかのように、私に教えてくれた。私の隣に、いるはずのない弟がいると。


 精神分析をする気もないし、心療内科を紹介する気も起きなかった。


 よくある――、そう、よくあることなのだ。

 

 子どもが、大人の気を引くための。



「マグリット・デュラスになる気はないよ」


 さも、自分は彼女を否定しないかのように話す。


「ねーキモいよね、瑛ちゃんが男だからかなぁ」


「私の知ってる男は、生殖的観点から若く魅力的な女を好むもんだと思ってたけど」


「千彰先生は魅力的じゃーん、生殖もお医者さんなら卵子凍結してんじゃないの?」


「私は禍の前に閉経してるから」


「……ごめんなさい。これはハラスメントだったと思う」


 自分が傷つけたことに傷ついて、相手が、大人が傷ついている、と思いもしないのも若さだ。

 いつか、彼女は大人になったときに気づいて、その傲慢さに赤面するか、叫びだしたくなるか――、そういう未来が来ることを、私は、望んでいる。



「何で医者になったかはまぁいろいろあるけど、医者になってなかったら、もうちょっと、うーん、死ぬのがしょうがないと思うようになったっつーか。宿命を信じるようになったわけ」


 少女はいまいちわかっていないようだ。


「運命じゃなくて?」


「あー、運命は運ぶんだよ、宿命は宿ってるの、あんたの、その身に」


「瑛ちゃんは? もう、身がないよ」


「じゃぁあんたは二人分強運なんじゃない?」


 適当なことを、言って、少女をごまかす。


「そういう風に考えるなら妊婦さんも二人分強運なんだねぇ、」


「あー、宝くじとか当たるらしいよ」


 まだまだ、この子にとっては出産は遠い未来の事だろう、そもそも、この世界で出産したいと思うだろうか?


「でも、この体は私の体で、瑛ちゃんの体じゃないし、どこだって、――まだ生理こないもん、一生こなくて良いけど」


 唐突に、少女は話を変えた。それを否定しないで聞く。


 ピカピカした、からだ。

 新陳代謝は活発であるがゆえの美しさと、若干の不潔さ。


「だから、医者?」


「そうだよー、出産しない“下級国民”でもそれなりに保証欲しいなってなったら、専門職でしょ」


「勉強してるの?」


「してるよ」


「あんたはまだ小さいから」


「身体的特徴をからかうのは駄目じゃん」


「ごめんなさい、医師として、生理に関する意見だと思って」


「しょうがないなー、今回だけだよ?」


 と、少女は眉根を寄せた。


「先生、トイレー」


「借りるんでしょ、わざわざ報告しなくていいよ。」


 少女は返事もせずに、トイレに行った。そして、数分後。




「……変な話、生理、来たみたい」





 生まれつきのからだ、から、生きていく限り、逃れ切るのは不可能だ。

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