第二幕 其の令嬢 (4)


 小柄な体。

 手足は細い。

 たっぷりのレースで飾られたスカートの裾から覗く踝は絹の靴下の上から見ても華奢で、おもちゃのような青いエナメルの靴も小さい。

 薄い水色と白のドレスはトーションレースやリボンが幾重にも重なって、御伽話から抜け出してきたかのようだった。

 その肩に、艶のある豪奢な金の巻き毛が降りている。

 蜘蛛の巣よりも繊細な意匠のヘッドドレスが包む頭は形良く、リボンを結んだ顎は可愛らしく尖っていた。

「これはこれは……」

 長きを人間の中で生きてきたヴィクトールでさえお目に掛かったことのない造形美だが、特に目を惹かれたのは彼女の瞳だ。

 左は鮮やかな菫のような紫、右は憂いを含んだ露草のような青だった。

 ヴィクトールには珍しく、ある種の感動さえ覚えた。

「きれいな子ですね」

 こそっとキーファが囁いた。

「お待たせしてごめんなさいね。あなたがヴィクトール?」

 夢見るような瞳がひたと自分を捉えた。

 ヴィクトールは顎を引く。

「そうだ。依頼は君が?」

「ええ」

 実を言うと、少々意外だ。

 悪魔に頼み事をするような人間には見えなかった。そもそも年端のいかない少女だ。それとも、幼いからこその愚かさで悪魔に縋ったのだろうか。

「初めまして。わたしはアンジェ。アンジェ・ゴーシュ」

 アンジェ。

 確か、どこだったか、その地域では天使という意味だったか。

 うまい名付けだ。

 彼女はふわふわと嵩張るドレスの裾を颯爽とさばいて、ヴィクトールの前に立った。

「改めて、自己紹介をお願いしても?」

 高慢を潜ませた声音。

 ヴィクトールは白皙の頬にうっすらとシニカルな微笑を浮かべた。

 なるほど、悪魔に依頼する度胸のある、生意気で勝気な子供のようだ。

 ヴィクトールは礼儀として、優雅に立ち上がり礼を取った。

「僕はヴィクトール。ただそう呼べばいい」

 少女は顎を持ち上げて、ぷっくりした赤い唇で笑みを作ってみせた。

「分かったわ。これからよろしく、ヴィクトール」

「ああ」

 そして二人は、双眸を絡ませる。

「では」

「ええ」

「取引といこうか――」

 この、悪魔との。



 向かい合わせに座った幼い依頼主は、紅茶が運ばれてくるのを待ってから口を開いた。

「ヴィクトール、あなた『フランツ・フィリップの日記』を知っていて?」

「いや、知らないな」

 答えつつも、ヴィクトールは記憶を探った。

 日記と呼ばれる書物は幾つか知識にあるが、その中に『フランツ・フィリップ』の名前はなかったはずだ。

 背後に控えるキーファをちらりと振り返るが、しもべは遠慮がちに首を振った。

「申し訳ございません、あたしには……」

「何か謂れが?」

「もちろんよ」

 アンジェは繊細な模様のティーカップを持ち上げて、ふわりと立ち上がる湯気をそっと吹き飛ばした。

「その本は大昔、高名な魔術師だったフランツ・フィリップが記したものだという話よ。便宜上日記と呼ばれているだけで、当然、内容なただの日記なんかじゃないわ」

 二色の瞳がヴィクトールを見上げて、意味ありげな弧を描いた。

「またの名を『真実の書』というの」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る