幕間 ジェイと依頼人の会話より



 重い受話器を肩と耳に挟みこんで、ジェイは窓から通りを見下ろした。

 街のメインストリート沿いに取った宿は小さくも清潔感があり、店主夫妻の丁寧な対応と料理が美味い。

 よく陽のあたる部屋は几帳面に整えられていて居心地が良かった。

 陽光にゆっくりと温められた午後の空気を味わうジェイは、受話器から直に耳に入ってくる鈴のような声に、相手に見えていないと知っていながらも微笑んだ。

「……ええ、週末にはそっちに着くと思いますよ」

『思う?』

 少女の声だ。

 美しいが、幼すぎるが故に些か高く、聴覚を刺激する。

 ジェイは少しだけ受話器を耳から離した。

『これはれっきとした依頼よ。曖昧な報告はやめてちょうだい』

「すみません、到着します」

『……いいでしょう』

 高飛車な返事が堂に入っている。

「これで借りは返せましたかね」

『それは、あなたの紹介した悪魔の働きによるわね』

「ごもっとも」

『優秀なのでしょう?』

「無愛想の人嫌いですが」

『あら』

 回線の向こう、遥か遠くで少女の笑い声があがる。

『人嫌いだなんて、あなたと同じね。だから仲良しなの?』

 類は友を呼ぶでしょう、と歌う少女を、ジェイはやんわりと窘めた。

「俺は人間が大好きですよ」

『ふふ––––大嘘つき』

 愉快げな罵倒と断罪に、ジェイは失笑した。

 なぜなら、それは真実の一端を突いていたから。

「……そいつは、人間だけでなく悪魔も嫌いなんだそうです」

『なぜ、同族ではないの?』

「奴に言わせれば、僕とお前達を一緒にするな、反吐が出る、と。前に言っていたことがありますね。同胞だなんて冗談じゃないそうですよ」

『厭世家なのね』

「興味がおありで?」

 さらりと髪の擦れる音。

 きっと長い髪を揺らして首を傾げたのだろう。

『あら、どうして?』

「少し妬けます」

 くす、と砂糖菓子のように甘い笑み。

『あなたは悪魔で、何百年も生きてるっていうのに、時々すごく可愛いことを言うわよね。それとも、やっぱりそれも嘘なのかしら? 愚かな人間の小娘をからかってる?』

 ジェイも骨ばった男らしい頬に微笑を浮かべた。

「どう思われようと、いつか俺の真心があなたに伝わると信じていますよ」

『相変わらず舌が回るわね、ジェイク・アダムス。六番目の息子』

「––––むやみにその名を口外しないで下さい」

『大丈夫よ、これくらい。怖気づくのはやめなさい』

 僅かに固い口調になったジェイに対して、彼女は憎たらしいほど余裕だった。

「あなたって人は……」

 思わず嘆息が零れる。

 ジェイは仕方がないとでも言いたげに、口角を下げた。

 高飛車で賢しら。

 そこが愛しいとも感じるのだけど。

 悪魔にも物怖じしない。これだから彼女は面白い。

 だが、注意はしておくべきだろう。

「ハンターがいます。接触せずに済めばいいのですが、そうはいかないでしょう」

 なにせ、けしかけたのは自分だし–––とは言わないが。

「出来る限り悪魔と関わりがあることは伏せておいた方が無難かもしれませんね」

『そうね。ハンターとかいう連中は、悪魔と少しでも関係した者は人間じゃないとでも考えているようだから』

 少女の声は、嘲弄を含んでより高く、美しく響いた。

『でも無駄よ。週末にはわたしの元に悪魔が来るのでしょう?』

 あなたが紹介した、と続けられてはそれ以上言えることなどない。

 事実、その通りなのだから。

「……どうかお気をつけて」

『楽しみにしてるわ』

 ジェイの精一杯の気遣いは、少女の軽やかな返事で踏みつけられた。

 ぶつりと回線が切れる。

「切られた……」

 挨拶もさせてくれないとは。

 まあ、だが、これで一段落だ。

 ジェイは出窓に凭れ掛かった。

 眼下の通りからは賑やかな街の活気が十分に伝わってくる。

 客を呼び込む声、子供の笑い声、果物や揚げ物の匂い。

 平和だ。

 だが、退屈だ。

 そう感じるのは、ジェイの悪魔としての本能だろう。否定する気もなく、その必要もない。

 ––––そう、少女の言う通りだ。

 さすがに彼女が生まれてからの付き合いなだけある。

 小賢しく大人びた小娘だが、果たして自分が喰われる側に立たされている自覚がどの程度あるのか。それとも、案外、分かった上で悪魔を利用する気なのか。

 どちらでも構わない。

 自分は面白い方に流れるだけだ。

「さて、どう転ぶやら」

 できるだけ愉快な顛末を聞きたいものだ。

 ジェイは満面に浮かんだ歪んだ笑みを、片手で隠し、俯いた。


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