第一幕 或る悪魔 (4)
「で、貴様はいつまで着いてくるつもりだ」
短い思索から抜け出したヴィクトールは、隣を歩くジェイに胡乱な目を向けた。
「……お前、さっきから俺の話聞いてなかっただろ」
「聞く必要のある話だったのか?」
「お前ってそういう奴だよ……」
呆れ顔をしたジェイは、深く肩を落とした。
「いいから早く本題を言え。はるばる遠出してまで何の用だ」
ジェイはわざとらしく大きな溜め息をついた。
「何の用って–––葬式だろうが」
「……は?」
ヴィクトールにしては珍しいことに、無防備に驚いた表情を晒した。漆黒の双眸を軽く見開き、長身のジェイを見上げる。
「葬式だと?」
しかし、今度はジェイの方が目を丸くした。
「ヴィク、おいおい、お前……ミシャが死んだじゃねえか!」
「ああ……」
曖昧に頷きつつも、ぼんやりとジェイは記憶を探った。
そうだったか?
当然のようにジェイが言うからには、自分にも知らせが来ていたのだろうが、生憎ヴィクトールにはそれらしき記憶が欠片もない。
「覚えていない。死んだのか、あいつ?」
ついにジェイはぐったりと脱力した。
「相変わらず、友達甲斐のない男だな、お前って奴は……」
「僕に友達などいない」
即答だった。
「……あ、そう」
ジェイは諦めたように項垂れた。
明らかに傷ついた様子の自称友人を後目に、ヴィクトールはうっすらと唇を吊り上げた。
同胞、と一括りにするには不本意だが、とにかく既知の悪魔の死は、久しぶりにヴィクトールの興味を惹いた。
「それで? なんで死んだんだ?」
ジェイは憚るように周囲を見渡し、声量を落とした。
「……殺されたんだよ、人間に」
「ああ、やはりな」
ヴィクトールは満足げに笑みを零した。
身長差のあるジェイを見上げる昏い瞳が微かにゆらぐ。
ネズミを見つけた猫のような表情に、ジェイは嫌そうな顔をした。
「あれはワインとステーキの好きな奴だったからな。いずれ殺されるだろうと思っていたが。処刑されたのか? どう死んだんだ?」
「カンタベリーで人間に狩られたそうだ。斧で四肢を……つっても、あいつは手が十本くらいあったけど、まあ、とにかく手足をバラバラにされて、ワインをぶっかけられてからウェルダンに焼かれたんだと。ちなみに、こっちのワインは本物だからな」
「なるほど」
ヴィクトールは頷いてから、ふと首を傾げた。
「確かにあの種族を殺すにはその方法がまず確実で伝統的だが、今時正式な手順に則った狩りも珍しい。ハンターの仕業か?」
「さぁ、そこまではな……気になるか?」
「多少」
ヴィクトールは細い顎に指を添えた。
ミシャに会ったのは、何十年前だったか。
活きのいい女が手に入ったからと食事に誘われたが、肝心のヴィクトールの餌はミシャが汚し切っていて食べられたものではなかった。
–––その腹いせに、足を何本か捥いでやったんだったか?
それがミシャとの最後だ。
ジェイが後ろ頭を掻きつつ嘆息した。
「頭も趣味も悪い奴だったが、あいつは一族持ちだったからな。葬儀を開くってんで俺らのとこにも連絡が来たんだよ」
「そうか」
気のない返事をしたヴィクトールは、改めてジェイに視線を向けた。
ミシャの訃報は興味深かったが、そろそろこの男と会話するのも面倒になってきていた。雑談ばかりでちっとも核心に入らないのも、ヴィクトールを不快にさせるジェイの悪い癖だった。
「死んだ間抜けの話はもういい。僕は何の用かと聞いたはずだが。早く本題を話せ」
ジェイは大げさに眉を上げてみせた。
「本題?」
そのいかにも無害そうな表情に、ヴィクトールの肌に鳥肌が立つ。
「その顔はやめろ。気持ち悪い」
「酷くないか、お前」
わざとらしく落ち込んでみせるジェイに、ヴィクトールは嘲笑を返した。
「まさかミシャの訃報を伝えるためだけに、わざわざ僕の所に寄ったわけじゃないだろう」
正確には、葬式もどうせついでだったに違いない。
見た目と言動を裏切って、実のところヴィクトールなどより、余程薄情な男のことだ。
予想通り、ジェイはあっさりと苦笑を零した。
「お前って鈍感そうに見えて鋭いよな」
「馬鹿にしているのか」
「純粋に褒め言葉。–––用はこれだ」
ジェイは胸元のポケットから、一枚のカードを取り出した。
白い厚手の紙の端に山羊の首のエンボスが押してある。
ジェイの仕事用のカードだった。
「……お前の持ってくる仕事は面倒だ」
「そう言わずに、会うだけ会ってやってくれって」
何を思ってか、ジェイは人間と悪魔の仲介屋などという真似をしている。
過去に数件、ジェイが仲介した依頼を引き受けたが、いずれも碌なものではなかった。
今度こそ断ろうとしたヴィクトールだったが、ふとカードに書かれた地名が目に入り、足を止めた。
に、とジェイが嗤う。
「な、行ってみたくなっただろ?」
ヴィクトールは思い切り顔を顰め、渋々ジェイの指からカードを奪い取った。
「なるほどな。だから先にミシャの話をしたわけか」
「頭いいだろ?」
「貴様の葬式には死んでも行かん」
嬉しそうな笑顔を浮かべるジェイを切り捨てて、ヴィクトールは歩き出した。
背後でジェイが何やら喚いているが、最早足を止める気も耳を傾けてやる気もない。
–––面白くなってきた。
何様の思し召しだか知らないが、これも一つの縁だろう。
指先でカードを燃やして、ヴィクトールは薄い唇を笑みに歪めた。
週末には、カンタベリーだ。
青白い炎に舐められて、同胞の死地を記したカードは地面に落ちて灰になった。
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