終焉、そして先へ

とある蘭学狂いの結末

「ぶわっはっはっは! まさかあの操縦席から救い出され、そこもととともに山中に留め置かれておったとはな! おかげで大埴輪の秘密も、蘭学船も逃してしもうたわ! ハッハッハッハ!」


 あの番外地大戦から一月ほど過ぎて、とある裏街道。

 一人の男の、高笑いが響いていた。

 痩せぎすに眼鏡を掛け、かつて纏っていた白衣は、旅姿の下に隠していた。


 彼の名は狂狂四郎くるいきょうしろう

 かつて鋼鉄はがね丸を駆って番外地に挑んだ、蘭学狂いである。


「う、う、声が大きいだ。お役人さんに見つかってしまうだよ」


 そして、恐る恐る狂四郎をたしなめる、もう一人の男。

 同じく旅姿に身を包んだ、いかにも純朴そうな青年。

 しかしその胸元には、今も埴輪武人像がぶら下がっていた。


「見つかる? 見つかってなにが悪いのですか? ワシらはたしかに番外地の生き残りですが、まだ指名手配はされておらぬはず。用心に用心を重ねて裏街道を選びましたが、本来は日向を堂々と歩いてもかまわぬのですぞ?」


「だ、だども……」


太助たすけどの!」


「ひっ」


 モゴモゴとなにかを訴えんとする青年――太助に対し、狂四郎は一息に顔を詰めた。

 それだけで太助はおののき、息を詰まらせてしまう。

 その姿に、狂四郎は首を横に振った。


「まったく。ワシは信じ難いですぞ。そこもとが大埴輪武人像の主……いや、違うか。中身……これも違うな。ともかく、正体などとは」


「そう言われても困るだよ。オラは、山でたまたまこれを拾っただけなんだど」


 太助が、武人像を握って訴える。


「あん時オラは、いろんなものが憎くて、悔しくて、悲しくて。それでこの像に」


 太助は思い出す。

 生まれ育った街での仕打ち。

 町を追い出された際の、置いてけぼり。


 彼の顔に、悪相が滲み始める頃。

 狂四郎は武人像を握る手の、さらに外から手を握り締めた。

 彼が目にしたのは、蘭学狂いの狂気に満ちた瞳だった。


「え……?」


「ワシにはそこもとが必要ですぞ」


「え、あ……」


「なにせ、そこもとの像の仕組みが、我が蘭学証明の道にかかわってきますからの! 新たなる鋼鉄丸は、なんと我が意志で伸縮自在! 成し遂げられれば、夢が広がりますな!」


 両腕を広げ、喝采を叫ぶ狂四郎。

 対して太助は、彼をぽかんと見つめるばかり。

 どうすればよいのか、分からぬ体である。


「んお? これは失敬。そこもとにはまだ我が計を告げておりませなんだな」


 狂四郎は我に返り、太助にニヤリと笑った。

 彼の中では、すでに百年の大計が成立している。

 かの番外地では語れなかったが、研究対象には告げておく必要があった。


「これよりワシは、長崎は大出島へと向かう所存。蘭学の本場にて新たなる蘭学を得、鋼鉄丸を再びこの世に生み出し、価値を証明し、世を変える腹積もりにて候。太助どのは、いかが致す?」


「え、あ……?」


 自由意志を聞かれて、太助は戸惑った。

 彼にはこれまで、自分の意志というものがなかった。

 今回ここまで狂四郎と旅路を共にしていたのも、狂四郎に手を引かれるがままだったのだ。


「ワシの大計にはそこもとが必須にござる。されど、まだそこもとの心根を伺ったことがござらぬ。ここまでは己の勢いのみで手を引いてしまった。故に、敢えて心根を問いたく」


「あ……」


 太助は、狂四郎の目を見た。

 そこには蘭学狂いの狂気ではなく、人間として、人間を気遣う目の色があった。


 太助は理解する。

 目の前の男は、少なくとも自分の未来について考えている。

 だが同時に、自分の未来を一つに定めようともしている。


「オラは……」


 太助は故郷を思った。山から見えた、蘭学船の群れ。

 空中戦艦によって、好きでもない故郷は失われた。

 生き残りであると知られれば、幕府に手配されるかもしれない身の上となった。


 その上で、世間を恐れる自分が、どう生き残るか。

 もはや虐げられるのは真っ平だった。

 悔しさや悲しさに咽び泣くのも、もう飽きてしまった。


 ならば。


「オラは、頼れるところがないだ。行く宛もねえ」


 とつとつと、太助は口を開いた。


「故郷は消えたし、持ち物もこの人形だけだぁ」


 狂四郎の眼前に、埴輪武人像を掲げる。

 狂四郎はそちらも、真っ直ぐに見つめた。


「だから、この人形で結んだ縁を。信じてみるだ」


 太助は、言い切った。

 口ぶりや振る舞いはともかく、狂四郎は自分を人として扱っている。

 研究の対象という恐怖はあるが、無慈悲に虐げられたりはしないだろう。


 だからこそ太助は、今一度狂四郎を真っ直ぐに見た。

 狂四郎も、見つめ返す。

 二人の視線が、しっかと結ばれた。


「承知」


 狂四郎が、口角を上げた。

 見る者が見れば、それは狂喜にも見えるだろう。

 だが太助には、純粋な笑みに見えた。


「では足早に参ろうか! 大出島まで行けばそこは蘭学自由都市! 幕府もおいそれと手出しできぬ! さあ、先は長いぞ!」


「ま、待っとくれだ」


 大足と大声で道を行く蘭学狂いと、その背を必死に追い掛ける青年。

 戦を縁として始まった奇縁の旅路は、未だ始まったばかりだった。

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