今、訣別の時

 やがて、像は崩折れた。

 刺突の主、浄瑠璃長唄が、獣兵衛を蹴って刀を抜こうとした。

 しかし腕一本では力が足りず、己が離脱する形になる。破綻は、その時に起きた。


「あ」


 獣兵衛が、地に倒れていく。

 いかな最強最悪の剣客といえども、心臓を穿たれては長く保つ筈がなかったのだ。


 最初は膝から。やがて上半身が倒れゆく。

 刀がつっかえ棒となり、その巨体は横倒しになった。

 その背に、もう一人の男が食らいついていた。


「剣兵衛どの!」


 己をあやつって無事に着地した長唄は、とどまらずになおも駆けた。

 友朋にして叔父の仇なる人物の、無事が気がかりだったのだ。

 倒れた獣兵衛を飛び越え、彼はものの数秒で、中村剣兵衛のもとまでたどり着いた。


「けん……!」


 長唄は二の句を告げられなかった。

 彼の愛刀が、剣兵衛までもを貫いていたからだ。

 刃先を確認する。心臓に、近い位置だった。


「剣兵衛どの!」


 長唄は叫んだ。いかに決めたとはいえ、剣兵衛がそれを行うとは思えなかったのだ。

 自らの命を、己に差し出すなど。

 あってはならぬと、思い込んでいた。


「剣兵衛どのッ!」


 再び叫んだ。せめて、せめて最期の言葉を聞きたかった。

 そうせねば、己の為した事実を受け入れられそうにない。


「な、がうた、どの」


 弱々しい声が、長唄の耳に入る。

 それは、まごうことなく剣兵衛の声だった。


「剣兵衛どの!」


 長唄は剣兵衛を揺する。

 無理に刀を抜く真似はしない。

 血が噴き出すような愚を、彼は犯さなかった。


「これ、で、まんぞ、くか」


 再び弱い声が耳を打った。

 長唄は、声を張った。


「満足な訳がなかろうっ!」


 周りの者が、びくりと跳ねる。

 それほどの声だった。

 今や番外地全ての耳目が、この血闘の場に集められていた。


「俺は! そなたと! 戦にて!」


 長唄は、隻腕で剣兵衛をはたいた。

 すでに目からは、涙がこぼれている。

 このままでは、とても得心できなかった。


「それがし、は、この腹積もり、だった」


 剣兵衛が、諭すように口を開いた。

 彼にもまた、瞼より流れるものがあった。


「長唄、どのが、勝てれば、よし。勝てぬならば、この生命、懸けても、と」


「されど! されど鋼は!」


「鋼を、つかうなどして、獣兵衛に、まされる、と?」


 詰問する長唄。されど、剣兵衛の問いかけに彼は固まった。

 己が目と腕を犠牲にしてようやく迫れるほどの相手に、なに一つ懸けずしてたどり着けるのか?

 否である。獣兵衛に迫るには、生命を失う覚悟が必要だったのだ。


「強敵に、勝つと、いうのは。すべてをなげうたねば、なりませぬ。おわかり、でしょう」


 長唄は、首を縦に振った。

 戦友ともの、最後の想いを、もはや無碍にはできなかった。

 この男も、己と同じく全てをなげうったのだ。


「よか、った……。ゲホッ!!!」


 長唄のうなずきを見た直後。剣兵衛はにわかに咳き込んだ。

 そもそも心臓付近を貫かれているのだ。

 ここまで喋れたのが、奇跡なのだろう。


「剣兵衛どの!」


「かま、わぬ。叔父御どのを討った、悪党は、ここに、滅びたの、だ。さあ、いき……なさ、れ……」


 長唄は再び、剣兵衛を揺すった。

 しかし、剣兵衛の声はやがてか細くなり、力なく目を閉じる。

 それが意味するものを、長唄は分かっていた。


「剣兵衛どのおおぉ!」


「五月蝿え……」


 咽び叫ぶ長唄。しかしその耳に、あってはならぬ声が入る。

 野太い声。獣を思い起こさせる声。

 まさか。まさか心の臓を穿ってさえも。


「安心しろぉ……。心臓をやられた。もう動けねえ。愁嘆場がピーピー煩いせいで、死ぬに死ねなんだわ」


「……」


 獣兵衛である。柳生獣兵衛である。

 心臓を貫かれてなお、未だ生を保っている。

 なんたる生物か。


「浄瑠璃の倅ぇ……」


「っ……」


 そんな生物の声に、長唄は反応を戸惑った。

 気を抜けば今なお、己を殺しかねない気風があった。

 故に、彼は身構えを取った。


「あの刀、くれてやる。持っていけ」


「っ!」


 獣兵衛が、震える腕で刀を差す。

 大地に刺さるその刀は、まごうことなく【村正・雷】であった。


「なにゆえ」


「褒美だぁ……。百金なんぞ、幕府は出さねえからな」


「なっ!?」


 それは無情の通告だった。長唄が獣兵衛を問い詰めようとする。

 しかし直前、獣兵衛が吠えた。末期の絶叫だ。


「いいか、有象無象ぉ! 俺が死んだら、幕府軍が蘭学船でやって来る! 俺を殺した男を、死なすんじゃねえぞ!」


「ッッッ!」


 それは、周囲に佇む剣客どもへの喝だった。

 あまりの不意討ちに、全員が直立不動となる。

 最強最悪の剣客はやはり、死してなお最強だった。


「獣兵衛! どういうことだ、獣兵衛!」


「おおおっ、死なせはせんぞっ!」


 長唄をめがけて、剣客どもが押し迫る。

 誰かが【村正・雷】を拾い上げ、長唄へと押し付ける。

 朱鞘朱柄の大太刀も引っこ抜かれ、押し付けられてしまった。


「柳生獣兵衛を討った英雄だ! 担ぎ上げろ!」


「医者を探すか!?」


「いんや、ひとまず隠せ! 掃討連中を迎え撃つ!」


 熱狂、狂乱。

 時代を作った剣客の最期の言葉が、長唄を余韻から押し流していく。

 そんな彼の視界に、幕府の蘭学船――空中戦艦が現れていた。

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