跳躍
「長唄どの! 今ぞぉ!」
中村剣兵衛は、決死の覚悟で声を張った。
大埴輪の青年と、
数多の剣客たちを襲った瓦礫の群れ、闘気の奔流を、軽功を駆使して避け切っていた。
全ては
全ては獣兵衛を確実に殺すため。己の腕では届き得ぬ者を、いかなる手でも殺すため。
救える範囲で剣客たちを救い、潜む時は潜み、時を待ったのだ。
そして、時は来た。
浄瑠璃長唄――戦友にして幕命の対象。
この大戦が終わった後、命を差し出すことになるやもしれぬ相手。
その彼が、決死の覚悟で柳生獣兵衛に肉薄したのだ。
目を斬られ、肘先を斬り飛ばされ、それでも獣兵衛と薄氷の打ち合いを続けている。
ここで動かねば、いつ動くのか?
「っ!」
剣兵衛は、思考した瞬間に踏み切っていた。
遠間で維持していた間合いを、軽功で一足飛びに縮める。
足は軽やか。捕捉されれば制空圏が待ち受ける。彼もまた、決死の覚悟であった。
そして。
「ん゛っっっ!」
獣兵衛の太い腕、その一瞬の隙を突いて、脇から腕を回した。
当然ではあるが、獣兵衛の胴は剣兵衛のそれを上回る幅を持つ。
故に剣兵衛の組み付きは腕を広げに広げた、危うい恰好であった。
「長唄どの! 早く!」
「この塵芥がぁ!」
獣兵衛の怒りは激甚だった。闘気を噴き上げ、剣兵衛を振り落とさんとする。
無駄に暴れ回るような真似はしない。目の前に立つ敵手に、好機を与えるからだ。
ここに至りてなお、柳生獣兵衛は剣戟の申し子だった。怒りの中に、冷静さを持ち合わせていた。
「っ……!」
しかし長唄は、即座には動けなかった。
身体の傷が、ついに牙を剥いたのか?
違う。彼の欠けた視界が、剣兵衛の姿を捉えているからだ。
「ぐ……」
それでも彼は足を引く。大太刀を腰溜めに構え、跳躍の姿勢を作り出す。
ここで踏み切らずして、いつ踏み切るのか。それも彼には分かっていた。
そして。かつて長唄は、剣兵衛に言い放った。
『獣兵衛ごと串刺しにするもよし。剣兵衛どのの腕を使い潰すもよし。敵を討つ手段など、いくらでもある』
今まさに、その時が来たのだ。それも、相手から身を差し出して。
最初からそのつもりだったのかは分からぬ。
だが、ここで応えねば剣士ではなく、人間として己が廃る。
同時に、己の腕と剣兵衛を信じる。
剣兵衛は身体を鋼に変える内功を使う。
それをもってすれば、己の一撃ごとき耐えうるであろう。
ならば!
「オオオオオッッッ!!!」
蛮声絶叫。
浄瑠璃長唄は吠え、足に力を入れ、踏み切った。
これまでよりも速く。音を越え、光をも抜かんとばかりに己をあやつった。
「小癪なあッッッ!!!」
応じて、獣兵衛も吠えた。
無粋な組み付きにより、刀は振り上げられない。
しかし彼には、最後の一手がある。
「【村正・雷】!」
獣兵衛は、手首の力だけで、己が愛刀を天高く放った。
鍛え上がった際に、雷をその身に受けたとされる、妖刀の一振り。
雷そのものでもあり、雷を呼び寄せるともいう。
夢か現か。それとも獣兵衛の気性がそうさせるのか。
真偽定かならぬその噂は、再び現実のものとなった。
獣兵衛の怒りを乗せた雷が、彼の心臓めがけて跳ぶ長唄を穿たんとする。
「アアアアアッッッ!!!!!」
光を察知して、長唄は吠えた。
獣兵衛にまつわる、人ならざる噂。全て違わぬものであった。
ならばこの雷も。越えねばならぬ、突き抜けねばならぬ。痛みを越えて、全身をあやつる。
ピッシャアアアアアン!!!!!
光に遅れて、音が響く。
音に意識を叩かれたのか、数人の剣客が身を起こした。
闘気の奔流も、獣兵衛の激昂もない。彼らは遠く同士で顔を見合わせ、その後轟音の地点を確認した。
「!?」
そして彼らは絶句した。
三人の男が一つの地点に固まった、異様な像を発見したからだ。
一人の男の刀が、二人を貫いている。貫いた男も、未だ刀にぶら下がっていた。
「獣兵衛だ。刺されているのは獣兵衛だ」
誰かが声を上げた。全員が、そちらを向く。
声の主は、声をさらに張り上げた。
「間違いじゃない。もっと近くまで来い。獣兵衛の睨みも、今は効かぬ」
よくよく見れば、声の主は五十歩ほど、彼らよりも近くに立っていた。
彼らは声に従い、恐る恐る近付いていく。たしかに獣兵衛は動かない。睨んでも来ない。
そして――
「おお……!」
彼らは、実像を見た。
長唄が、大太刀に腕一本でぶら下がっている。その手前の大地に、【村正・雷】が突き刺さっていた。
大太刀の刃先は獣兵衛を貫通し、剣兵衛の背から生えていた。
やにわに獣兵衛が血を吐く。全てに、決着がつこうとしていた。
「獣兵衛! 死ね、獣兵衛!」
「浄瑠璃の小倅……っ!」
長唄は最後の最後まで気を抜かなかった。
抜けば獣兵衛が、己を蹴り殺しかねなかった。
己をあやつり、刃先を捻る。
向こうでもう一つ、くぐもった声が聞こえる。
だが、今は耳を塞いだ。
「ごおっ……!」
獣兵衛が、再び唸る。
長唄が、ニイッと嗤った。
彼の、初めての嗤いだった。
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