ただ重なる一点のみを

「好きにさせて、もらいます」


 斃れた叔父を介抱せず、浄瑠璃長唄は宣言した。

 見据える相手は中村剣兵衛。

 たった今、叔父に不可逆の致命傷を与えた男。


「悔いはなし」


 剣兵衛が、言葉を吐いた。

 同時に向き直り、長唄と正対する。

 その身体は返り血で汚れたが、目の色は澄み切っていた。


「……」


 長唄は、その身体を見分した。

 最初に出会った時は、力を知って面倒を避けた。

 今はどうか。剣兵衛は、叔父を討った男。この場の浄瑠璃は再び一人。


 そして。


 目前に控えた、たった一つの現実を思う。

 長唄は天を仰いだ。夜空の星は未だに、雲の中で輝いていた。

 長唄は、息を吐いた。


「……仇を、取らねばならぬよな」


 狂歌は、恩人だった。

 突然現れた叔父であることよりも、獣兵衛への道を示してくれたことの方が大きかった。

 その恩人を、仲間が殺した。戦の結果とはいえ、そうなった。


「で、あろう」


 友誼を交わした男の声。覚悟に満ち満ちている。

 長唄は目を閉じた。

 自明の理。あまりにも分かりきった理。だが。


「俺は、叔父の遺言を重んじる。好きにする」


「なっ!?」


 目を開けて放つ言葉に、剣兵衛の声が響いた。

 予想できたことだった。

 しかし、長唄なりの理屈はあった。


「俺は、柳生獣兵衛を討つ。それを目的に番外地へ来た。剣兵衛どのや叔父上、叔父上の仇討ちは、主の目的ではない」


「……」


 剣兵衛は黙ったまま続きを促し、長唄もそれに応えた。

 夜更けは、徐々に明るさを増そうとしていた。


「主目的ではない以上、第一の目的は獣兵衛殺し。よって、獣兵衛と決着を付けた後で考えることにした」


 長唄は、己の思いを最後まで打ち明けた。

 しかし、剣兵衛の表情は張り詰めたままだった。


「剣兵衛どの?」


「甘い。甘すぎますぞ長唄どの」


 剣兵衛が長唄へと間合いを詰めた。

 構えもへったくれもなく、無造作に腕刀が振るわれる。

 長唄も無造作に、それをかわした。


「獣兵衛討伐が第一の目的。認めましょう。我が方も、それが第一義」


 剣兵衛の攻撃が続く。

 あくまで無造作に、命を狙う風でもなく。


「だが」


 しかし六回目の攻撃で、潮目が変わった。

 両腕を上段に掲げると、重なって一本の太刀へと変じた。

 明らかに、長唄を斬らんとしていた。


「それでも、燻るものはないのですか!?」


 唐竹割りの一閃。

 明らかなる問いかけの一撃。

 長唄はその重い一撃を――


「あるに決まっておろうが!」


 朱鞘の太刀で、真っ向から受け止めた。

 正確には下から斬り上げ、刀同士をぶつけた。

 剣兵衛の腕刀が、衝撃で腕に戻る。


 剣兵衛は長唄を見る。口角が上がっていた。

 長唄の衝撃波は、剣兵衛を穿てない。

 故に、両者に傷は無し。そこまで含めて、長唄の目論見だった。


「仇を取りたくない理由がない。戦友であろうと、仇は仇だ。浄瑠璃として、すすがねばならぬ。だが!」


 長唄は吠え、己の身体をあやつり、超速の衝撃波を放った。


「ぐわっ!」


 第三の声が、離れた場所から響く。

 聞き耳か、隙を窺っていたのか。

 いずれにせよ、場に不要の者だった。


「それを行うのは今ではない」


 長唄は太刀を納めた。

 剣兵衛にはその意味がわからなかった。

 ようやくやる気になったのではなかったのか。


「……。剣兵衛どのは、使えますからな」

「はぁ?」


 剣兵衛はいよいよ訳がわからなくなった。

 獅子身中の虫を身近に置いて、なにが使えるというのだ。


「剣兵衛どの。貴方が幕府より受けた使命は」

「浄瑠璃を助け、獣兵衛を討つ」


 剣兵衛はよどみなく答えた。

 いかに混乱しようと、この一点だけは変わらない。


「そう。『獣兵衛を討つ』。この一点のみで我々は目的を同じくしている。俺の助けになるなら、俺をそれを利用する。獣兵衛ごと串刺しにするもよし。剣兵衛どのの腕を使い潰すもよし。敵を討つ手段など、いくらでもある」


 長唄の目は、真剣だった。剣兵衛も目線を合わせる。

 互いに揺らぎはない。剣兵衛は息を呑んだ。

 長唄が、軽く笑った。


「なに、肩肘を張る必要はない。万が一両者息災で獣兵衛を倒せた暁には、正々堂々、真っ向から刀を交えるとしよう。それが、俺からの提案だ」


 如何かな?

 そう言いたげな長唄の瞳に、ついに剣兵衛は大きく息を吐き出した。

 これ以上、ここで問答を重ねていてもどうにもならぬ。諦めから出た、吐息だった。


「よかろう」


 若干不機嫌な調子で、言葉を放つ。

 それきり無言で、彼は浄瑠璃狂歌の死体に近付いた。

 長唄は、特に咎めなかった。


「せめて、埋葬するとしよう。それとも、然るべき土地が?」


 剣兵衛が、長唄を見た。

 長唄は、首を横に振った。


「否。黒衣の彦六として、眠っていただく。浄瑠璃狂歌は、俺の胸の内で生き続けるのだ」


「それもよかろう」


 もうすぐ夜が明ける。

 急がねばならぬと、剣兵衛が長唄を促そうとした。

 その時だった。


 剣兵衛の目が、遠くにありえないものを捉えた。捉えてしまった。

 全長十五尺はあると思しき、埴輪の武人像。正気を疑う光景。

 鋼鉄はがね丸との戦から一昼夜ほどを経て、またしても目覚めたのだ。

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