浄瑠璃狂歌と中村剣兵衛、戦の真相

 ドスと長煙管を操りながら、黒衣の彦六改め浄瑠璃狂歌は、先刻の戦を思い出していた。

 たしかに長唄には、中村剣兵衛を半端者と言った。

 だが彼との戦は、相応に堪えるものだった。


 ***


『生きた浄瑠璃はくれてやらん、って言ってるんだよ。幕府の狗め』


 四本のドスを弦であやつり、己は啖呵を切った。

 実のところ、半分はカマかけだった。


 浪人に見えない身なり。

 特殊な内功の技。

 そういったところからの類推でしかなかった。


 幕府の狗――俗に言われる公儀隠密――はどこにでもいる。

 薩摩琉球から蝦夷に至るまで、一つ欠かすことなく各地にいる。

 ならば、番外地にも。


 だが、カマかけは想定以上の成果を招いた。


『その通り。どうやら生半可な演技は通じぬらしい』


 中村剣兵衛――尾行中に聞きつけていた――はだらりと、構えを取った。

 力みのない構えだった。


『公儀隠密、中村剣兵衛。されど、浄瑠璃長唄に入れ込みしもまた事実』


『黒衣の彦六。事実云々じゃねえ。そこの浄瑠璃は貰っていくぜ』


 四本のドスを集中的に剣兵衛へと放る。

 細かい狙いはない。ひるめば十分だ。

 そのスキに――


『ッ!』


 剣兵衛が横に駆け出すのが見えた。

 さては浄瑠璃長唄を守る気か。


 すかさずドスの軌道を切り替える。

 背後からの追従が二つ。

 剣兵衛の正面に二つ。


 あやつり故の、お茶の子さいさい。

 自身も突っかけようかと考え、取りやめる。

 目の前の敵は、決して弱敵ではない。


『は、はあっ!』


 ぎん、ぎぃんと、鈍い音が二つ。

 鋼腕が、防いだ音だ。


 ここまではあり得る。

 想定上の剣兵衛は、そうすると読めた。


 だが。


『ぬんっ!』


 キィン……!


 流石に三つ目の音は想定外で。


『せぇいっ!』


 腕が刀になって振り下ろされるのも想定外だった。

 強引に身体をねじって放たれた刀。

 前を向いたまま飛び退き、難を逃れる。


『…………』


 視線を切らずに、剣兵衛を見据える。

 すでに長唄は、彼の庇護下にあった。


『半端者めが』


 狂歌はやむなく、作戦を挑発へと切り替えた。


『回収対象に入れ込み、隠密としての役割を放棄、剣客として振る舞っている。オメェは三流の半端者よ』


『なんと言われようが結構』


 剣兵衛の言葉は真っ直ぐだった。


『幕府に逆らうつもりはないが、長唄どのに本懐を遂げて頂きたいのもまた事実。三流の謗りも、甘んじて受け取ろう』


 剣兵衛が身構える。両腕の二刀を天に掲げた。

 狂歌は膠着を悟り、ドス四本を大地に刺した。


 見よ、ドスは彼を四角に囲っている。

 この形、読者は見覚えがあるだろう。

 カタナ・ピラミッドパワ・結界。いかなる攻撃をも弾く盾だ。


『守りか。守っていては長唄どのを回収できぬぞ』


『ハン。百も承知よ!』


 だが狂歌は、結界に収まるつもりは元よりなかった。

 次の瞬間には、全速前進で長唄のもとに向かい――


『あらよっと!』


『なっ!』


 その体躯からは想像もつかない宙返りで、剣兵衛の背後に立った。

 無論、これは身体能力だけではない。

 己の神経に心を通し、自在に操る。『あやつり』の絶技が使われていた。


『四十年使ってなくても、どうにかなるもんだな』


『くっ!』


 剣兵衛の歯噛みする声。

 無視して長唄を背に乗せた。


『長唄どのをどうする気だ』


『殺しゃしねえよ。殺しゃしねえが、死ぬ思いはしてもらう』


『害意があるのか、ならば』


 剣兵衛が再び立ちはだかる。

 しかし狂歌は、冷静だった。


『殺しゃしねえっつってんだろ。このままじゃ浄瑠璃は獣兵衛に届かねえ。コイツがいくら悪戦苦闘しても、ただの無駄。そうなる前に、こっちでカタをつけるのさ』


『黒衣の彦六。貴方は一体』


 剣兵衛の声色が変わった。

 狂歌にはわかる。

 人形浄瑠璃での数々の経験が、彼にその手の察知能力を与えていた。


 故に、答えは与えない。


『オメェも狗なら狗で、狗らしくしやがれ。答えがわかってからやって来い』


 もはやこの場に用はなかった。

 あとは足に喝を入れ、逃げ出す。それで良かった。

 誤算があるとすれば、ことだろう。


 ***


 あやつりの絶技。

 その負担がどこまで癒えているか。どこまで振り回せるか。

 それらが、この勝負の肝になる。狂歌は理解していた。


「来いよ長唄。今から俺は、お前の仇だ」


 狂歌はすべてを注ぐつもりでいた。

 疑似でももどきでも構わない。

 柳生獣兵衛を、この場に顕現させるつもりでいた。


「ふううう……」


 呼吸を練る。


 手刀足刀で衝撃波を作る。そんな噂を再現できる腕はない。だがあやつりの極限で、ドスが纏える。

 雷の噂は、ドスの早落としで代用可能だ。

 動きの速さ? 絶技でやる他になし。


「はあああ……」


 を見る。

 未だ戸惑いから抜け切っていないように見えた。

 無理もないと、狂歌は思った。思ったが、即座に切り替える。


 ここは死地。

 番外地は蠱毒。

 蠱毒を抜けねば、獣兵衛には至れない。


「征くぞっ!」


 あえて声をかける。

 オマケか?

 否。長唄への喝である。


 狂歌は集中の度合いを増し、ドスと長煙管を加速させた。


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