浄瑠璃長唄、経緯を語る

 夜が訪れた。

 戦地で夜といえば、夜襲である。

 水鳥の羽音を間違えるのは下の下だが、夜襲そのものは上策である。


 しかし、番外地の戦では夜襲の採用率は低かった。

 そもそも夜道が見えにくく、大抵の場合は個人戦。

 夜襲が夜襲を招き、返り討ちの不安もある。


 そんな理由もあり、番外地の夜はそれなりに平和だった。

 少々目の良い者ならば、あちこちで火が焚かれているのもわかるだろう。

 大抵の者は、腰を落ち着けたいのだ。


 二人も、ひとまずは同様だった。

 忍者集団・伊賀般若党を返り討ちにした長唄と剣兵衛は、その後も戦いを繰り返した。

 時には殺し、時には倒し。そうしてなんとか夜を迎えた。


「ひい、ふう、みい……。チッ、まだまだいやがるな」


 長唄は遠くに見える焚き火を数え、毒づいた。

 仇討ち目的に乗り込んだとはいえ、生き残らねばならぬ。

 その苦労を思えば必然、口も悪くなるものだ。


「……」


 一方、剣兵衛は無言で焚き火に木をくべていた。

 天然のそれではなく、家々から引っ剥がしたものだった。

 他の者もやったのだろう。町並みを構成していた家々は、軒並みボロボロとなっていた。


「長唄どの」


 しばしの無言ののち、先に口を開いたのは剣兵衛だった。

 剣兵衛はとつとつと、長唄に尋ねた。


「柳生獣兵衛といえば、当代最強最悪とも名高うありますな」


「うむ」


 長唄は否定せずに応じた。

 獣兵衛は、女子供でも構わずに斬り、機嫌一つで暴虐を巻き起こす。

 否定しても意味がない、周知の事実だった。


「呼び寄せる刀は雷を纏い、馬はおろか、鉄をも一太刀で断つとも」


「うむ」


 長唄は否定せずに応じた。

 これらもまた、有名な話だ。

 さらには、こんな真偽出所不明の話さえもある。


 帯刀していない獣兵衛に、恨みのある者が襲い掛かった。

 一歩の間合いまで、彼は刀を手にしていなかった。

 にもかかわらず、次の瞬間には攻め手が斬られ、獣兵衛が雷を手に提げていた。


「すべてが真実だとすれば、あまりにも強い。その強さを恐れ、幕府は江戸所払いに処し、各藩に廻り状まで出したとも」


「知っている」


 決然と言葉を吐いたのち、長唄はさらに続けた。


「知っているからこそ、挑まなきゃならねえ。一族の恨みを晴らし、因縁に終止符を打つためにも、だ」


「……」


 剣兵衛はわずかに黙りこくった。

 己が期せずして説得臭くなっていた事実に、酷く自己嫌悪した。

 しかし再び、口を開いた。


「浄瑠璃一族は、獣兵衛の乱心によって滅びたと聞きます。所払いの、最後の決め手になったとも。しかし子細を幕府は語りませぬ。いったい、何があったのですか?」


「聞くかい」


「聞きます」


 焚き火を挟んで、二人の視線が重なった。

 しばらく無言で目を合わせた後、長唄は諦めたように唸り、つぶやいた。


「幕府はな、柳生獣兵衛をしようとした」


「はい?」


 いきなりの言葉に、剣兵衛の目が点となった。

 しかし構わず、長唄は続けた。


「正確には『言うことを聞く柳生獣兵衛』だ。そのために、一族の能力が必要だったという」


「もしや、蘭学でいう『さいきっく』に連なるといわれた?」


 こくりと、長唄の首が縦に動いた。


「一族の能力者複数で獣兵衛を制御し、血を抜き取り、蘭学者に『くろおん』を作ってもらう。そういう計画だった。らしい」


「だが失敗した」


 こくり。長唄の首が、再度縦に動いた。


「『怪物』とまで恐れられた男を、幕府も一族も見くびっていた。その結果が、今よ」


 一呼吸置き、さらに続ける。


「それでも、ほうぼうへ養子を出していた……望まれて出したのが幸いだった。俺も養子に出ていて助かった身だが、散逸した資料や技をより集めることができた。数年がかりで、復讐の刺客を作り上げた」


「それが、長唄どの」


 こくっ。長唄の首が三度、縦に動いた。


 おお、おお。剣兵衛は今こそ戦慄した。

 意味がわかれば、これほど恐ろしい話もない。

 浄瑠璃長唄、この男は。


「憐れむなよ」


 だがその思いを、長唄は読んだ。

 一言小さく、言い切った。


「ほぼ一夜にして一族が壊滅した嘆きと恨みは、正気のままでは癒えぬのだ」


 それは、どこか寂しげな声。

 剣兵衛は、今こそ情を抱いた。

 彼が剣兵衛を、あの般若党を殺さなかった意味。それは――


 ふっ。


 しかし思考は、突然の闇に遮られた。

 見れば、長唄が焚き火を消していた。

 すでに身構え、抜刀寸前の気迫があった。


「長居しすぎた。敵が、複数いる」


「なっ」


 剣兵衛は唸り、あたりを見回した。

 闇に紛れて、敵影は見えず。

 されど。


 ああ、今こそ俯瞰と透徹の視力をもって見るがいい。

 番外地中の焚き火が、次々と消えていくではないか。


 そして見よ。夜陰の中を、うごめく影。

 影、影、影。

 番外地十三号の周縁が、ぐるりと囲まれたが如く。


「いったいなにが」


「獣兵衛討伐」


「むう」


 またしても、剣兵衛は唸った。


「幕府が江戸で喧伝しておったわ。『番外地十三号に柳生獣兵衛あり。討伐すれば帯刀百金』とな」


「っ!」


 剣兵衛は舌を打つ。

 いよいよ敵は足音を隠さなくなった。

 暗中模索の戦が、始まろうとしていた。

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