柳生獣兵衛という男
番外地十三号の外れに、一軒のあばら家があった。
そこでは、一人の大男が熟睡していた。
身の丈七尺以上、髭も髪もぼうぼう。
衣服は擦り切れ、異臭さえ漂っていた。
もっとも、大男にとってはすべてが武器であった。
異臭は相手を怯ませる。
異様な風体は示威的な効果を持つ。
名は体を表すというのは、ある種の事実なのやもしれぬ。
***
大男――柳生獣兵衛が生を享けた頃には、江戸柳生は往年の力を失っていた。
平和な時代の中で、刀の扱いは多岐となった。
にもかかわらず、江戸柳生は刀を刀としてしか扱わなかったのだ。
高潔ではあるが、頑迷に溺れた。それが当時の柳生評だった。
率直に言えば、獣兵衛はそれを一代にして逆転せしめた。
北辰一刀流、天然理心流。
天下に名を馳せた名門に次々と喧嘩を売り、粉砕した。
だが、性格は極めて横暴かつ、不遜だった。
気に食わぬ者を折檻するなど日常。
機嫌一つで女を犯し、男を殺す。平然とやってのけた。
当然、裏柳生が一つ一つもみ消した。
しかしその程度で隠し切れる行状ではなかった。
幕府は徐々に不信感――天下第一たる将軍が
柳生獣兵衛量産計画。
獣兵衛を襲ったのは、浄瑠璃一族だった。
柳生と同じく、幕府と繋がりの深い集団だ。
しかしその本質は能力――あやつり――にあった。
獣兵衛を操り、非道の実験に掛ける。
血と毛を抜き取り、『人間工房』なる蘭学集団に預ける。
幕府の狙った手筈はしかし、獣兵衛の気性を甘く見ていた。
浄瑠璃一族、全滅。
柳生獣兵衛、江戸脱出。
もはや幕府にできることは少なかった。
獣兵衛を江戸所払いに処すこと。
諸藩に廻り状を出し、獣兵衛の仕官先を奪うこと。
獣兵衛の行き先を、番外地にしてしまうこと。
以上三つを速やかに行い、獣兵衛を封じる。
そして諸国の腕利きに倒させる。
その目論見が結実したのが、この番外地十三号だった。
いま獣兵衛は、すべての集う地で寝こけている。
彼を、そして番外地の勝利者となるべくすべての参戦者を襲わんとしているのは、夜烏衆と呼ばれる者たちだ。
かつて多くの大名に雇われ、闇に紛れて数々の暗殺を果たした連中。
その魔の手が十人、獣兵衛の寝るあばら家を囲っていた。
覆面。
夜に溶け込む色の服。
取り回しに重点を置いた武具の数々。
準備万端の夜烏衆は、あばら家に忍び込まんとした。
一人が手を上げ、音もなく数人が滑り込もうとし……
鼻を押さえて飛び出した。
「~~~~~~~~~~~!」
「なんだっ!?」
不測の事態に、思わず声を上げてしまう夜烏の十人。
そこへ飛び込んできたのは、衝撃波、空気の波。
いともたやすく、吹っ飛ばされる。なんたる威力!
「おおっ……なんと」
一人が口を開く。
夜闇においては敵なしの夜烏が、こうもあっさりズタズタにされるのか。
驚きの要素が、十分に含まれていた。
「おあああ!!!」
しかし思考は、家を壊さんばかりの雄叫びで打ち切られた。
そして再び衝撃波。
再び飛ばされ、別のあばら家に激突。崩落に巻き込まれた。
「ああ……」
また別の夜烏が、声を上げた。
のっそりと、衝撃波の主が現れたのだ。
完璧に見えた夜襲を、悪臭と二度の攻撃でひっくり返した男が。
「おいぃ……」
名の通りに獣と言っても過言ではない姿の男が、獣じみた低い声を発した。
柳生獣兵衛。
おそらくは日本、いや、世界でも最強最悪の剣客だ。
「俺の眠りを妨げたんだ……。死んでも構わねえよな?」
その男が間違いなく、キレていた。
***
柳生獣兵衛にとって、世界とは己に奉仕するものだった。
一族の長老から聞かされたのは、己への期待値。
一族から授けられたのは、幼い時からの英才教育。
いつしか弱音は消え果てた。
いつしか涙も消え果てた。
己に与えられているものの意味を知った時。
彼は己が、王に等しい立場にあると気づいた。
無論、それは錯覚である。
しかしそれが彼のエゴを生み、凶悪にした。
刀も力も、己のために磨いた。
強くなって、彼はさらに傲慢になった。
気に入らないものは斬り伏せた。
従わぬ者は従わせた。
いずれは将軍さえも、そうするつもりだった。
「この獣兵衛こそが天下第一。その俺の眠りを、貴様らが妨げた」
頭痛。脳裏に映像がよぎる。
過去が蘇ってくる。
「死ね」
突然酒宴に呼び出してきた、浄瑠璃の当主。
弱敵に被るその姿を、獣兵衛は斬り伏せた。
腕を振るう。刀は要らない。
ついでに足も振るった。面白いように、敵が斬れた。
呼吸が荒い。
敵は弱敵。
にもかかわらず、あの日屠った浄瑠璃の連中が被ってくる。
斬っても消えない、過去の景色。
斬る。斬り捨てる。
「長あああ!!!」
不意に身体が固まった。
それは強引な固定だった。
弱敵が四人、手足に飛びついていた。
「応!」
視線の先。これも弱敵。だが今は、脅威だ。
一直線に突きを狙っている。
殺る方法は。
「ぬうんっ!」
獣兵衛が吠える。
同時に、雷が突き手を穿った。
一本の刀が、長の脳天を撃ち抜いていた。
「え……」
一人の夜烏が、小さく鳴いた。
それが終わりの、合図だった。
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