20 笑み

 木々の中、被さる葉の合間から微かに光が差し込む。

 僅かに目を開き、太陽は手首に包帯の巻かれた手を突こうとして木の幹から滑る。

 う、と声を漏らして目をこすろうとした手が、接着剤で修復されたサングラスのレンズに当たった。

「朝……」

 反対の手で体を起こし、傍の地面で倒れ込むように寝ているキヨラと尹を見る。

「……ここ」

 言いかけた時、ぱっと太陽の目が見開いた。瞳孔が開き、咄嗟に俯く。

 手で押さえた口から胃液がこぼれて地面に垂れる。



「……意外と警備薄かったな」

 ぽつりと呟いた、尹の腹が鳴る。

「うん。びっくりした、何でだろ」

「こんな辺境の仮本部だからな」

 キヨラに答えてよっと立ち上がり、尹は手に付いた泥を払った。

「ここ海近かったんだな。ちょっと何かいるか見てくる」

「うん」

 頷いたキヨラの腹も小さくなる。ん、と押さえて、キヨラは太陽に視線を向けた。林の中でセミが鳴いている。

「……えっと」

 先に太陽が口を開いた。キヨラは青い瞳をぱ、と開く。

「昨夜は、ありがとうございました」

「え、あ、いや。先に助けてもらったのは、私の方だから」

 微笑んでキヨラは座り直す。戸惑った様子で、太陽は血の付いたマントを羽織ってうずくまっている。緩んだ眉間のしわがくっきりと見えた。

「……いえ、本当に、ありがとうございます」

 俯けていた顔を上げ、太陽はうっすらと微笑みを浮かべた。視線が固まったキヨラに、太陽はえ、と声を漏らして表情を解く。

「どうかしましたか?」

「あ、いえ……その、何でもない」

「そうですか……」

 不思議そうに呟き、太陽は首元に出来た赤い虫刺されを指先で掻いた。腕にもぽつぽつとできた虫刺されに、ぼんやりと視線を落とす。

「……あ、そうだ。これ」

 キヨラは肩にかけていた鞄を取り、太陽に手渡す。

「太陽の鞄。大事な物とか入ってると思って、一緒に取ってきた」

「あ、ありがとうございます」

 鞄を開け、太陽は中を覗く。

「……えっと、あの」

 ふと口を開いた太陽に、キヨラは顔を上げる。

「どうしたの? もしかして何か無かったとか」

「いえ。そうではなくて……少し」

 もぞ、と膝を動かす。ああ、とキヨラは納得したように声をこぼした。

「じゃあここで待ってるね」

 頷き、立ち上がって太陽は鞄を肩にかけたまま茂みの向こうへ足を踏み込む。葉が数枚散って、土の上に落ちた。息をつき、キヨラは木の幹に寄りかかる。


 がさ、と茂みを揺らして尹が出てくる。

「あ、尹。どうだった?」

 幹から体を起こしてキヨラは尹の方を見上げる。

「いや。特に何も無かった」

「そ、そっか……まぁ、水も買ったし、しばらくは大丈夫だよね」

 幹の横に置いた二本の水のペットボトルを見てキヨラは頷く。茂みから出てきて、尹は木に寄りかかった。

「そういや太陽が海に入ってたぞ」

 尹の発言にえっ、とキヨラが顔を上げた。

「あ、ああ……多分トイレだと」

「いや、そんな感じじゃなかったな。急に泳ぎたくなったのか?」

「え?」

 聞き返したキヨラの顔を尹は見た。

「太陽、泳げないはず」

「え」

 尹は背後の茂みを振り向いた。幹に手を突き立ち上がってキヨラが走り出す。


 テントが並ぶ路地の裏で、アサガオの花が紫色に咲いていた。

 石塀の空き家の間を進むと一人がライターを突き出す。ちゃっ、と火が点き、工事中の板に背をぶつけてへたり込んだ。サイレンの音が歪んで近づく。

 一歩踏み出し、また一歩踏み出し、濡れたスカートから水が滴った。

 切り傷の出来た手から血が柄を伝ってこぼれた。アスファルトの白線に赤い点ができる。赤い線の入った木製の柄のシールに赤い指紋が付く。

 道端の用水路の蓋の脇で白い小さな花が揺れた。


 それは


「太陽っ!」

 キヨラの手が包帯の巻かれた太陽の手首を握った。バシャと海水が跳ねてマントのフードにかかる。胸の位置まで浸かった海面に波紋が伸びる。

 何も言わずに水平線の向こうを見ている太陽に、キヨラが声をかける。

「太陽……急に、どうしたの?」

 ぐい、と握られた腕が引かれた。ぎゅっとキヨラは強く握って引き戻す。

「ねぇ、たいよ」

 太陽の肘が思い切りキヨラを振り払って海水の中に倒した。頭まで沈み、砂の沈殿した地面に手を突いてキヨラは水面から顔を上げた。

「太陽!」

 だがキヨラが手を伸ばすよりも先に太陽の肩を尹が後ろに引いた。海水の中で素足が滑り、勢いよく水しぶきを立てて太陽は後ろに転倒する。

「何やってんだよ、太陽!」

 海底に右手を突いて起き上がろうとするも滑って太陽は海水を飲み込む。むせて、気泡を吐いた太陽の左手を尹が海面から引き上げた。背中を支えられておぼつかない足をどうにか立て、咳をして、太陽は微かに口角を上げた。

「何笑ってんだよ。早く戻」

「これでいいだろ、さっさとどっか行け」

 太陽の言葉に、尹は手を緩めかける。


 ……も、強く握った。

「私が何をどうしようとお前らには関係ない」

 茫然と、キヨラは太陽を見た。血に染まったマントを胸まで浸し、太陽は口角を引きつり上げたまま二人を氷柱の様に鋭く睨みつけた。

「いい加減手を放せ」

 鞄から引き抜いた左手に握った柄に血の付いたナイフが尹の手にかざされる。刃先から海水が包帯に垂れた。薄茶色い血が滲む。

「……放さない。俺らが何をしたって、構わないだろ」

 その瞬間太陽はナイフを振り上げた。小さく声を詰まらせて尹は目を瞑る。

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