15 制度

 屋外の席につき、机に置かれたメニューを開く。

「そうそう。これこれ」

 手を軽く上げ、通りかかった店員に注文を指して見せる。向かいの席に座った太陽は鞄から突き出した笛をしまい、僅かに視線を女の方に向けた。

「ところで、幾つの時から笛をやっていたんですか?」

 だが女に視線を向けられて咄嗟に横に移す。

「あまり、覚えていなくて」

「へぇ、そんな小さい頃からやってたんですね。成程ねぇ」

 納得した様子で女は頷く。

「誰かに習って?」

「いえ」

「えっ独学だったんですか。すごい……」

 驚き、女は尊敬の眼差しを太陽に向ける。気まずそうに、太陽は机の木目を見た。血の付いた袖を机の下に隠す。

 客の賑わいを眺め、眼鏡の女は太陽に目を戻した。

「……旅をしているのかしら、その話を少し聞かせてもらっても?」

 聞かれ、太陽は少し黙りこくり……手をずらす。

「特に、お話しできるようなことは」

「お待たせしました」

 丁度その時、店員がプレートに小皿を乗せてやってきた。あ、と眼鏡の女は小皿を受け取り、太陽の方に差し出した。皿の上の卵色のプリンが小さく揺れる。

 あれ、と女がプリンに目を留める。

「カラメルがかかってない……少しもらってきます」

 女が席を立とうとした時、がたん、と机が揺れる。


 整っていたプリンが倒れて皿からこぼれた。椅子から立った太陽は足を回し、地面を蹴った。椅子に足が当たる。

 声を詰まらせて女は走り出そうとした太陽の腕を強く掴む。眼鏡がずれ、後ろポケットから注射器を引き抜くも太陽は腕を引いて身を回す。しかし壁にぶつかり、女に手首を掴まれて建物の角に追い詰められる。

「太陽、落ち着いて。大丈夫だから」

 囁かれるも太陽は腕を引いて逃げ出そうとする。しかし反対の腕も掴まれる。

「放せっ!」

 声を上げてサングラス越しに太陽は女の顔を見かけるも、視線を止める。

「太陽、落ち着いて聞いて。覚えてる? 拘置所で会ったこと」

 眼鏡の女は真っ直ぐと太陽の目を見て話し続ける。はっと太陽は女の顔を見て、一瞬動きを止める。だが、すぐに顔をそらす。

「……覚えてくれたんだ、良かった」

 引く力を緩めた太陽に女は微笑みかける。

「太陽、そのサングラスまだ使ってたんだね。嬉しいな」

 ゆっくりとした口調で女は太陽に話しかける。太陽は唇を堅く結び、地面に視線を落としている。全身が堅くこわばっていた。

「実は太陽の家で働いてたって女の子から手紙貰ったの」

 女は握る手を緩めない。

「お願いだから、帰国してくださいって」

 微かに太陽は目を細めた。それでもなお女は太陽を真っ直ぐ見続ける。

「私、太陽が罪を犯したりしてないのは知ってる。優しいのも知ってるよ」

 ぎゅっと、握った片方の手を離し、密かに注射器に指をかける。

「でも、この制度が間違ってるとも思わない。これ以上、人を殺してほしくないの」

 だから、と指を上げかけた時、太陽は空いた手で傍の机からフォークを拾って女の指を突き刺した。声を漏らし、血をこぼして緩んだ指をするりと太陽は抜け出す。

「あっ、太陽待って!」

 咄嗟に女は走り出そうとするも店員に肩を止められる。事情を説明しようとした時、太陽は角を曲がって姿を消した。あ、と女はその方を向く。


 息を荒げ、建物と建物の隙間の路地を太陽は走り抜け、足を止める。

 サングラスの隙間から汗がこぼれ、ずるり、と支えがずれた。声も出ぬほどに息を吸い、吐き、太陽はしゃがみ込む。ふと、その足元に金色のビーズを見つける。

 微かに目を開き、更に先に落ちている金色のビーズを見た。

「……こっ」

 声を漏らしかけて咳き込む。震える指で膝を掴み、足を上げて太陽は辺りを見回した。点々と転がっている金色のビーズを見下ろす。

 窓を拭いている中年の男に声をかけた。

「ここを、十七くらいの子供か、マントを着た男が通りかかってませんか」

 喉から息を漏らしながらかすれた声で言う太陽に、男はああ、と頷く。

「その男の方なら、さっきそこの角を曲がって……」

 言いきらぬうちに太陽は走り出す。青い空に光る日がビーズを光らせた。汗が滴り、道の隙間の雑草に垂れる。

 曲がり角で赤と白の混ざった花が民家の塀から咲き誇っていた。

 するりとサングラスが路上に落ちる。





 ぱき、と踏み出した足が金色の紐で結ばれたサングラスの支えを踏む。


「あ」

 乳児の小さな膨らんだ手が透明の板につく。

「ねぇ」

 視線を俯け、緑の帽子をかぶった人物は乳児をそっと膝に抱いた。

「笑ってよ」

 顔を上げ、透明の板の向こうに呼びかける。

 金バッチをつけた帽子の下、短く切られた黒髪がクーラーの風に揺れた。

 固定器具の下で微かに拘束衣の女の唇が動く。

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