13 視線

 指が引かれる寸前で止まり、車内は沈黙に包まれる。

 揺れはおさまって再び廊下は平行になった。

「……ひ」

 喉から息を漏らし、男はポールを掴んだまま扉の前の床にへたり込む。開いた黒い目を細め、太陽は拳銃の銃口を男に向け続けた。その手首をそっとキヨラが掴み、早い鼓動に息を荒げながら太陽の顔を見ている。

「……い、今だ、捕まえろ!」

 廊下の奥から車内警備員が駆け付けて男を捕縛する。警備員に声を掛けられ、太陽は拳銃を引き渡した。

「ご協力ありがとうございます。誰か、怪我した方は」

 丁寧に頭を下げて警備員は車内を見回すも、椅子に撃たれた跡があるのみでそれ以上何も無いことを確認し、男の方へと取り掛かる。

 太陽は膝を上げ、座席に戻った。読みかけていた本に手を伸ばす。

 窓から吹き込んだ風がページをぱらぱらとめくった。強くしわが寄るほど古びた本の紙をつまむ太陽を、尹は上目遣いに見た。

 車内のざわめきは一時間も経たぬうちにおさまり、やがて車内は再び静かになる。




 カンカンカン、と鐘の音と共に列車が停止する。

 扉が横に開かれ、続々と荷物を抱えた人々が駅に降り立ち、ざわめきの中で再び列車は新たな客を乗せて揺れ、動き出す。屋根の隙間からぽつりと水滴が垂れた。

「雨降って来たな」

 灰色の雲に覆われた空を見上げて尹が呟く。瞬く間にざぁと音を立てて雨が視界を遮り、レールに敷かれた砂利石が雨に濡れて艶めく。

「傘無いね……」

 キヨラは辺りを見回すも、駅に購買らしき場所は無い。

「すぐに止む」

 太陽は石造りの階段の方へと歩き出した。二人は後を追う。

 駅を出て、屋根が途絶えるも雨は石畳の通路を激しく打ち付けていた。だがすぐ道の向かいに酒場があることに気が付いて、太陽は俯き気味に雨の中を速足で渡る。サングラスの茶色いレンズについた水滴を濡れていないシャツの袖で拭く。

「うわぁ、一瞬なのにびしょびしょになっちゃった……」

 髪から肩に水を滴らせてキヨラは濡れて光っている服を見回す。尹はぐっしょりと濡れたフードを下ろし、手で強く絞った。酒場の手前の足跡に水が垂れる。

「今夜はここで演奏するのか?」

 聞く前に太陽は扉を開け、中へ入っていった。あ、と二人はついて入る。


 ランタンが一つ中央に吊るされた室内に入り、扉を閉める。

 雨音がこもる代わりに話声がぽつぽつと聞こえる。太陽はコップを布で拭いている店主の方へと歩み寄った。

「すみません」

「はい、何でしょうか」

 手を止め、店主は顔を上げる。

「私は旅の笛吹きで……今夜、ここで演奏させて頂けないでしょうか」

 太陽の提案に、店主は、ん、と声をこぼす。コップをカウンターに置き、花に欠けていた眼鏡を直した。

「笛吹きと言いますと、もしや近頃噂の……少々お待ちください」

 布を置き、カウンターから出てきて店主は角の机に座る小太りの男の方へ向かう。店主から話を聞き、男は驚いた様子で席を立って太陽へ歩み寄った。

 銀の指輪をはめた両手で太陽の手を握る。

「貴方が例の! よくぞこの街に、私がこの街の町長です」

 挨拶を受け、太陽は軽く頭を下げる。男、町長が太陽の手を引いた。

「さ、まずはどうぞ一杯」

「あ、いや……」

 断りかけるも、太陽は周囲の客の視線を横目に見る。

「……では、一杯だけ……」

 肩に力を入れたまま太陽は町長に引き連れられる。席に付き、戸惑いを持ったままメニューに視線を落とす太陽から目を離し、町長はキヨラと尹を見た。

「お二方も何か飲まれますかね」

「あ、いえ。俺は結構です。アルコール苦手なので」

 尹が断ると町長はキヨラの方を見る。

「あ、や、私未成年だから……」

 慌ててキヨラは首を横に振った。分かってますよ、と町長は笑って見せた。ほっ、と息をつき、ウェイトレスに注文を伝える太陽を尹は見た。

 ウェイトレスが去っていったのを見て尹は隣の席の太陽に小声で聞く。

「大丈夫なのか? こんな時間に飲んだりして、演奏に支障が出たりは」

「場を考えろ。……一杯だけだ」

 太陽は言ってメニューを置くも、尹はなお不安そうな様子。さほど時間を置かずにウェイトレスは白っぽい酒の注がれたグラスを運んできて、二杯分、机に置いた。

「ああ、ありがとう」

 町長に言われてウェイトレスは軽く頭を下げて去っていく。アルコールの香りがつんと鼻に刺さり尹は口を噤んだ。

「それでは……」

 グラスの根元を指でつまみ、傾けて太陽は唇を付ける。



 無言で頭を抱え、尹は木の机に両肘をついていた。眉間にしわを寄せてアルコールの香り漂う席に座っている。うぷ、と吐き気を催すも飲み込む。

「……本当、何で今まで無事だったのか不思議でならない……」

 独り言を呟いて瞼を開ける。額に赤い手の後が付いていた。

 寝息を立てて机に突っ伏する町長、その隣に座るキヨラの肩を太陽は掴んで酒の注がれたグラスを勧める。咄嗟に尹は上半身を起こして太陽の肩のすんでで手を止める。

「待て、そいつは未成年……って」

 そのまま太陽に寄りかかるキヨラの顔が赤いのを見て、手を下ろす。

「もう飲ませてるし」

 語尾を詰まらせ口を押えて尹は席を立つ。キヨラが顔を上げた。

「あえ、どこいくのぉ……?」

 呂律の回っていないキヨラは笑みを浮かべ、太陽に抱き着こうとするもはねのけられる。あ、と尹は止めに入ろうとするも口を押えて手洗いへと走って行く。






 頬を赤く染めたキヨラの腕を肩にかけ、宿の廊下を尹は引きずり気味に引っ張る。強いアルコールの香りの吐息を漏らす、キヨラの目はとろんとしていて閉じかけていた。

「あと少しだから、起きててくれ」

「大じょうぅ……私、おさけ慣れてうから……」

 そう言うも、目を閉じて完全に尹にキヨラは寄りかかる。う、と膝を曲げ、尹は肩にもたれかかるキヨラの顔を見た。

「太陽、どんだけ飲ませたんだよ……」

 はぁ、とため息をつき、キヨラの肩を叩く。だが背後からの足音に顔を上げた。

「やべ。キヨラ、端に寄るぞ」

 と、振り向いて尹は引っ張りかけた手を止めた。頬をほのかに赤く染め、太陽はサングラス越しの目を細めてすたすたと尹とキヨラの横を通り過ぎる。その手には白いバスタオルが持たれていた。

「太陽……もう大丈夫なのか」

 尹が声を掛けようとしたその時、すっと太陽は赤いすだれをくぐった。

「……ん?」

 一瞬目を留め、尹は隣にかけられた青いすだれを見る。壁にかけられた竹筒の中に花が挿され、その横には『男湯』の文字。赤いすだれの方を見る。

「って太陽待て! まだ酔ってたのか」

 キヨラを廊下に置いて尹は慌てて止めに入った。

 が、すだれの下で立ち止まる。


「え。あ、え、太陽……」

 一歩退き、開いた目をゆっくりと下に逸らす。

「えっと……とりあえず、そこで脱ぐな」

 入口付近でシャツを足元に落とし、膨らんだ胸を押さえつけるほどきつく巻いた布を巻き取りかけていた太陽は手を止める。茫然とした目で尹を見た。

「……そうか」

 巻き取りかけた布を垂らしたまま、シャツを拾って奥へ向かう。

 壁に寄りかかったままぐっすりと眠っているキヨラに尹は視線を向ける。






 灰色の雲は遠のき、暗闇に染まった空には満天の星がまたたいている。

 蛇口のパイプから白い湯気を空にあげ、天井の木の板を映した黒い水面に波紋が伸びる。青い電灯に羽虫がたかり、バチッと電光が弾ける。

 石造りの湯船に肩までつかり、太陽は頬を赤らめてぼんやりと水面を眺めていた。

 ずるり、と肩が濡れた石にすべって毛先が湯の中に浸かる。ずるずると、そのまま太陽は湯の中に滑り落ちていく。

 そしてぽちゃん、と湯の跳ねる音を残して夜闇の静寂に包まれる。


「えっ」

 対面側で浸かっていた女が沈んでいった太陽を見た。慌てて湯の中を進み、水中で眠ってしまっている太陽の肩を揺する。

「起きてください!」

 揺すられて、はっと目を覚まし体を湯から上げて太陽は激しくむせた。

「だ……大丈夫ですか?」

 心配そうに女は太陽を見る。しばらくすると咳が収まり、太陽は何度か瞬きをした。

「す、すみません……え、ここ……」

 困惑した様子で辺りを見回す。

「分かりますか? ここは宿で、お湯に浸かっていたんですよ」

 女に説明され、太陽は次第に状況を理解した様子で、立ち上がりかけた体を湯の中に戻す。サングラスをかけていない目を、どこか気まずそうにそらす。

「……ところで、あなたもしかして昼間列車に乗っていた……」

 え、と太陽は顔を上げる。はい、と頷く太陽に女はやっぱりと声を上げた。

「私、あの時強盗に襲われていた者です。その節は本当にありがとうございました」

 ぱっと女は笑顔になり、湯の中で太陽に頭を下げる。

「あ、いえ、私も今し方助けていただいて……」

「いえいえ、あなたが助けたのは私だけじゃなく乗客全員ですから」

 感極まっていた女はあっ、と声を漏らして両手を合わせた。

「そういえば聞きましたよ。あなた、有名な笛吹きさんなのだとか」

「い、いえ。有名というほどでは」

 放心気味に圧倒されかけている太陽に押し掛ける様に女は太陽を見る。

「これも何かのご縁、是非明日演奏を聴かせて頂けないでしょうか」

 え、と太陽は真っ直ぐ自身の目を見る女の目から視線を逸らす。

「あ……は、はい」

「私は二階の五号室にいますので。楽しみに待ってますね」

 にっこりと笑い、女は目を離す。解放されたように太陽は体から緊張を解き、赤い頬に手を当てて、湯から体を上げる。

「では、また明日」

 ぺこり、と軽く頭を下げて、少しおぼつかない足取りで扉まで歩み寄る。古傷の幾つも入った、アザのあとのある体から湯が滴って石畳に垂れる。

 少々心配そうに女は湯の中からその様子を見ていた。

 扉が閉まる。石畳の湯に波紋が広がる。


「……逸らし癖、まだ直ってなかったな」

 ちゃぷん、と湯に顎を付け、女は湯船まで広がっていく波紋に視線を落とす。

 すりガラスの扉の向こうにうっすらと映る人影に目を移す。

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